教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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12/9 BSプレミアム 昭和の選択「太平洋戦争 東条英機 開戦への煩悶」

開戦に至った東条英機の選択

 開戦決定時の総理大臣であり、戦後には戦犯として処刑された東条英機。彼はいかなる経緯で開戦へと至ったのかというところを、今回は「昭和の選択」として紹介。

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東条英機

 東条英機は陸軍の軍官僚である。ニニ六事件などで軍の影響力が増していく中で、満州国において憲兵を駆使しての抗日運動の抑圧や、反対派の検挙などで頭角を現し、中央に復帰して出世することになる。

 この頃の日本は中国とは4年に渡っての戦争を行っており、また資源確保のために南方への出兵も行った。しかしこれらの行為に中国での権益を独占されると警戒したアメリカは強硬に抗議、ついには石油の禁輸を打ち出すことになる。日本の石油備蓄はこの時点で2年分しかなかった。

 

近衛内閣退陣後に陸軍を抑え込むことを期待されて総理に起用される

 近衛内閣はアメリカと戦争回避の交渉を行うが、アメリカの絶対条件は陸軍の中国からの撤退だった。しかしこれは中国でこれまで行ってきた戦争による成果をすべて放棄することであり、ここまで犠牲も出してきた陸軍としては到底飲めるものではなかった。陸軍大臣だった東条も徹底して反対した。その結果として近衛内閣は退陣することになる。

 問題となったのは後継の総理であった。重鎮会議では様々な名前が挙がったが、決め手に欠けた。天皇の意志は戦争回避で決まっていたが、そのためには陸軍を抑え込める人物である必要があった。そこで陸軍大臣だった東条に総理を兼任させることが考えられた。

 東条は総理に就任するに当たって、天皇の意志が戦争回避にあるということを厳に伝えられたという。総理という立場に立ってしまった以上、今までのように陸軍の言い分だけを言っているわけにもいかない。また戦争回避ということになれば、開戦一色で盛り上がっている国民世論も起こるだろうし、強行派がニニ六のような争乱を起こす可能性もあった。東条はこれらの動きに対して憲兵を投入して徹底的に押さえ込む準備をする。

 また組閣においても戦争回避派の東郷を外務大臣に起用するなど、布陣としても戦争回避を考えてのものにしたという。

 しかしそのような東条に対して陸軍の中からは「裏切った、変節した」との批判が湧き上がってくることとなる。これは東条にとっても由々しきことだった。

 

しかし抑えが効かずにズルズルと戦争に突入してしまう

 また今後の方針をどうするかの会議も紛糾してまとまらなかった。陸軍は即時開戦を主張し、海軍は見通しが立たないと曖昧な態度、一方の東郷などは交渉継続を主張と言うことで全くの平行線を辿ることになる。

 結局東条は3つの案を出す。1は臥薪嘗胆で戦争回避、2は即時開戦、3は戦争準備は行いつつ交渉を継続させるというもの。陸軍は当然のように2を支持し、東郷らは3を支持したという。明らかに3は時間稼ぎの現実逃避的な部分があるのだが、これが出て来た辺りが東条の決断力のなさのようなものでもあるとの指摘もある。また1を支持する者が誰もいなかったというのもある種の視野狭窄による末期症状に首脳部が陥っていたようである。

 結局は3になるのだが、陸軍が中国撤退を飲まない状況ではアメリカとの交渉がまとまるはずもなく、結局は自動的にアメリカとの開戦になってしまう。そして序盤こそは南方進出で優勢であった日本軍だが、徐々にアメリカに追い詰められていく。

 そんな中で東条は国家総動員で戦争に臨むための思想統制に力を入れる。また視察などで自身の庶民性をアピールするなどを行ったらしい。

 しかし戦局はさらに悪化、ついにはサイパン島が陥落して日本本土がアメリカ機によって爆撃される事態となる。事ここに及んで東条も打つ手がなくなり辞任に追い込まれることになる。

 

 と、大体このような流れなのだが、まあ東条については明らかに忖度軍官僚でありトップに立つべき器量がなかったというのに尽きるような気がする。戦争回避か開戦かということについてもどっちつかずの中途半端で、とにかく毅然たる意志というのを示したのかどうかが怪しい。天皇は東条が軍部を抑え込むことを期待したようだが、それは買いかぶりというものであって、元より東条にはそれだけの器量はなかったと言えるだろう。陸軍の方を向けば開戦一色だが、天皇は戦争回避を言っているし、一体自分はどうしたら良いんだろうと東条は右往左往していただけに見える。

 では誰ならこの時に破滅的な戦争を回避できたかであるが、正直なところ国が丸ごとのヒステリー状態になっているこの時にそれを鎮めることが出来る政治家がいたかと言えばかなり怪しい。もしそれが可能である人物がいたとしたら、天皇自身が表に出て発言するしかなかったのであるが、それはそれで別の問題があったわけであるから八方塞がりである。せめてこの時に東条が「天皇陛下の意志である」と天皇を正面に掲げて軍を力尽くで抑え込めるぐらいの気概があれば状況も変わったのだが。

 

忙しい方のための今回の要点

・日本が中国と泥沼の戦争をしていて、アメリカとの対立が不可避となってきた頃、アメリカとの即時開戦で沸騰している陸軍を抑え込むために、陸軍大臣の東条が総理を兼任することとなる。
・東条には戦争回避が天皇の意志であるということが厳に伝えられ、東条も組閣などでそれに応じた布陣を行うが、東条は結局は陸軍を抑え込むことが出来ず、最終的にはアメリカとの交渉は決裂して戦争に突入してしまう。
・開戦後は東条は国家総動員の思想統制に注力するが、戦況は次第に悪化して、ついにはサイパン陥落で本土が爆撃される状況となって辞任に追い込まれることとなる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ東条がリーダーとしてあれだったのは間違いないですが、開戦は実際は東条一人の責任ではなく、開戦一方で世論が湧き上がっていた影響もかなり大きいです。まあ国民が馬鹿だったわけですが、そこには冷静で客観的な情報が与えられず、日本にとって都合の良い情報ばかりが国民に流されていたという点も大きいです。だからこそマスコミの統制をさせていはいけないのですが。今はあの時の状況とそっくりになっている。

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