教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/18 NHK 歴史秘話ヒストリア「戦国に生きた女性 細川ガラシャ 17通の手紙が伝える素顔」

またも大河ドラマ関連企画の模様

 ここのところ大河ドラマ関連を必死で並べてきているこの番組ですが、今回も大河ドラマ関連で細川ガラシャです。ただ今年の大河が明智光秀になった時点でガラシャについてはあちこちの番組で散々取り上げられているので、正直なところ今更新しい事実も切り口もありません。「どこで見たことのあるような」内容がどうしても多いです。それにしてもNHKもやけに必死ですが、再開後の大河が苦戦してるのでしょうか? そう言えば大河がお休み取ったりしている間に「ポツンと一軒家」の方が人気が上がってきたりしているようですから。

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本能寺の変で運命が暗転したガラシャ

 細川ガラシャこと玉は明智光秀の娘である。光秀の地位がまだ高くなかった幼い頃には生活にも苦労していたようであるが、それでも箏などに長けた高い教養を身につけた美しい女性であったという。そして16才の時に信長の家臣を結束させるための政策の一環として細川家の嫡男の忠興と結婚する。一種の政略結婚とも言えるものであるが、夫婦仲は良くて子どもも生まれて幸せに暮らしていた。この頃にガラシャが戦場の夫に宛てて傷の具合を心配する手紙などを送っているという。

 しかしその幸福な生活が暗転する。それが光秀が起こした本能寺の変である。細川家には光秀の元から味方になって欲しいという使者が送られてくるが、忠興は「謀反人に荷担できない」と激怒、ガラシャに対しても「謀反人の娘を妻にしておくことは出来ない」と離縁を宣告してガラシャを山奥に幽閉する。

 ガラシャは京都の山奥の雪深い地である三戸野に送られた。忠興によるむごい仕打ちとも取れるが、実際には光秀の件で危ない立場になったガラシャの身を案じて匿った措置とも考えられると言われている。しかしガラシャにとってはこの生活は非常に過酷でツラいものであった。

 

許されて復縁するものの・・・

 やがて天下人となった秀吉が忠興にガラシャとの復縁を許したことでガラシャは忠興の元に呼び戻される。しかし大阪に移ってからも忠興はガラシャの外出を禁じており、彼女の気持ちは晴れることはなかった。さらに彼女は父の死に対して何も出来ずに傍観するだけだったという罪の意識に苛まれることになる。

 この頃のガラシャは精神的に病んでいたのだろうと私は推測する。だからどうしても夫の忠興にヒステリックに当たることも多かったろう。また忠興はガラシャのことを心配していたのは間違いないと思う。実際に秀吉がガラシャとの復縁を許したのも、忠興の方から願い出てとのことらしい。もし忠興がガラシャに対する気持ちがなかったら、さっさと謀反人の娘など離縁して追い出して新しい妻を迎えているだろう。しかしいかにも無骨者のこの男は愛情表現が下手だから、結果としてはそれがガラシャに通じていない。その結果、ガラシャは忠興に対してヒステリックに反発する。それに対して忠興は「なぜ自分の気持ちが分からないんだ」と苛立つという状態だったと推測する。実際にこの頃の二人の様子は殺伐として最悪の状態だったと記録に残っているようだ。

 なお忠興がガラシャを屋敷に閉じ込めたのは、周囲からの好奇の視線から守るためという話があるが、何よりも秀吉からガラシャを守るためだったという話もある。なんせ女のことに関しては節操なく家臣の妻にも平気で手を出す男が秀吉であったから、美人で有名なガラシャには興味津々だったらしい。忠興にガラシャとの復縁を認めたのもその下心があったからという話もある。だから忠興としてはガラシャを屋敷に閉じ込めざるを得なかったのだと。

 

キリスト教の信仰によって救われる

 だが屋敷に閉じ込められたガラシャの気持ちは沈む一方だった。こうして沈んだガラシャが救われたのは信仰によってであった。侍女の清原いとを通してキリスト教を知ったガラシャは興味を持ち、忠興が朝鮮出兵で九州に出陣している時に密かに屋敷を抜け出して大阪の教会を訪問している。キリスト教の「苦しみを一人で持ち続けずに、神に委ねなさい」という教えが彼女にとっては心の平安をもたらす救いだったのだという。

 しかし秀吉のバテレン追放令によって大阪の教会も取り壊され、宣教師たちは九州へ逃れる。だがガラシャはいとを通して洗礼を受け、キリスト教徒となる。この時に得た洗礼名がガラシャである。神の恵みを意味するスペイン語のグラシアが彼女の洗礼名の由来である。

