教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/20 BSプレミアム プロジェクトX 挑戦者たち(リストア版)「執念が生んだ新幹線~老友90歳・戦闘機が姿を変えた」

世界最速の超特急登場

 今回はいよいよ新幹線が登場です。やっぱり戦後を代表する大型プロジェクトと言えばこれが花形でしょう。日本の鉄道技術の高さを世界に広めることとなった画期的技術開発の物語です。

 というわけで今回もとりあえず私のアーカイブから。

 

執念が生んだ新幹線~老友90歳・戦闘機が姿を変えた(2000.5.9放送)

 日本が世界に誇る技術の一つが超特急新幹線である。この超特急の開発には旧陸海軍の技術者の平和への想いがこもっていた。

 戦後、焼け野原の中で鉄道の技術開発が行われた。これに携わったのは陸海軍で兵器の開発にあたっていた技術者たちである。この中で目立ったのが海軍で零戦の改良に携わっていた松平精、陸軍の大尉で通信技術のスペシャリストであった河辺一、海軍で爆撃機の機体設計を任されていた三木忠直の三人である。この三人が鉄道の開発に携わる。しかし彼らには戦争の十字架がのしかかり、一筋縄ではいかなかった。まずその中の河辺が戦争責任で研究所を追われる。松平は研究所は追われなかったものの、脱線の原因は車両の振動にあるという研究所内での彼の発言は無視され冷遇されていた。また三木は特攻戦闘機桜花の設計に携わったという重い十字架を背負っていた。彼は救いを求めてクリスチャンとなる。

 そして10年後鉄道技術研究所に新所長が就任、彼が鉄道の未来技術を説明する講演会を企画し、これがきっかけでこの三人が出会い、新型特急の構想がまとまり始める。三木は鉄道に飛行機の技術を導入することを考え、松平は新型台車で脱線を防止することを考え、河辺は低周波を利用して列車を安全に停止させる技術を考えていた。彼らが考えた超特急は大阪・東京間を3時間で結ぶという構想をぶちあげる。この技術をぶちあげた彼らの講演は大反響を呼び、これが国鉄総裁の目に留まる。こうして彼らのプロジェクトは現実に動き始めることとなった。

 

 松平は高速運転にともなう台車の異常振動(蛇行動)を防ぐ技術の開発をおこない、河辺は列車の自動停止システムの技術開発に邁進していた。そして三木は空気抵抗を減らすための車体のフォルムを研究していた。三木は美しい車体こそが空気抵抗が少ないと考え、自らが手がけた急降下爆撃機銀河をイメージして新幹線のフォルムを考え出す。

 こうして新幹線の試作機が開発され、試験走行が行われることになる。その最中「自分の技術はすべて出し尽くした」と三木は辞表を提出する。そして松平と河辺の二人は責任者として試験列車に乗り込む。緊張する関係者の中で彼ら二人は落ち着いていたという。この辺りに開発者達の自信のほどがうかがえる。試験走行は成功し、最高速256キロを記録する。

 番組としてはなかなか興味深い内容であったが、ただ今回はこの番組の特徴の一つである「熱さ」がイマイチである印象を受けた。技術者達の執念を伝えるエピソードが意外と少なかったのが原因だったんではないだろうか。これは逆に言えば、新幹線の開発は技術者集団で行われており、決して一人の技術者のみよるものではないことを語っているのではないか。 

 

今日的な補足を

 以上、私のアーカイブである。この新幹線辺りから「敗戦によって空を奪われた元航空技術者達の執念の技術開発物語」というこの作品の黄金パターンが何度も出てくることになる。当時の戦闘機開発は日本中の優秀な技術者を総動員していたので、そこから散っていった技術者達が戦後に新幹線開発をしたり、自動車開発をしたりなど各産業を支えていくことになるのである。

 ところてで私の記事でも『「熱さ」イマイチ』と記してあるのだが、実際に改めて今回番組を見直してもやはり同じ印象を受けた。この番組は既にここまでで青函トンネルやVHSなどかなり「熱い」物語を描いており、とにかくこの番組は暑苦しいというスタイルが確立していたのであるが、この回に限っては新幹線という大プロジェクトの割にはやけに淡々と描いている印象を受けた。主役級が数人になって焦点が拡散した感があったのと、意外に主人公達が逆境に追い込まれる場面がなかったからではないかという気がする。

 なお今から思えばあの3人が主役に抜擢されたのは、この番組作成時点でまだ存命だったからだろうと考えられる。もっともこの時点で90才とのことなので、お三方は今頃はあの世で再会していることだろうと思われる。何しろ0系は問題外としても、「現在の新幹線」として登場している型式自体が既に見かけないものになっているということ一つとっても、番組以降の時間の流れを感じさせる。こうして改めて見てみたら0系新幹線って、やっぱりデザインの原点は航空機だったんだなってことを改めて認識させられる。

 

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