教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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6/2 NHK 歴史探偵「秦の始皇帝」

この手の番組では珍しい外国ネタです

 現在、NHKでは「キングダム」の放送中と言うこともあり、今回のテーマは秦の始皇帝。今更言うまでもなく歴史上初めて中国を統一して秦帝国を建国した人物である。そしてキングダムの主人公の信のマブダチでもある。今回はNHKの歴史物としては珍しい外国ネタと言うことになる。

 というわけで今回の探偵の青井アナははるばる中国まで飛んで・・・なんて予算がこの番組にないのは言うまでもないことで、青井アナがやってきたのはなぜか姫路。といっても姫路城ではなく、目的地は「太陽公園」。ここは自由の女神や凱旋門に果てはモアイまで立っているという実に怪しげな施設。どことなく榊原温泉のルーブル彫刻美術館を連想させるような怪しさであるが、ここに始皇帝の墓陵である兵馬俑抗のレプリカがあるという。施設は怪しげなのだが、ここの兵馬俑は実際に中国で製作して運んできたとかいう結構本格的なものらしい。

 

秦の優位性の一つは騎馬隊

 で、ここを調べて青井アナが秦が中国を統一出来たわけを紹介・・・といっても青井アナが何を説明出来るわけでなく、単に観光しているだけ(笑)。実際には東洋古代史が専門の学習院大学の鶴間和幸氏が解説してくれる。秦の兵馬俑を見ていると様々な兵種の兵が描写されているが、そこに存在する騎兵がポイントであると言う。当時の秦帝国は巨大な騎馬部隊を有し、それが他の国に対してのアドバンテージだったという。では他の国はなぜ真似が出来なかったか。

 それを調べるために青井アナは当時の中国の馬に近い馬が飼われているという木曽馬の飼育場へ・・・って、ここは最近になってNHKの歴史番組でやたらに登場するのだが。とりあえず乗馬初体験という青井アナが当時の甲冑を着けて馬に乗ってみるが、木曽馬は背丈が低いこともあって問題なく騎乗可能・・・なんだが、ここに落とし穴がある。当時は今と違って鞍や鐙がなかった。そこでこれらを外したところ、もう馬に乗ることさえ一苦労。しかも乗れても体勢が安定しないので剣を振り回すどころでない(青井アナがヨレヨレで兜がズレかかっていたのが笑えるが)。つまりは馬に乗って闘うとなるとそれなりの技術や訓練が必要であり、簡単に真似出来るものではないという。

 秦がこのような騎馬隊を導入出来たのは一番西方に位置する秦は、さらに西方に居住していた遊牧騎馬民族との交流があったから。恐らく彼らから馬の乗り方や育て方などの技術を取り入れたと考えられる。また山地の多い秦は良馬の産地でもあったという。なお秦はその立地の関係でシルクロードの交流も行っており、西方の先進文化の導入もしていたのではとのこと。

 

もっとも「本当か?」というところもあるが

 というわけで秦が軍事的に強かった理由の一つは騎馬隊が強かっただが、ここでキングダムを読んでいた読者(私も含め)は、あれっとと感じるところだろうと思う。騎馬隊についてはやはり北方騎馬民族との抗争が多かった趙も早くから騎馬を取り入れ、そのために胡服に服装を改めるなどということを行っている。キングダム中でも飛信隊の騎馬隊が、李牧様の騎馬隊に簡単に引き離されてしまうシーンや、同じく李牧様の断崖逆落としで砦が落とされるシーンなんかもあったことから、「騎馬については趙の方が上」というイメージがあることと思う。実際に私もそういうイメージを持っている。残念ながら番組ではこの辺りはスルーだった。まあ趙の騎兵についてはキングダムが過剰評価している部分があるのは事実でもある。実際は趙の胡服騎射は騎馬民族などに苦戦した趙が、後出しで導入したものという側面が強いが。

 

秦の強さを支えた新兵器

 さて秦の強さは騎馬隊だけで説明するのは無理がある。で、次に登場するのが新兵器の開発。ここで登場するのがいわゆる今で言うところのボウガンである。当時の遺跡からも青銅製の弩の引き金部分が発掘されている。

 そこでこれを元にして弩を復元してその能力を調べると言うことを番組では実施。ただし当時のものは材料節約もあって外回りをかなり薄く作ってあるのだが、それをそのまま再現しようとしたら鋳型に青銅を流し込むのが困難とのことで、やや厚めに再現してある。