 だが忠興は立場的にもキリシタンを認めるわけにはいかず、キリシタンの侍女の髪を切ってクビにしたり、キリシタンの乳母を捕らえて鼻と耳を切って追い出したなどとされている。このことは必然的にガラシャとの対立を深める。この時のガラシャは忠興と離婚して司祭のいる九州に行くという手紙を宣教師に送る。一方のこの手紙を受け取った宣教師たちは大騒ぎになったという。離婚は教義で禁止されている上に、もしガラシャが九州に来れば忠興の怒りを買うことになりかねない。そこでガラシャに離婚してはいけないとガラシャを諭す手紙を送る。

 この自体にガラシャは思いきった行動をとる。何と忠興に自分がキリシタンであることを告白したのである。これに対して忠興は意外にも彼女の信仰を認めたという。これについてはガラシャがキリシタンだという噂は既に出回っていたようで、忠興としては立場上ガラシャの周囲のキリシタンを排除せざるを得なかったのだろう。しかしガラシャ自身から自分がキリシタンと告白されてしまったらもう諦めざるを得なかったのだと思われる。またガラシャ自身が信仰のおかげで精神が安定したこと忠興も感じていたのだろう。この後の二人はむしろ今までと変わって夫婦仲は良くなったとのこと。多分ガラシャの方もこの件で忠興が実は自分のことを思ってくれていることをようやく理解したのではないかと考える。キリスト教に対する弾圧が弱まると、忠興はガラシャのために礼拝堂まで作ったという。

 

しかし関ヶ原の合戦前夜に自害する

 だが再び彼女の運命が暗転する。関ヶ原前夜、家康に対して三成が大阪で挙兵した時に徳川方についた大名の妻子を人質に取ろうとする。そしてガラシャに対しても大坂城に入るようにとの強制が来る。これに対して忠興の足手まといになってはいけないと考えたガラシャは、家臣に介錯させて自害する(自身の自害は教義で禁止されているので)。この悲報を聞いた忠興は涙したという。またこの件で強引に妻子を人質に取るのは逆効果になりかねないと恐れた三成は人質策を放棄せざるを得なくなる。このことは間接的に関ヶ原の合戦の結果にも響くことになる。忠興は後にガラシャのために西洋式の鐘を鋳造して礼拝堂を建設したらしい。


 戦国の悲劇の女性細川ガラシャについて。まあとにかく女性には何だかんだと制約の多い時代でしたから、実際はこの手の悲劇は少なくなかったでしょう。殊更にガラシャのエピソードが後世に残っているのは、忠興が徳川方だったので「忠誠心の称揚」のために美談として殊更に宣伝されたということもあるでしょう。また宣教師側もやはり強い信仰心に基づく美談として残したというのがあるように思われる。

 結果として三成の人質策は最悪の下策になってしまったわけであるが、この辺りはやはり三成は賢い人間ではあるが人の情に通じていない部分があったと思われる。彼がもう少し人の情をわきまえていれば、少なくとも加藤清正や福島正則と決定的対立になることもなく、そうなるとさすがに家康とてそう簡単に天下を乗っ取ることはできなかったのだろうが。

 なお男女のことを私が云々言っても説得力皆無だが、男は往々にして「言わないでも分かるはず」と考え、女は「言葉で言ってくれないと分からない」と思うとか。忠興からガラシャに対して一言「私はどんなことがあってもお前のことを守るから耐えてくれ」という言葉でもあればガラシャももっと違ったろうに。多分光秀は熙子にその手の言葉は常にかけていたんではないかと感じる。となるとガラシャとしては「なぜこの人は」になった可能性大。まあ無骨者の忠興には所詮無理な話だったんだろうが。

 

忙しい方のための今回の要点

・細川ガラシャは明智光秀の娘である。細川忠興と政略結婚したが夫婦仲は良く、幸せな生活を送っていた。
・しかし本能寺の変で謀反人の娘であるガラシャは京の山奥に幽閉される。後に屋敷に呼び戻されるが、外出は禁じられた不自由な状態の中で父の死に際して何も出来なかった自責の念から沈み込む日々が続き、忠興との関係も悪化していく。
・そんなガラシャを救ったのはキリスト教の信仰だった。キリシタンとなったことでガラシャの精神は安定する。忠興はキリスト教が禁止されている建前上信仰を禁止しようとしたが、ガラシャが自らがキリシタンであることを告白した後は、それを認めるようになる。ここから夫婦の関係は良好になっていく。
・関ヶ原の合戦に際し、ガラシャは人質にされることに抵抗して家臣に介錯させて自害する。結局はこれが三成の人質策を断念させることにつながり、関ヶ原の合戦の結果にも影響を与えた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・それにしても光秀の本能寺の変って突発的に起こしたとしか思えないんですよね。細川家さえも味方につける算段が出来てなかったんですから。あの光秀にしてはあり得ないような計画性のなさなんです。こうなってくると偉人たちの健康診断で言っていた光秀認知症説が説得力を持ったりする。

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