教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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6/14 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「最強の軍師は誰だ?秀吉の軍師・半兵衛と官兵衛」

秀吉の二大軍師の対決

 竹中半兵衛と黒田官兵衛、共に秀吉の天下取りに大きく貢献した軍師である。半兵衛は主に秀吉が信長の家臣として頭角を現してきた時期に活躍し、官兵衛は中国討伐など秀吉の天下取りに貢献、二人が共に秀吉に仕えた時期はほんの数年しかない。この秀吉の二大軍師に甲乙をつけるならどちらに軍配が上がるか。この二人を戦術、交渉術、人間力、危機管理能力、秀吉からの信頼度の5項目を20点満点で採点して比較しようという企画。

 

両者の戦術を比較

 まず戦術。半兵衛は齋藤龍興の家臣だったが、龍興が家臣の意見を全く聞き入れなかったことから、半兵衛はクーデターを起こして十数人で稲葉山城を乗っ取ると事件を起こしている。半兵衛は稲葉山城に詰めていた弟の久作に仮病を使わせ、その見舞いとして城に乗り込む。この時に酒とごちそうを入れていると偽って持ち込んだ長持ちに武器を満載し、その武器で立ち上がって龍興の側近6人を殺害、これに慌てた龍興は城から逃げ出すという羽目になったのである。この時半兵衛は21才だったという。この報を聞いた信長は稲葉山城を明け渡せば美濃の半分をやろうと持ちかけるが、半兵衛はあっさりと城を龍興に返してしまう。半兵衛の目的は美濃を乗っ取ることでなく、龍興に対して諫言することだったのである(龍興の回りの奸臣を排除するというのもあったろう)。半兵衛は龍興が信長に滅ぼされた後に信長に仕えて秀吉の与力になる。

 半兵衛の戦術は浅井攻めでも発揮されている。秀吉が小谷城を包囲する横山城に入った時、浅井が横山城の秀吉軍をおびき出して叩こうとした戦術を見抜き、出撃しようとした秀吉をすぐに呼び戻すと、接近してきた浅井勢を伏兵で撃破したという。さらに小谷城攻めの終盤、信長にお市の救出を命じられた半兵衛は、城内の様子を調査し、強行派が長政の父の久政であること、長政とお市は手前の本丸に久政は奥の小丸に籠もっていることを突き止める。そこで半兵衛は中間の京極丸を落として両者を分断、その上で長政にお市を引き渡すように交渉したのである。こうしてお市と娘たちは助かることになる。

 これに対して官兵衛は秀吉の中国攻めで様々な戦術を行使している。福原城攻めでは三方を囲んで攻撃、残りの一方から逃げ出した敵を待ち受けて撃破という囲師必闕という戦術を駆使している。さらに鳥取城攻めでは城下の食料を倍の値段で買い占めた上で、領民を城に追い込んで籠城戦に持ち込ませて兵糧攻めにしている。城内は多くの餓死者が出てやむなく降伏という餓え殺しを行っている。そして湿地で攻めにくい備中高松城に対しては、堤防を築いて川の水を引き込んで城を水没させる水攻めを行っている。味方の消耗を最小限にして勝利を得るという手法に長けている。

 小和田氏による採点では官兵衛の方が情報を活用して有効な手を打っているということで、半兵衛14点、官兵衛18点としている。

 

交渉術と人間力は

 次は交渉術であるが、半兵衛は小谷城攻略の際に多くの寝返り交渉を行っている。さらに半兵衛は外交交渉だけでなく、秀吉のことを快く思っていない重臣に対し、上手くおだてて警戒感を解かせた上で、アドバイスの形で誘導するというような方法で巧みに相手を操作したという。

 これに対して官兵衛の交渉術は小田原攻めで発揮されている。ここで官兵衛は北条氏直・氏政の親子に酒と魚を届けるという形でプライドの高い北条氏に礼を尽くしている。これに対して北条側が鉛玉と火薬を送り返してきたのを見て、北条側に戦う意志がないメッセージと受け取り、丸腰で単身交渉に乗り込んでいる。こうして北条氏は降伏した。

