教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

12/16 NHK 歴史秘話ヒストリア「忠臣蔵 なぜ人々に愛される?」

様々な忠誠心の狭間

 つい先日、にっぽん!歴史鑑定でもありましたが、今週は忠臣蔵ウィークと言うことで、この番組のテーマも忠臣蔵。

 松の廊下での刃傷事件5日後、事件の顛末を聞いた大石内蔵助。早速対応を協議するが、幕府と一戦構えるべきという意見が多かったという。ただしその一方で浅野の一族からは迷惑がかかるので抵抗するべきではないとの手紙も届いていたという。大石は主君に対する忠義と浅野家に対する忠義の板挟みになったという。

 また家臣達がこんなに沸騰したのは、主君に対する忠義だけでなく、裁きが非常に不公平であったと言うことに対する憤りが大きかったという。当時の常識であった喧嘩両成敗に反し、浅野内匠頭は即日切腹なのに対し、吉良はお咎めなしどころか綱吉からいたわりの言葉までもらっているという裁きは非常に不合理であった。

 しかし大石は城の明け渡しを決定、家臣達はバラバラになっていく。大石はこの時に家臣達の絆が失われないように神文(誓約書)を提出させる。これは申し合わせた本意を達するということと、そのことは家族にも一切漏らさないというものであった。ここでいう本意とは討ち入りのことである。この神文が浪士達を大石の元につなぎ止める。しかしその中でそれが原因で切腹をした浪士もいた。それが萱野三平。親から仕官を勧められたが、討ち入りのことを話せなかったのでその板挟みで命を絶ったのだという。

 

周到に準備を重ねる

 赤穂藩取りつぶしの後、大石内蔵助は京都の山科で暮らしていた。この時の大石は専ら浅野大学を頂いてのお家再興を目指していた。大石はまず赤穂藩を再建することこそが忠義と考えていたのだという。しかしその一方、江戸では浪士達が暴発寸前になっていた。大石の考える広い意味での忠義と、江戸の藩士達の浅野内匠頭個人に対する忠義とのズレであった。大石は江戸の藩士の暴走を鎮めるために息子の主税を人質として送り込む。間違いなく大石が討ち入りに参加するという意思表明であった。また藩士の生活の支援や病人には薬を買い与えるなどしていた。

 だが、浅野大学は浅野本家に送られることとなりお家再興の望みが完全になくなる。ここで大石は討ち入りを決意する。だがその前に家臣達に神文を返却して解散宣言をするということを行っている。実はこれは覚悟の有無を見極める大石の企みだった。大石はここで神文を受け取った家臣をはずし、これに怒った家臣だけを討ち入りの仲間に加えることにし、これで50人ほどが残った。 

 しかし絶対に失敗できない討ち入りのためには準備が必要だった。家臣達は各々変装したり商人になったりして吉良邸の間取り図などを入手、上野介の寝所を突き止める。さらには吉良が確実にいる日程として、茶会が開かれる日に決行することにする。こうしてすべてが定まってから大石を始め家臣達は家族に別れの手紙を残している。

 

ついに本懐を成し遂げる

 そしていよいよ決行の日。表門と裏門から同時に流れ込んだ浪士達は、まず手練れのものが屋敷内を捜索し、その他の者はかすがいで家臣達の長屋の入口を封じて出られなくしたり、置いてある武器を破壊して回る。また浪士達は鎖帷子で武装していた(結局は浪士対吉良家臣の戦闘結果は圧倒的で、浪士に死者は一人も出ていない)。しかし肝心の吉良上野介は寝所から逃げ出していて行方が不明だった。このまま吉良を討ち果たせなければ目的を達成できずに全員自害するしかない。その時、物置小屋に潜んでいた上野介が発見される

 見事に本懐をなした浪士達は浅野内匠頭が葬られている泉岳寺に行き、墓前で吉良を討ったことを報告、さらには幕府に対しても自ら討ち入りの顛末を報告した。その後、浪士達は預けられていた大名屋敷で切腹、泉岳寺に祀られることとなる。大石は最後に「あら楽や 思いは晴るる身は捨つる 浮き世の月にかかる雲なし」と一辺の曇りもない晴れやかな気持ちであることを歌っているという。

 

 以上、ザクッと忠臣蔵の顛末を紹介する内容であったが、ロバート・キャンメル氏によると「正義というものをどうやって取り戻すかというものを、身分を越えて思いを共有できるような根っこがここに出来た」とし、「日本人になっていく」という顛末だとしている。主君に対する忠義というものを正面に出すと今の時代にはどうにもしっくりこないが、これが「正義を取り戻す」という話として考えると、日本人のメンタリティとしては理解しやすいということだろう。確かに今日でもこの感覚は日本人に残っており、それこそ半沢直樹とかが受けた理由だと感じる(この作品自体は私は見てないが)。

 今がまさに「上からの理不尽がまかり通っていて、正義が実行されていない時代」そのものである。ここはやはり国民が結束して「選挙」という場で正義を示してやるしかないのだろう。

 

忙しい方のための今回の要点

・刃傷事件に対しての浅野の家臣の反応は幕府と一戦構えるべしが大勢だったというが、それは家臣達が幕府による不公平に裁定に憤った結果であった。
・城明け渡しを決定した大石は、家臣がバラバラにならないように討ち入りを誓う神文を提出させる。
・明け渡し後の大石は赤穂藩再建こそが忠義と考え、お家再興に奔走するが、内匠頭個人への忠誠を重視する江戸の藩士達が暴走しそうになり、大石は主税を人質として江戸に送る。
・お家再興の望みが絶たれて大石は討ち入りを決意するが、その前に神文を返却することで家臣の決意の固さを確認し、決意の固いものだけ50人ほどを同志に加える。
・浪士達は変装したりして吉良家の内情を必死で捜索、屋敷の間取り図を入手、さらに吉良の寝所も判明する。そして茶会の日程から吉良が確実に屋敷にいる日を決行の日とする。
・表門と裏門から同時に押し入った浪士達は、吉良家臣の長屋の入口を封じると共に、武器などを破壊、手練れが屋敷内の捜索を行う。
・吉良を取り逃がしあわや討ち入り失敗と思われたが、ギリギリで物置小屋で吉良が発見される。浪士達は泉岳寺の内匠頭の墓前に討ち入り成功を報告し、幕府に出頭する。
・ロバート・キャンメル氏は忠臣蔵を「どうやって正義を取り戻すかの話」であり、日本人の根っこの部分と評する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・確かに忠臣蔵って日本人のメンタリティに訴える点は大きいです。主君のためにというのを抜きにして、正義のためにと置き換えると今でも通じる話ですから。
・というわけで、つくづくこの事件の一番の原因はマザコン綱吉なんだよな。

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