教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

3/3 BSプレミアム 英雄たちの選択 「心の壁を打ち破れ! 上杉鷹山 財政再建への鍵」

米沢藩再建の名君・上杉鷹山

 今回は財政が傾いて破綻状態になっていた米沢藩の上杉家を立て直した名君・上杉鷹山の話。しかし実際に彼が改革を実行しようとしたら様々な抵抗もあった。鷹山はそれらにどう対したか。なお鷹山は近年に非常に注目されている人物で、他の番組でも良く登場します。

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鷹山の伝記の定番本です実は私も読みました 

 

破綻状態だった米沢藩

 江戸幕府が開いて150年ぐらい経った頃。江戸では新しい鍋釜から金気を抜くには、「上杉」と書いた紙を貼っておけば良いと言われていた(上杉家は全く金がないので、金気が抜けるという皮肉)。こんなことが言われるぐらい上杉家の危機は知れ渡っていた。実際に財政的に立ちゆかなくなった上杉家は領地を返上することまで検討する状態に陥っていた。

 そもそも上杉家は非常に格式の高い家で、全国で18家だけの国持ち大名であり、御三家に次ぐ格式があった。もっとも国持ち大名の中では15万石の上杉家はもっとも石高は小さかった。それにも関わらず上杉家が格式が高かったのは、上杉謙信から続く名家であったことによる。謙信の時代には越後一国を有し、秀吉の元で会津120万石の大大名となって景勝は五大老の一人にまでなったのだが、関ヶ原の合戦で西軍に付いたことで30万石に減らされる。しかしこの時に景勝が家臣を減らさなかったことが上杉家の危機のそもそもの始まりになっていると言う。恐らく景勝は実はまだもう一戦交えるぐらいのつもりがあったのではないかと考えられるという。しかもこの頃はまた謙信が蓄えた15万両(約150億円)の御貯金があったという(関ヶ原の合戦から50年経った時点での額)。

 しかしそのまま江戸幕府が安定、三代藩主が後継ぎのないまま亡くなったことで取りつぶしの危機となり、ここで吉良家から養子を迎えて取りつぶしは免れたものの所領は半分の15万石にされ、しかもこの新藩主が父親の吉良が求めるままに膨大な援助を行った上に自身も大名行列を豪華にしたりなどの派手な生活をしたことで御貯金を全て使い果たしてしまう(養子がとんだ馬鹿殿だったのである)。その後は借金でその場をしのぐという状態になってしまった。ついには全藩士の俸禄50%カットの半知借上をする事態にまで陥っていた。それにも関わらず参勤交代だのお手伝い普請だのの幕府による大名貧困化政策は続くし、挙げ句に飢饉に洪水などで人口も13万5千人から10万人弱にまで減少する事態になっていたという。そしてついに藩の借金は16万両(160億円)にいたる状態となる。そして8代藩主重定の時に領地返上が検討される事態になったのだという。この5年後に再建を託されて藩主となったのが上杉鷹山である。

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上杉神社(米沢城跡)に立つ上杉鷹山像

 

質素倹約などの改革に取り組む鷹山

 米沢藩の危機の原因としては誰もが揚げるのがやはり人件費の多さ。結局は景勝が藩士を減らさなかったと言うことが響いている。近々徳川と一戦構えるつもりならそれでも良かったのだが、結局はその見込みもないままにズルズルと続いてしまい。そうなってしまうと今更人を切ることが出来なくなってしまったわけである。その挙げ句に賃金50%カットだが、元々も高給取りの者ならともかく下級藩士はこれで生活が困ることになる。さらには農村が荒廃することで収益も低下。そりゃ八方塞がりになるのも当然であった。

 鷹山は九州の小藩ら高鍋藩主の次男として生まれた。それが9才の時に上杉重定の養子になることになったのである。この時、上杉家中には小藩の末子を跡取りにすると言うことに対する不満が渦巻いていたという。江戸家老の竹俣当綱は度々鷹山の元を訪れて藩の苦境を訴えて再興の覚悟を持つように伝えていたという。そして鷹山は17才で9代目藩主となる。この時に鷹山は倹約をして国政を立て直すことを神に誓っていたという。

 鷹山は藩士に改革の方針を伝える。そして自らの生活を質素なものとして藩主にかかる費用をそれまでの1/8に切り詰めたという。また2年後の国入りの際の行列も従来の1/10の規模の質素なものにしたという。さらに国に帰ると農村改革に取り組む。不正を防ぐために代官の世襲制を廃止して下級武士から能力のあるものを登用した。さらに荒れた田畑は再度農民に与えて米作りを指導する。そして鷹山自ら農村を視察し、自ら田を耕す「籍田の令」を行って農村復興の姿勢を明確にした。また1年ごとの収入と支出の明細も作らせ、財政状況を明らかにしたという。

 だが改革を初めて4年後に江戸の大火で江戸屋敷が焼失、その再建費用で改革が頓挫しそうになる。この時に鷹山は藩士達を伐採や開墾に動員する。鷹山自身も作業現場に現れて家臣達に酒を振る舞って慰労したという。これ以降、藩士達が開墾や堤防建設などの事業に携わるようになる。

 

重臣達が鷹山に反発して軟禁を図る

 しかしこれに対して侍組と呼ばれる重臣達は反発する。上杉家の格式が破壊されると不満を持ったのである。彼らは鷹山の改革は上杉家の破壊だと考え、誤った藩主を止めることこそが自分達の役割であるとまで考えるようになる。そしてついに行動を起こす。侍組の7人が朝から鷹山の元に押しかけ、訴状を出して藩政改革の中止を訴えたのである。そこで彼らは鷹山の改革は国政を乱すもので国中の皆が改革に反対していると訴えた。彼らは鷹山を軟禁することも辞さない状態であった。実際にこの時代には家臣と対立した藩主が押し込められてしまったり隠居させられた例は増えていたという。