 採点は官兵衛がより大きな交渉をまとめたということで、半兵衛15点、官兵衛18点としている。

 次の人間力については、両者が共に働いていた頃のエピソードから求めている。官兵衛が多くの敵を寝返らせたことで秀吉から感謝状を受けた官兵衛が、有頂天になって得意げにそれを半兵衛に見せたところ、半兵衛はそれを破り捨てて「こんなものを残しておいてもそなたの為にならぬ」と戒めたという。半兵衛は手柄を誇ることを恥と考えていたという。また謀反を起こした荒木村重を説得にいった官兵衛が捕らわれた時、信長は官兵衛が裏切ったと考えて人質にしていた官兵衛の嫡男の殺害を命じるが、半兵衛は官兵衛のことを信じて密かにそれを匿ったという。後に救出された官兵衛は半兵衛に深く感謝したという。

 以上から人間力は半兵衛18点、官兵衛14点としている。

 

危機管理能力に秀吉からの信頼、そして総合判定は?

 危機管理については半兵衛は緊急時に惜しまずに捨てられるように、高価な馬には乗らずに安い馬に乗っていたという。これに対して官兵衛の危機管理といえばやはり中国大返し。秀吉軍は現地の豪族などとの混成軍であり、下手すれば瓦解の危険もあった。しかし官兵衛は秀吉に「天下取りのチャンスが来た」と奮起を促し、家臣達には「秀吉が天下人になれば皆出世は間違いなしだ」と欲を刺激して大返しを成功させている。

 と言うわけで半兵衛14点、官兵衛17点としている。

 最後は秀吉からの信頼であるが、半兵衛は三木城攻めが最後の戦となっているが、半兵衛はこの闘いの最中に病で倒れ、36才でそのまま戦場で命を落としている。秀吉はその亡骸にすがって泣き崩れたという。私利私欲のない半兵衛は秀吉に心から信頼されていた。一方の官兵衛は、その大活躍に対しては与えられたのが豊前12万石という小国で、晩年に秀吉に警戒されていたことが覗える。実際に秀吉が家臣達に「自分が死んだ後に天下を取るとしたら官兵衛だ」と言ったとのことで、官兵衛が秘めている野心を秀吉が見抜いていたのではとする。

 と言うわけで半兵衛18点、官兵衛15点としている。

 そして総合成績であるが、半兵衛79点、官兵衛82点で官兵衛の勝利というのがこの番組の結論。

 

 まあ、そもそも二人とも違う状況で秀吉に仕えているので、同列に評価するのがそもそも不可能である。官兵衛は大きな実績を収めていることから戦術や交渉術などが高評価になっているが、半兵衛がその能力が無かったわけでなく、半兵衛の頃はそこまで大きな舞台がなかっただけである。

 また逆に官兵衛が晩年に秀吉から警戒されたのは、確かに官兵衛に秘めた野心があったということも言われているが、そもそも晩年の秀吉は独裁者の孤独でかなり疑心暗鬼に陥っていたので、官兵衛が能力が高いと言うだけで警戒したという面がある。果たしてこの状況下で半兵衛なら最後まで秀吉の信頼を失わなかったかは疑問もある。

 とにかく半兵衛はあまりに早逝しており、その意味では完全にその能力を発揮したとは言いにくい側面もあるだろう。時代的に官兵衛の方が活躍の舞台が多かったと言える。

 

忙しい方のための今回の要点

・秀吉の天下取りに貢献した二人の軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛を戦術、交渉術、人間力、危機管理能力、秀吉からの信頼度の5項目で採点して比較している。
・戦術では多彩な戦術を駆使した官兵衛が上、交渉術では小田原で北条氏を降伏させた官兵衛が上、人間力では半兵衛が上、危機管理能力では中国大返しを成功させた官兵衛、秀吉からの信頼は半兵衛が上で、総合評価は官兵衛の方が上としている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあこの手の企画って「もし○○と△△が戦わば」みたいなものです。まあ言った者勝ちですね。今回の小和田氏の採点ではこうなりましたが、採点者が変わると自ずと結果は変わるでしょう。ちなみに私の勝手なイメージは竹中半兵衛がキルヒアイスで、黒田官兵衛がオーベルシュタインです(笑)。半兵衛って若くして亡くなってしまったこともあり、何か爽やかイメージがあるんですよね。これに対して官兵衛の方はもっとどす黒いイメージがある(笑)。

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