教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/18 BSプレミアム ザ・プロファイラー「ナポレオンの妻 ジョゼフィーヌ」

最初の結婚は失敗だったジョゼフィーヌ

 今回の主人公は英雄ナポレオンの妻となったジョゼフィーヌ。ナポレオンの勝利の女神とも、希代の悪女ともいろいろ言われる彼女であるが、どういう人物であったのか。

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ナポレオンの妻・ジョゼフィーヌ

 ジョゼフィーヌはパリから離れたカリブ海のフランスの植民地だったマルティニーク島で1763年に生まれた。元々はフランス貴族だったが、祖父の代でここに移住してサトウキビ農家を営んでいた。父は酒浸りで決して裕福とは言えない環境。一方のジョゼフィーヌも働き者とは言えず、暇があれば鏡に映る自分の姿を見ながらフランス王妃マリー・アントワネットに憧れていたという。

 16才の時にフランス本国の叔母がある男性との縁談を持ちかけてくる。相手はパリ在住の貴族。二つ返事で縁談を承諾してパリで結婚式を上げたジョゼフィーヌだが、彼女を初めて見た夫のアレクサンドルはいかにも垢抜けしない小娘であるジョゼフィーヌに落胆した。そして愛人を作って家に帰らなくなった。ジョゼフィーヌは娘と息子を産むが、この妊娠は妻の浮気の結果ではとアレキサンドルは疑うことになる。そして彼女は修道院に送られることになる。当時は浮気をしたり不貞をした女性は修道院に入るのが習わしだったという。しかしそこは毎日ミサに出席することと外泊禁止以外は規制のないお気楽なところだったという。そしてここにはジョゼフィーヌと同様に家から追い出された大貴族の奥方が多数いた。彼女はここで彼女たちから社交界のあらゆる技を学ぶ。そして1785年、32才の時にアレクサンドルと別居(当時は離婚が許されなかった)、修道院を出ることになる。そしてこれから社交界デビューと考えた矢先に1789年にフランス革命が勃発する。

 

フランス革命の中でナポレオンと出会い、結婚することに

 多くの貴族が逮捕され、憧れだったマリー・アントワネットも処刑され、夫も捕まって処刑される。次は自分かと思ったところでクーデターが発生してジョゼフィーヌは処刑を免れる。しかし2人の子供を抱えて財産は没収される。ジョゼフィーヌはショミエールと言う要人も出入りするサロンに出入りし、修道院で学んだ優雅な振る舞いで裕福な紳士をパトロンにした。彼女は借金で身なりを整えていたという。召使いにまで借金していたとか。

 そんな時、パリで王党派の蜂起が起こってパリは騒然とする。そこにナポレオンが派遣されてくる。彼は1日で王党派を鎮圧する。パリ市民が武装解除された時に彼女の息子のウジェーヌが没収された父の剣をナポレオンに返してもらったことから、彼女はその礼を言いに行き、そこでナポレオンと初めて出会う。ナポレオンはジョゼフィーヌに魅せられる。そしてナポレオンは彼女の元を訪ねるようになり、一夜を共にする。そしてナポレオンは彼女にプロポーズするが、この時彼女は友人に「彼を愛しているかと聞かれれば、いいえ愛してはおりません。」と手紙で伝えているという。しかし彼女はプロポーズを受け入れる。この時、ナポレオン27才、ジョゼフィーヌ33才である。

 なぜ彼女がナポレオンと結婚したかであるが、これは「この男、これから絶対出世する」と見込んだからとしか思えない。手練手管を学んでいるジョゼフィーヌからすれば、戦争バカのナポレオンを手玉にとるのはたやすいことだったように感じられる。またゲストが33才という年齢は、そろそろ男を捕まえておかないとこれから落ち目になるという考えもあったのではという類いの事を言っていたが、その計算はあったろう。

 

