教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/6 BSプレミアム 英雄たちの選択 スペシャル「"帝国"の誕生~明治天皇・立憲君主への道~」

明治天皇のPR及びイメチェン戦略

 明治維新の結果、天皇を中心とする体制に変化したのだが、そのためには国民の天皇に対する意識だけでなく、明治天皇の意識自体も変える必要があった。明治新政府がいかにして立憲君主制へと踏み出していったかという話。

 そもそも天皇と言っても、京の人々には馴染みがあるが、それ以外の人々にとっては全く聞いたこともないような雲の上の存在であった。この時代の天皇は知名度は所詮は京都ローカルだったのである。

 新政府の大久保利通らはとりあえず天皇を御所から出そうとする。まずは1868年の3月に大阪行幸を実現、さらに7月には東京行幸を計画。こうして天皇は20日をかけて東京に到着、これで一応天皇のお披露目になったわけである。ここで大久保らはさらに天皇のイメージチェンジを図る。それまでのいかにも公家らしい天皇から、軍服を着た凜々しい天皇の姿に変わることになる。

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before→after

 天皇がこのような姿になるのは、当時の西洋列強の君主が常に軍服を纏った姿で威厳を持って描かれていたことを考えると、近代国家であることをアピールするには不可欠なことであったという。

 

天皇の全国巡行と天皇親政を目指す動き

 とりあえずの新時代を迎えることになった明治政府は次に天皇の全国巡行を計画する。これは全国の国民に天皇を見せるだけでなく、天皇に日本の国民達を直に見せるという効果もあったという。天皇は長岡で富岡製糸場の屑糸から製糸をしている新町紡績場などを視察したという。それまでの天皇は御所の奥に引き籠もって庶民の姿を目にすることなどなかったのであるが、実際に日本の国民を目にしたことで明治天皇の統治者としての意識もかなり強まったという。またこの時には天皇の移動にそれまでの駕籠や輿でなく馬車を使用して、より天皇を見せるようにしたとのこと。

 しかし大久保利通が暗殺されたことで天皇のあり方に変化が生じる。侍補と呼ばれる天皇の側近達が中心となって、儒教に基づいた天皇親政による徳治主義を目指そうと動き始める。天皇親政を求める側近達の意見に明治天皇も同調、工部卿に佐々木高行を推薦、太政大臣の三条実美にその就任を催促する。しかし天皇親政の勢いが強まることを恐れた三条実美によってそれを阻まれる。

 

立憲君主制下での天皇を目指す

 一方、政府の外では自由民権運動が高まり、政府はこれに対して国会の開設と憲法の制定を約束する。そして憲法制定の中心となったのは伊藤博文である。天皇の位置づけをどうするかを悩んだ伊藤は、ウィーンで法学者のシュタイン教授の講義に感銘を受け、プロイセン式の立憲君主制を目指すことにする。

 しかし帰国した伊藤を待っていたのは、自らの親政を阻まれて政治への意欲を失った明治天皇だった。この事態に伊藤は明治天皇に立憲君主制を学んでもらうために、明治天皇の侍従で学友だった藤波言忠にシュタインの元で憲法を学んでもらい、帰国後に明治天皇に進講することを要請する。1年に及びシュタインの元で立憲君主制について徹底して学んだ藤波は帰国後に、明治天皇に対して30回以上に渡って進講する。明治天皇はこれを熱心に学んだという。これで明治天皇は自らの役割を理解して自覚を深めていった。

 最終的に明治憲法の草案が審議された場に天皇も臨席し、専門的な難しい議論を聞き続けたという。こうして大日本帝国憲法が制定される。こうして明治天皇は立憲君主としての存在を確立したのだった。


 以上、古代の神政政治の流れを汲んでいた天皇が、近代的な立憲君主へと生まれ変わる過程の話であった。しかしその天皇もその後に現人神に祀り立てられた挙げ句に、敗戦後には今度は人間宣言をすることになるわけである。

 

忙しい方のための今回の要点

・明治維新で天皇中心の社会が成立したが、当時の天皇は京の民衆以外には全く馴染みのないものであった。そこで大久保利通らは天皇の全国行幸を計画し、天皇を日本中の国民に披露すると共に、天皇にも日本を実際に見てもらうことにする。
・しかし大久保が暗殺された後、天皇の側近である侍補を中心に天皇親政を目指す動きが持ち上がり、明治天皇自身もこれに同調する。しかし三条実美らがこれを抑える。
・その頃、自由民権運動の高まりに対して政府は国会の設立と憲法の制定を約束する。憲法制定は伊藤博文が中心となって進めることになるが、伊藤はプロイセンの立憲君主制を参考にすることを考える。
・しかし帰国した伊藤が目にしたのは完全に政治に興味を失っていた明治天皇の姿だった。そこで伊藤は天皇側近の藤波言忠に立憲君主制について学んでもらい、明治天皇に進講してもらうことにする。これによって明治天皇は立憲君主制に対しての理解を深め、自らの役割についても自覚するようになる。
・そして明治天皇も臨席の上で明治憲法の草案は審議され、ついに大日本帝国憲法の制定へと至り、立憲君主制が確立する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・天皇の地位については昔から曖昧なところがずっとあるんですよね。そして今でも「象徴」という何やら分かったような分からないような存在。まあこの象徴という位置に落ち着くまでにはかなりの紆余曲折やGHQとの駆け引きがあったようですが。

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