教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/26 NHK 歴史探偵「渋沢栄一inパリ万博」

パリ万博での政治的アピールを考えた幕府

 幕末、幕府の力が衰えていく中、1867年のパリ万博に参加することで幕府の権威を示そうと考える。この一行に加わっていた一人が実は渋沢栄一である。大河関連企画ということでパリ万博の内幕を紹介。

 万博は国家の力を示す舞台でもあった。慶喜はこれに興味を示し、弟の昭武をパリ万博に送ることを決める。幕府が日本の唯一の政権であることを諸外国に示そうとしたのである。幕府は800点ほどの展示品を用意するが、これらはその後所在不明となっている。しかしこの度、パリ万博に展示されたと見られる屏風がスイスで見つかったという。

 

当時の出展作品を発見

 問題の屏風はスイスの美術館に展示されていた龍田川を描いた金屏風。通常の屏風よりも大きい高さ266センチと通常の1.5倍あるのが特徴。外国人の目を惹くためであると考えられる。この屏風の作者は狩野派の当主である狩野雅信であり、幕府が御用絵師であった狩野派に作成させたと考えられる。絹地に金泥を使用するという超絶技巧かつ豪華絢爛な作品である。

 さらには浮世絵の紙を縮ませることで色を鮮やかに見せる縮画も見つかった。これらは万博でパノラマのように展示されたと考えられるという。幕府は相当に気合いを入れて展示を行っている。

 

しかし薩摩に出し抜かれてしまう

 しかし会場に乗り込んだ幕府使節団の一行はとんでもない事態に遭遇する。日本の展示スペースの1/3が薩摩に乗っ取られていたのである。薩摩は万博の2年前にイギリスに留学生を派遣していたので、彼らを通じて幕府よりも先に万博の情報を入手しており、おかげで幕府を出し抜くことに成功したのだという。しかも薩摩は支配下に置いた琉球を正面に押し出して、薩摩琉球国と名乗らせることで薩摩が独立国である態をなしていた。

 幕府は薩摩を封じるために会談を行う。ここで薩摩は独立国としての出品は取り下げる。しかし現地の新聞では薩摩が幕府と同等の扱いで取り上げられていた。実はこれには裏があり、薩摩はgouvernement de Satsoumaとして出展するとしており、このgouvernementは当時は「藩」と訳されていたことから幕府はそれで了承したのだが、gouvernementとはつまりは英語のgovernmentのことであり「政府」の意味があることから、日本には二つの政府があると捉えられてしまったのである。明らかに事情に通じている薩摩の策略であった。これは幕府にとっては大きな失態であった。

 

日本文化のアピールには成功

 このように幕府の権威付けという目的に失敗した幕府であったが、日本文化のアピールという点では、日本の高度な工芸品が高い評価を受け、ナポレオン三世から昭武がグランプリを受賞する。日本の文化の高度さは西洋に伝わったのである。

 しかし一行がパリに滞在している間に日本では大きな動きが起こっていた。慶喜が大政奉還をしたという報を渋沢達はパリで聞くことになる。さらに鳥羽伏見の戦いが発生、挙げ句に慶喜が脱出という事態になって幕府軍は惨敗する。この報を聞いた渋沢が何を考えていたかを伝える資料として、昭武が慶喜に宛てて書いた書簡の草稿がある。実際にはこれは渋沢が書いたと推測されているのだが、そこでは薩摩に屈服した慶喜に対して「こここれこから挽回することは出来ない」と怒りをぶつけている。

 渋沢は昭武を守るためにパリに残ることにするが、送金が途絶えて滞在費用にも事欠くことになり、自力で資金を運用するなどに迫られることになる。しかし日本の体制が定まり、相次ぐ帰国要請を受けてついに渋沢は帰国することになり、その前に展示品の始末をつけることになる。これらは地元の商人に渡され、各地に散らばっていくことになる。実はこれらの作品がヨーロッパの芸術に影響を与え、ジャポニズムの流行につながることになるのである。

 

 というわけで渋沢絡みでパリ万博のことを紹介しましたが、実際は下っ端の渋沢はさして活躍してません(笑)。なお渋沢はこの時にヨーロッパの企業のシステムなどを学んで帰り、それが帰国してからの多くの起業につながっています。日本資本主義の元祖と言われる渋沢栄一はこのパリ行きによって誕生したことになります。

 大河ドラマ絡みの企画でした。どうも今回の大河はあちこちで関連企画をやって盛り上げに必死であるが、これは裏を返すと恐らく今回の大河が今ひとつ不振なんだろう。やはり明智光秀を扱った前作の「麒麟がくる」に比べるとネタが地味であるということが否定出来ない上に、ドラマ自体もここまで謂わばひたすら前ふりであり、ハッキリ言ってかなり退屈である。正直なところ私も、栄一が慶喜の家臣になるまでに14話もかけたのは「引っ張りすぎ」だと感じている。ここまでのダラダラ展開で多くの視聴者がオチたのではなかろうか(私もオチかけた)。私なら栄一が慶喜の家臣になるのは6話ぐらいで、今頃はパリに行っている展開にしたろう。とにかく題材云々だけでなく、ドラマにメリハリがなさ過ぎる。

 今回の内容的には渋沢は以前にヒストリアでも扱ってますが、その時にはパリ万博のエピソードはほとんど出てこなかったので、それを中心にしたという点では一応は新しい切り口になってます。まあそれなりには興味深い内容であったと感じます。

 

忙しい方のための今回の要点

・幕府はその権威を示すためにパリ万博への出展を決め、慶喜の弟の昭武が使節として送られる。その随員の一人に渋沢栄一がいた。
・しかし展示では留学生などを通じて事前に情報を得ていた薩摩に出し抜かれ、日本には二つの政府があると認識されてしまう外交上の失態を犯す。
・ただし日本文化をアピールするという点では大成功し、その高度な工芸などが高く評価された日本はグランプリを受賞する。
・一行がパリにいる間に日本では大政奉還や鳥羽伏見の戦いが起こる。渋沢は昭武の身を守るためにパリに滞在を続けるが、日本の体制が定まって帰国指示が相次いだことから帰国を決める。
・その前に展示品は現地で処分され、それらが各地に散らばってジャポニズムのブームにつながる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・結局はここで日本の技術力をアピールしたことが、明治以降の日本の工芸品の輸出につながることになります。そう言う意味では幕府の権威付けには失敗しましたが、日本の地位向上には役に立ったんですよね、この万博。

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