勝利の聖母ともてはやされるが、浮気で離婚の危機に

 そして二人は結婚するが、ジョゼフィーヌは1ヶ月で浮気したという。ナポレオンは戦いに忙しくなかなか帰ってこなかったが、彼は戦場からジョゼフィーヌに熱烈な手紙を何通も書いたという。しかしこれに対してジョゼフィーヌが返事を書くことはほとんどなかったという。ナポレオンはイタリアの戦場にジョゼフィーヌに来て欲しいと何度も頼んだが、ジョゼフィーヌは何だかんだではぐらかしていたという。この時の彼女は愛人との日々を楽しんでいた。一方のナポレオンはしびれを切らして戦場から離脱すると言い始める。これに慌てたフランス政府はジョゼフィーヌにイタリア行きを説得。ただし愛人付きでだったという。しかし戦場に着くと軍人の愛人はナポレオンと共に戦場に行ってしまい、ナポレオンはジョゼフィーヌを呼び寄せて1ヶ月ほど過ごした後に、戦場で大勝する。そしてジョゼフィーヌは勝利の聖母として国民から人気が出る。

 しかしジョゼフィーヌの浮気の話はナポレオンの耳に聞こえてくる。しかしジョゼフィーヌは涙を流してそれを誤魔化す。しかしエジプト遠征の時に副官のジュノーからジョゼフィーヌの素行について一部始終を聞かされたナポレオンはジョゼフィーヌとの離婚を決意する。ナポレオンの緊急帰国を聞いたジョゼフィーヌは慌てて自宅に戻るが、ナポレオンの方が一足早く、兄からジョゼフィーヌの浮気の全てを聞いたナポレオンは怒り狂ってジョゼフィーヌの荷物をすべて外に運び出させる。帰宅したジョゼフィーヌはそれを見て深刻さを悟る。ナポレオンは寝室に立て籠もって彼女の話を聞こうとしなかった。翌朝、ドアを開けたナポレオンは泣きはらしていたという。ジョゼフィーヌは二度と浮気をしないと誓う。

 

ナポレオンは皇帝となるが、後継ぎの問題が発生する

 エジプトから帰国したナポレオンは1799年、30才の時にクーデターを主導して政府を倒し、その5年後に皇帝になる。パリから65キロ離れたフランスの王族が使っていたフォンテーヌブロー宮殿で、皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌの暮らしは始まる。ジョゼフィーヌの部屋はかつてマリー・アントワネットの部屋だったという。ここで彼女はマリー・アントワネットさながらの絢爛豪華な暮らしを送る。彼女は大量の宝飾品のみならずマルメゾン城というかつての貴族の城を購入する。一方のナポレオンは戦争の毎日だった。オーストリアに侵攻して大勝利を挙げ、凱旋門を建設する。

 順風満帆に見えたジョゼフィーヌにとっての不安はナポレオンとの間に子が生まれないことだった。そこで彼女は娘のオルタンスをナポレオンの弟のルイと結婚させる。二人の間に子が生まれて後継者となれば自分は皇太子の祖母として地位は安泰と考えたのだという。しかし二人の間に生まれた長男は5歳になる前に亡くなってしまう。そうこうしている内にナポレオンが愛人との間に子を作ってしまう。この子は後継者とは認められなかったが、これで二人の間に子が出来ないのはジョゼフィーヌに原因があると考えられるようになる(彼女も既に2人の子を産んでいるのだが・・・)。

 

ついにナポレオンと離婚するが、その後も続いた関係

 そしてついにナポレオンは離婚を決断する。ナポレオンは離婚の理由として子が出来ないことを理由に挙げている。そしてジョゼフィーヌは「祖国のために犠牲を捧げることに光栄を感じる」と発表したらしい。

 離婚から5年、彼女はマルメゾン城を大々的に改修してそこで暮らした。豪華に城を飾ったという。離婚した後もナポレオンは彼女に引き続き皇后と名乗ることを許し、年に300万フラン(今の価値で30億円)も支給したという。

 ナポレオンはその後、オーストリア皇女と結婚し、息子フランソワが生まれてローマ王の称号が与えられる。しかしナポレオンはジョゼフィーヌの元に通っていたという。この頃の二人の手紙が残っている。ジョゼフィーヌはナポレオンの配慮でフランソワとも会っているという。

 しかしナポレオンはジョゼフィーヌと別れた頃から下降線に入る。ロシア遠征で敗北、ナポレオンが落ち目になったとみた周辺国は連合軍を結成してフランスに侵攻、そして1814年にパリが陥落、ナポレオンはエルバ島に流される。この年、ジョゼフィーヌは肺炎で50才でこの世を去る。死ぬ間際に「ボナパルト、エルバ島、ローマ王」と言い残したという。