 これを体験するのが青井アナの同期で元証券マンという比田アナ。青井アナが「体力が心配」なんて言っていたが、確かに武官よりはもろに文官タイプである。まずは弩の優位性を体感するために比田アナが弓を引いてみているが、全然腕力が足りなくてつるの引き方がヘロヘロ。狙いをつける云々以前に前に飛ばない状態。まあ比田アナのはあまりに情けないが、要は通常の弓をまともに打てるようになるにはそれなりの訓練が必要であるということ。

 一方の弩はつるを引く時は足なども使えるので誰でも引っ張れる。そしてそこに矢を置いて狙うだけなので、狙いをつける間中つるを引き絞る必要のある弓と違って力がいらない。比田アナでも真っ直ぐに矢を打てるというわけである。しかもその矢は鉄板に易々と突き刺さるという威力。なおこの弩、つるの精度が悪いせいで矢が上下に揺れ、そのことによって矢の初速がかなり落ちているという分析結果から、当時の弩は今のボウガンなみの性能があったとして、当時の矢を今のボウガンで打ってみたところ、鉄板を軽々と貫通した。

 この弩のポイントは、その威力もさることながら、比田アナでも打てたというところが最大のポイントである。つまり、剣や槍は武術の心得がないとまともに使えないし、弓もやはりかなり訓練が必要。しかし弩だと訓練なしでいきなり前線投入が可能と言うことになり、農民から徴兵した兵などでも前線で使用出来たということになる。これは兵力的にはかなり有利になる。件のキングダムでも、城の防衛戦で女子供まで弓兵として導入して必死の防衛戦をするシーンが記憶にある読者も少なくなかろう。

 

完全能力主義も秦の台頭の理由

 さらには秦の完全能力主義なども、貴族主義の他国を押しのけて秦が強大化して理由の一つでもある。新興国ゆえに新しい制度を柔軟に取り入れられたことになる。

 こうして中国全土を統一した秦であるが、中国の各地方はバラバラであり、さすがの始皇帝もそれを一つの国としてまとめるのには苦労している。始皇帝は自らの姿を各地で民衆に見せるために全国行脚をするが、結局はその途中で亡くなってしまう。そして始皇帝という強烈なカリスマを失った秦はその後、わずか4年で崩壊。結局は強力な統一帝国の登場はその次の漢帝国の登場を待つことになる。

 

 近年、とみに再評価が進んでいる始皇帝についての内容。始皇帝はかつては漢代の資料によることが多かったために、どうしても「焚書坑儒」に見られる暴虐な独裁者のイメージが強かったが(中国で先の王朝に取って代わった王朝の記録は、常に先の王朝のことをボロカスに書く)、近年の研究の進展によりそのイメージは変わりつつある。さすが「人の本質は光だ」と語るキラキラした美少年は美化のしすぎだとしても、少なくとも大胆な発想と行動力よって戦国時代に終止符を打った英邁な君主という評価にはなってきているようである(当然のように猛烈な負の面も兼ね備えているが)。

 騎馬と弩のことを秦の軍事力の強さとして上げていたが、それは確かにあるものの、所詮はそういうハード的なものは他国も追随するものである。やはり実際は能力主義による人材登用と強烈な中央集権による決断の早さというのが最大のポイントだったのではと私は感じるところである。当初は辺境で文化的に遅れて国力も弱かった秦が、強国へと発展したのは人材登用のシステムで登場した強力な文官達によるものだったし、軍事力的には秦にひけをとらなかったはずの楚が秦に敗北したのは、王侯貴族中心による旧態依然とした社会構造に問題があったことを考えれば、秦の特異性が際立つというところである。

 

忙しい方のための今回の要点

・中国統一をはたした始皇帝の秦であるが、秦が他国よりも軍事的に秀でていた理由を探っている。
・一つは騎馬隊の充実。当時の騎馬を操るには高度な技術が必要であり、西方の遊牧騎馬民族と交流のあった秦はそのノウハウを取り入れることで騎馬隊を導入することが出来た。
・また新兵器である弩の導入。弩は扱うのに訓練が不要であるので、農民から徴用した兵士をすぐに前線に投入することが出来、軍事的に優位性が高かった。
・さらに能力主義の人材登用なども効いているという。
・しかし中国の各地はあまりに文化が違いすぎたので、全国を統一した始皇帝もその統合過程で亡くなり、カリスマを失った秦帝国はその4年後に滅ぶ。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・始皇帝は強烈だったんですが、問題はその後です。太子はそれなりに英明だったとされますが(殺されているのでその実力は不明だが)、宦官の趙高が馬鹿皇子を二世皇帝にしたことで、呆気なく秦帝国は滅んでしまいます。これは日本の戦国時代でも見られた「後継者選択の難しさ」と「君側の奸をいかにして排除しておくか」という話でもあります。何も戦国時代に限らず、今の企業でも後継者選択に失敗して滅ぶところは少なくないです。

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