 番組ゲスト達もここで改革の難しさを言っている。重臣達も上杉家をどうにかしないと行けないという意識はあったであろうが、実際に改革となって自分達の権益に反しだしたら抵抗するということである。確かに会社が傾いてきたから人員整理が必要だと言ったときに、それは仕方ないと答えた従業員でも、ではお前が辞めてくれと言われたら当然抵抗するものである。

 

家臣達の意見を聞いて改革を断行する

 ここで鷹山の選択肢としては、彼らの言い分を聞いて改革を中止するか、彼らを処分して改革を断行するか、さらには訴えの審議を確認して判断の三択となる。これについてはゲストの意見は分かれたが、磯田氏の言ってた2をやろうと思えば、その前段階として3が不可欠というのがその通りだと思われる。そして実際に鷹山もそうした。

 鷹山は2日後に目付に訴状内容の審議を問いただす。目付達は不正はなく人心も離れていないと証言したという。さらに鷹山は郡奉行以下足軽頭まで家臣を多くを招集して直接に彼らの意見を聞いた全員が鷹山を支持して改革の続行を訴えた。そして訴えを起こした内の2人は切腹家名断絶、5名は蟄居閉門の厳罰が下される。

 その後、藩の収支を記した会計一円帳は藩士全員に公開され、収入を増やすために開墾した田地を下級武士の次男三男に与えて農村人口の増加を図る、特産品の開発を行うなどをした結果、米沢織の成功などで米沢藩は借金返済を完了し、さらに5千両の貯えが出来るところまで再建される。

 

 以上、藩政改革に尽くした上杉鷹山ですが、自ら率先して質素倹約に取り組んだと言うことが大きいです。自分は高給を貪ってふんぞり返り、従業員だけ改革だと切り捨てるようなゴーンの如き偽物とは違います。藩士全員に状況をつまびらかに公開し、彼らをすべて当事者として巻き込んだということが大きいでしょう。そうすることによって改革のアイディアは鷹山一人の考えだけでなく、現場の家臣などからも上がってきただろうと思われる。上から命じられるだけでなく、自らの提案が採用されたとなれば家臣達のモチベーションも上がるだろうし、非常に効果的だっただろうと思われる。

 なお最終的には鷹山は藩士の意見を聞くという民主的方法で決着を図ったのであるが、これについては単に聞いたのではなく、実際には最初の数人が鷹山を支持すると手を上げたら、後の者はそれに従わざるを得なくなるというのまで読み切っていたのではという話もあったが、それも実際そういうところもあるだろう。ただそういう形でも藩士達に一旦「私は改革を支持します」と言わせれば、それは彼らの意志としてその通りに実行せざるを得なくなるというところもある。そういう点では人の使い方にも非常に長けていたと感じる。

 私が常々不思議でならなかったのは、小藩の次男坊であるが特に市井と交わっていたというような話も聞いていない鷹山が、なぜかそこまで人の扱いに長けていたかと言うことである。しかも彼が藩主に就任したのは17才という若造の時で、そこから改革に挑んだのは20代や30代というまだ人生経験豊富とは言い難い時期だったはずである。やはりかなり良い師に出会っていたということだろうと思う。

 なおこの番組では「鷹山の改革も一筋縄で進行したわけではない」ということだけで簡単に括っているが、実際には途中で隠居して重定の息子の治広に家督を譲ったら、彼が失敗して再登板する羽目になったとか、江戸の改革を任せていた竹俣を処分せざるを得なくなったとか、本当に様々な問題が発生しており、実は今回紹介された「七家騒動」はまだまだ改革の序盤と言っても良い部分である。結局は鷹山は本当に生涯を改革だけに捧げたことになる。まさに公僕の鑑であり、今の官僚や政治家達は毎朝鷹山の爪の垢を煎じて飲んでもらいたいぐらいである。統治者がこのような人物なら税金も喜んで払うが、安倍などのように集めた税金を懐に入れたり仲間にばらまいているような者がトップでは「何で税金なんて払う必要があるんだ」って気になる。

 

忙しい方のための今回の要点

・鷹山が藩主になった時点では、上杉家は16万両(160億円)の借金を抱える財政破綻状態で、農村も飢饉や水害などで荒廃して人口も減少している惨状であった。
・19才で藩主となった鷹山は倹約によって出費を切り詰めると共に、農村の振興に手を尽くす。さらには藩士達を土木事業などに動員すると共に、毎年の収支を明確化するなどの改革に取り組む。
・しかしこれらの改革に対し、上杉家の格式を破壊するものと重臣達が反発、侍組の7人が改革の中止を訴えて鷹山を押し込めようとする事件が発生する。
・鷹山は全藩士を集めて、訴えにあった藩士のほとんどが改革に反対しているというのは本当であるかを正す。藩士達は全員鷹山の改革の支持を訴える。鷹山は訴えが虚偽であったとして7人を処分、その後改革を断行する。
・鷹山の改革によって米沢藩は借金返済に成功するのみならず、5千両の備蓄まで出来るようになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

ケネディが「尊敬する日本の政治家」として鷹山の名を挙げたというが、その時には記者達は「上杉鷹山って誰?」って感じだったらしい。最近になってこそ名君として注目されているが、かつてはほとんど認識されていなかった人です。ちなみに彼がここでもてはやされるのは、それだけ今の日本の政治家や経営者がひどすぎるということの反映でもありますが。

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