 後に大西洋の孤島であるセントヘレナ島に流されたナポレオンは、ジョゼフィーヌの死から7年後に51才で生涯を終える。その最期の言葉は「フランス、陸軍、ジョゼフィーヌ」だったと伝えられている。

 

 と言うわけで何やら奇妙な関係の二人の物語でした。ジョゼフィーヌは悪女であったとは思うのだが、ナポレオンにとっては勝利の女神でもあったのも事実なんだろう。彼女との離婚がもろに転落の布石になっているのは象徴的である。それにしても彼女はナポレオンが失脚して、まさにこれからは援助が出来なくなるだろうタイミングでこの世を去っており、これもタイミングが良すぎる気もする。

 ナポレオンはかなり一途にジョゼフィーヌを愛したようですので、最初は愛してはいなかったというジョゼフィーヌも段々とほだされたところはあるでしょう。ナポレオンは「チビ、デブ、ハゲ」だったと言われているので、風貌的には彼女を魅了できるような男ではなかったのだろうと思われる。それでもやはり段々と彼の良いところが見えてきたのではないかとも思われる。それに何よりも、自分に贅沢極まりない生活を与えてくれた最大の恩人でもありますから。そういう意味では彼女は子供の頃の夢を叶えることが出来たと言えるだろう。最初は打算からでも、段々と情が通ってくるということもあったように思われる。

 実際のところナポレオンは戦続きで、女にかまけている余裕なんてなかったというのが実際のところだったんだろう。ある意味で戦中毒であり、戦がないと生きていけないタイプでもあった。そんなナポレオンが女性に何を求めていたのかというところも今ひとつ良く分からないところがある。いわゆる内助の功を求めていたとはとても思えず、やっぱり自分が命を懸ける象徴としての女神を期待していたのかという気がする。ナポレオンには多分に自己陶酔的なところが見られるし。やはりそういう点でナポレオンにとっては彼女は勝利の女神だったのか。つまりは「推しメンのためだったら命を懸けられる」っての対象が、ナポレオンにとってはジョゼフィーヌだったのか。

 

忙しい方のための今回の要点

・マルティーニ島のあまり裕福でない貴族の末裔の娘として産まれたジョゼフィーヌは、パリに出て貴族のアレクサンドルと結婚して2人の子供を産む。。しかしアレクサンドルはジョゼフィーヌの浮気を疑って彼女を修道院に入れてしまう。
・修道院には家から追い出された大貴族の妻が多数おり、ジョゼフィーヌは彼女たちから社交界の技を学ぶ。
・ジョゼフィーヌはアレクサンドルと別居となり(当時は離婚が許されていない)修道院を出るが、フランス革命が勃発してアレクサンドルも処刑される。しかし彼女はクーデターによる政変で命が助かる。
・財産を差し押さえられた彼女は、要人が出入りするサロンに出入りすることでパトロンを確保する。そんな頃、王党派の反乱が発生、それを鎮圧したナポレオンと知り合う。
・一目でジョゼフィーヌに惹かれたナポレオンは熱烈にプロポーズ、ナポレオンに愛情を感じていなかったジョゼフィーヌであるが、ナポレオンに押されて結婚する。
・結婚後もジョゼフィーヌは浮気を繰り返し、それがナポレオンに発覚して離婚の危機を迎えることになるが、二度と浮気をしないことを誓って離婚を回避する。
・ナポレオンはやがて皇帝となり、ジョゼフィーヌは皇后となる。二人は絢爛豪華なフォンテーヌブロー宮殿で暮らすことになるが、ナポレオンは対外戦争に明け暮れる日々であった。
・だがジョセフィーヌとナポレオンの間には子が生まれなかった。その後、ナポレオンが愛人との間に子を作ったことから、子が出来ないのジョゼフィーヌに問題があるとみられるようになり、ジョゼフィーヌはナポレオンと離婚することになる。
・しかし離婚後もナポレオンはジョゼフィーヌに皇后を名乗り続けることを認め、毎年多額の資金を送ったことから、ジョゼフィーヌは贅沢な暮らしを続けることが出来た。
・その後、ナポレオンが失脚してエルバ島に流された年に、彼女は病死する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ彼女が悪女かどうかなんて、当人同士の間にしか分からないことでしょう。まあ客観的に見たら悪女だと思いますが、彼女自身は別にナポレオンの足を引っ張ってはいないようです。寄生はしましたけど。

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