教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

3/30 BSプレミアム プロジェクトX 挑戦者たち(リストア版)「巨大台風から日本を守れ~富士山頂・男たちは命をかけた」

あの伝説の番組が4Kリストアで登場

 20年前に一世を風靡して社会現象まで巻き起こした大ヒットドキュメンタリーの4Kリストア版の放送が開始されることになったようである。この作品の主題歌となった中島みゆきの「地上の星」はこの番組のおかげで「団塊世代の応援歌」とも言われるようになって大ヒットしたということもあり、また紅白に出演した中島みゆきが極寒の黒四ダムで震えながら生で歌ったのも伝説となっております。とにかく何かと「伝説」がつきまとう番組です。また田口トモロヲの特徴的なナレーションはトモロヲ節としてこれまた世の中を席巻しました。

 実のところ当時30代だった私もものの見事にこの番組にはまりまして、私のかつてのHPだった「教養ドキュメントファンクラブ」において、ガッテンと並んでメインコンテンツになることになります。この番組のDNAは私にものの見事に刻み込まれているので、この番組のパロなら今でもいつでも出来ます(笑)。

  こういうお遊びをしちゃったこともあります

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 というわけで今回は記念すべき第1回の放送の模様。私のHPもこの番組の第1回からフォローしておりますので、以下にその時の記事のアーカイブを掲載します。

 

(2000.3.28)プロジェクトX 挑戦者たち「巨大台風から日本を守れ~富士山頂・男たちは命をかけた」

 かつて日本の気象用レーダーは非常に観測範囲が狭く、台風については上陸3時間前でないと分からないぐらいだった。そこでこの状況を打開すべく、富士山頂に巨大レーダーを建設する計画が浮上した。最終的に9000人が関与することになったこの巨大プロジェクトは、気象庁測器課の藤原寛人補佐官を中心として強力に推進されることとなった。藤原をそこまで突き動かしたのは、伊勢湾台風で多くの死者を出してしまったという苦い教訓で、台風の被害を防止するには、台風が南海上にあるうちに動きを捕らえる必要があり、そのためには4000メートル球の山頂にレーダーを設置するしかなかったのである。

 しかしこの計画にとんでもない盲点があったことが技術者から指摘される。レーダーをコントロールするための電波が富士山頂に届かないのではないかということなのである。そして技術者達は調査のために冬の富士に決死の登山をすることになる。技術者達は全員登山の素人であるから、非常に危険な登山である。この中には結婚直前の者もいたらしいが、遺書を書いて登山に臨んだとのこと。この時のことを物語る強烈なエピソードが、足下の悪さに全員をロープでつないでくれと要求したら、そうすればもし一人が滑ったら全員が滑り落ちることになるから、死ぬときは一人で死んでくれと言われたということである。

 命がけで山頂にたどり着いた技術者達は、山頂で火を燃やし、それを気象庁から黙視することで、電波を届けることが可能であることが確認されたのである(つまり直線間に障害物がないということ)。

 

 しかし建設が始まってからも前途多難だったらしい。困難な物資の運搬、高山病との戦い、体力の限界に達して次々と脱落していく作業員。現場監督をしていた伊藤庄助は自分自身も高山病でボロボロの状態で必死で作業員を鼓舞して工事を続けたとか。

 そして最後の問題となったのが、レーダーを守るためのレーダードームの運搬。骨組みだけで重さ620キロあるこのドームを空輸できるヘリは当時の日本にはなかったのである(450キロが限界だったらしい)。この事態に起用されたのが、旧日本海軍航空隊の神田真三氏。彼はヘリコプター操縦のベテランだった。しかし富士山頂の気流は複雑で、わずかのミスで命取りになる。空輸決行日は8月15日(終戦記念日になったのはなんとも運命的なものだ)、空輸用のヘリはわずかでも軽くするためにドアや副操縦席をはずされた状態だったとのことで、まさに決死の覚悟なのである。

 こうして難航を極めた工事も完了し、富士山レーダーはやっと稼働にこぎ着け、この後の気象予報に活用されることになり、台風の被害を抑止していくことになる。なおこの富士山レーダーも気象衛星に役目を譲り、去年活動を停止した。なおこのプロジェクトの中心となった藤原氏は、気象庁を退官後に作家に転身した。彼こそが実はあの新田次郎氏なのである。

 全体的に人間群像ドラマとして実にうまく描かれており、フィクションなどでは期待できないような興奮を感じることが出来る。ともすれば退屈になりがちなドキュメントの描き方としては非常に巧妙だと言えよう。

 

 以上、過去記事のアーカイブですが、上の記述では結構あっさりと記しているヘリでのドーム輸送が今回改めて見てみると、かなり熱いドラマ仕立てになっていて今回の内容の後半の胆になってました。当時に触れていない部分を補うと、富士山上空は乱気流のために危険で、一つ間違うと直ちに墜落の危険があったようです。操縦士の神田は重量オーバーの分は向かい風で浮力を稼ごうと計算していたのだが、当日になると山頂は無風になってしまい、浮力不足で安定したホバリングが出来ず、機体が揺れてなかなかドームを下ろすことが出来なかったのを、作業員が総出で押さえつけて何とか据えることが出来たとか。命がけの男たちの熱いドラマです。まあ異常な熱さは初見の時から私も感じており、その感覚は私の記事からも滲んでおります。

 なお番組最後でこのプロジェクトを指揮した藤原寛人補佐官が実は後の作家の新田次郎であるというサプライズが入ってオチとなっていますが、これは私も驚いたところです。やっぱり一流の仕事をしたような男は、一流の文章も書けるということか。そうすれば、一流の仕事とはほど遠い私は、やはり二流以下の文章しか書けないのも致し方ないところである。

 今回番組開始に当たってかつての放送を振り返る趣旨で、国井雅比古氏と田口トモロヲ氏が登場していたが、お二人ともすっかり歳を取っているのに驚かされた。しかし考えてみると私もあの頃は30代の若手研究者だったのが、今では50代のベテラン(というよりもむしろ老害か?)である。何やら時間の流れを感じて悲しくなるが、それでも未だにこの番組を見ると何やら血が沸き立つのは何だろうか?

 

次回のプロジェクトX

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