教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

12/2 BSプレミアム 英雄たちの選択「陰陽師・安倍晴明 平安京のヒーローはこうして誕生した」

 陰陽師と言えば安倍晴明という有名人が今日の主人公。しかし番組の内容的には以前にヒストリアで放送していたものをそのまま流用しているし、にっぽん!歴史鑑定でもかなり詳しくやっているので、内容的には目新しいものはない。

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遅咲きであるが、巧みに出世していく

 安倍晴明は下級官人の子として生まれ、陰陽寮で働いている。当時の貴族はとにかく何でも吉凶を占ってその結果に従っていたので、陰陽師の仕事は多岐にわたって多忙であったらしい。特に当時は朝廷の要人が菅原道真の祟りで次々と亡くなった(と当時の人は思っていたわけだが)りと京の都には不安が蔓延していたという。これらの禍を払うのが陰陽師の仕事である。

 安倍晴明の名が資料に初めて登場するのは40才の時に天文得業生としてであるという。で、ここで今回の番組の肝は磯田氏が若杉家文書を実際に見に行っていること。しかし正直なところそれはどうでも良い(笑)。で、この時に大刀契という天皇家に三種の神器と共に伝わる貴重な霊剣が火災で焼失してしまい、その復元が晴明の師匠である賀茂保徳に託されたのだという。晴明は師と共にこのプロジェクトに携わるのだが、しかし資料には晴明がこの剣を作ったと書いてあるという。実は賀茂保徳が指揮したはずなのだが、賀茂保徳が亡くなった後に、晴明が「これは俺がやったんだ」と後で盛ったようである。

 賀茂保徳の死後、晴明は陰陽道のマニュアル本を記して発表する。本来秘中の秘であるはずの術を公開したのだという。これが評判となって晴明の人気は上がる。とにかく売り込みが上手い人物である。

 一条天皇が即位した時に晴明は大抜擢され、一条天皇直属の陰陽師である蔵人所陰陽師となる。7歳の一条天皇は病弱であり、その健康長寿を願うための儀式が様々行われたが、その中で晴明は泰山府君際という全く新しい儀式を作り出す。これは人間の寿命を定める神と直接交渉して、寿命を書き換えるという儀式だという(ハッタリがうまい男である)。

 また晴明は貴族達の要請にも応えてこの儀式を実施した。そういう顧客の中に藤原道長がいた。これで晴明の地位は盤石なものととなる。

 

自粛中に独自の追儺を実施して庶民からも喝采を浴びる

 さらには今日では年末の鬼払いの行事であった追儺が天皇の母の死去に伴う喪に服すために中止が言い渡される。この時の晴明の選択だが、追儺を自粛するか、それともに実施するか。で、この結果は既にヒストリアで放送されていたように、晴明はここで追儺を実施する。やはり今日の人々の心情を考えると鬼を祓う儀式を行わないことは不安につながるということである(陰陽師にとっても一大営業であるということがあった気もするんだが)。これが評判を呼んで晴明の名はさらに高まることになる。

 なお安倍晴明の伝説の類いがこれだけ残っているのは、晴明の子孫が代々陰陽道を取り仕切ってきたので、その間にかなり脚色がされたのだという(実に営業に熱心な一族である)。室町時代の義満の時代にはその引き立てで貴族の従二位まで昇進し、安倍氏の嫡流は土御門家を名乗るようになる。そして江戸時代には完全に陰陽道を独占する形になったという。その体制は明治まで続き、陰陽道でガチガチに縛られた天皇の行動を変革するために大久保利通は相当苦労したはずだとの話まで出て番組終了である(ちなみに明治天皇は軍服を着た凜々しい姿のイメージが一般にあるが、実際は明治になった時には典型的な公家装束でお歯黒まで塗ったごじゃるごじゃるだったのである)。


 一体何度目だろうという印象の安倍晴明である。正直なところ今更新しいことも出てこないだろう。とにかく安倍晴明で言えることは、セルフプロデュースに長けた人物だったと言うことである。今の世にいたなら恐らくどこかの新興宗教の教祖に収まっているか、カリスマ的人気を誇るタレントというところだったような気がする。泰山府君祭なんていう儀式を勝手に作ったりなど、とにかくそういう演出に長けており、実際に事前に自分で仕込んでおいてから「○○に△△があるはずで、それが祟っている」なんて調子の仕込みも自分で行っていた「ゴッドハンド」だったようである。

 

忙しい方のための今回の要点

・安倍晴明が歴史に登場するのは40才の時に天文得業生としてである。
・その後、師匠の賀茂保徳と大刀契の復元に携わるが、賀茂保徳が亡くなったのを良いことに、後には「あれは自分が作った」と記録に残したらしい。
・一条天皇の時に天皇の専任の陰陽師に抜擢され、病弱な一条天皇の長寿を祈祷するための泰山府君祭という儀式を作り出す。
・泰山府君祭は貴族にも広がり、それで藤原道長にも重用されて晴明の地位は不動のものとなる。
・今日の年末の追儺が天皇の母の死去で喪に服するために中止された時、晴明は独自に追儺を行って庶民の人気を博する。
・晴明の伝説が多いのは、子孫が陰陽道を仕切っていく立場になり、その時にかなり脚色したことによるという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・と言うわけで、一番大事なのは営業力でしたというお話。まあ術なんて実際はインチキなんですから、どううまく売り込むかがポイントになるのは自明。

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