教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/16 NHK 歴史探偵「謎の将軍 徳川慶喜」

大河の主人公?の徳川慶喜の真相に迫る

 今回の主人公は大河ドラマ関連で草薙剛・・・でなくて徳川慶喜である。とにかくその行動に謎が多くて、未だに捉えどころかないと言われている人物であるが、その謎の中から特に大政奉還と鳥羽・伏見の戦いに関する謎に迫る。

 幕末の事件について自ら語ろうとすることはしなかった慶喜であるが、その慶喜の元に通い詰めて慶喜の証言を取ったのが渋沢栄一だとか。番組では渋沢資料館が所蔵している「昔夢会筆記」という慶喜の回顧録を取り上げている。慶喜は自分の死後に公開することを条件に渋沢の取材を承諾したという。

 

「一同承知」の大政奉還の裏側

 大政奉還に関しては慶喜は「一同がそれを承認していた」と語っているという。しかしここには実は慶喜による誤魔化しも入っているという。実際に「記憶にない」とか「覚えていない」という表現も多く、都合の悪い事実に関してはとぼけているようである。

 そこで番組ではAIを活用して慶喜の真意に迫ろうとしている。静岡大学の狩野芳伸氏はAIに慶喜の文書を読ませ、そこから曖昧な表現(○○な筈だとかの表現)をピックアップすることによって誤魔化しが入っているかどうかを見極めようとのこと。その結果、大政奉還については9割に曖昧な表現が用いられており、誤魔化しがあるのではないかと推測している。

 で、番組は「一同が政権返上を承知している」というのが怪しいのではないかと考えて突っ込んでいる。そもそも慶喜は「一同が承知している」という表現を非常に好んでいるという。番組では二条城の取材までしているが、ここで出てくるのは実は大政奉還の発表は1日目は徳川家の家臣に向けて、2日目に諸大名に向けて行われたということを紹介しているだけ。ハッキリ言ってわざわざ二条城まで行っている意味はない。

 

記録から浮上した慶喜の策士ぶり

 要は話の肝は、家臣団に向けての説明である1日目はともかく、諸大名が集まる2日目では大名達から異論が出ないはずがないということである。それをどうやって「一同が承知」に持っていったのか。

 それには仕掛けがあったという。事前に大政奉還に同意の後藤象二郎を含め少なくとも3名に働きかけて、大政奉還に反対する者がいれば論破してくれと、味方に引き込んでいたのだという。ただそれでも40藩の50人が参加する中で賛成派が3人では心許ない。そこで事前に大政奉還が実施されるという情報を事前に流し、突然呼び出された京にいた藩の役人達が慌てて国元に問い合わせをしたりのために帰国することで、その場の参加者は6人にまで減っていたのだという。その状況で3人には事前に根回し済みであることから、発表と同時に賛成意見が相次いでその場は「一同承知」で収まったということらしい。つまりは慶喜はなかなかに強かな策士であるのである。

 

鳥羽伏見の戦いでの慶喜の計算違い

 では鳥羽伏見の戦いでは慶喜はどうしていたのか。大政奉還で薩摩による武力攻撃を先制攻撃で封じた慶喜であるが、あくまで幕府討伐に固執する薩摩が御所を封鎖して勝手に新政府を立ち上げたことによって起こったのが鳥羽伏見の戦いである。

 この時に慶喜は薩摩と直接戦わず大坂城に退いている。当時の大坂城は極めて堅固な要塞であり、ここに立て籠もったうえで当時日本最強だった徳川艦隊で大阪湾を封鎖すれば、京の薩摩軍は孤立して戦わずとも消耗して力尽きるという計算であったのだろうと推測している。

 しかし事態は慶喜の意図しない方向で動き出す。江戸で薩摩が行った放火などのテロに徳川の兵達が激怒、江戸の薩摩藩邸を焼きはらった上で薩摩と一戦構えるべく慶喜の元に押しかけてきたのだという。彼らの交戦意欲は非常に高く、それを無理矢理に押しとどめようとすると慶喜自体が殺されかねない状況だったのだという。そこで慶喜はやむなく「勝手にせよ」と言ってしまったのだという。ちなみに後に慶喜はこの時の発言を最大の失敗だと語っているという。

 ただそれでも慶喜としては、既に当時には洋式化の改革を行った上に最新の装備を所有していた幕府軍なら薩摩郡に勝利出来るという計算もあったという。しかし現場指揮官のまずい判断などもあり、幕府軍は完全に油断慢心した状態で完璧に準備を整えていた薩摩軍と衝突することになり、惨敗を喫してしまう。さらに慶喜の計算外は薩摩が錦の御旗を掲げたこと。薩摩側は事前にこれを用意していたという。錦の御旗に対して攻撃することは朝敵になることであり、これに動揺した幕府側の軍勢は総崩れになる。そして慶喜は大坂城を脱出して江戸に戻ってしまい、徳川軍は大敗、慶喜は歴史の表舞台から去ることになる。

 

 以上、最後の将軍慶喜についてだが、慶喜自体は暗君ではなく頭の良い人であるのだが、悲しいかな幕府内での味方が少なく下が勝手に暴走してしまった上に、その辺りの手回しの出来る優秀な参謀がいなかったということだろう。大河ドラマでも出て来た平岡円四郎を失ったことなどが地味に響いているわけである。しかもその円四郎の命を奪ったのは、身内であった水戸藩士なんだから、やっぱり慶喜は回りからよってたかって足を引っ張られた可哀想な人というイメージが強い。

 慶喜は既に幕府の限界を感じており、幕府自体はなるべく綺麗な形で幕引きをすることを考えていた線はあると私は以前より考えている。その上で慶喜は新体制に関与することを考えていたのだが、あくまで幕府の完全排除に固執する西郷らの意図によって慶喜はそれを断念せざるを得ない状況に追い込まれたのだろう。もっともこの時の変革を主導した西郷は己自身も後に新政府と対立することになって西南戦争での敗死に追い込まれるのだから歴史の皮肉でもある。そして成立した新政府も藩閥政治のせいで汚濁を極めることになり、実はその流れは今日までにも一部続いているのである。

 この時代、いくつも「もしも」が存在するのだが、その一つ上にも上げた「もし平岡円四郎が殺害されていなければ」であるのだが、もう一つに「もし島津斉彬が存命なら」というのもある。斉彬の才覚はあの時代の人物の中でも傑出していたことは誰もが認めるところであるし、斉彬自身は幕府を支えるつもりであったので、斉彬と慶喜が強力にタッグを組んだ状態で時代に臨めば、暴走する長州を抑えた上で改革を成し遂げた幕府の元で日本の近代化がなされるというシナリオも存在し得たのである。そうなったらなったで、その後の日本の歩みは大きく変わっただろう。なお斉彬の急逝についても、薩摩内での派閥争いに基づく暗殺という説がある。

 なお番組については相変わらず無駄が多いし、意味のない内容も多い。その辺りの内容の薄さは気になるところ。なお後半の鳥羽伏見の戦いに関しては、かなり昔に放送したヒストリアからの流用を行っていたようである。

 

忙しい方のための今回の要点

・慶喜の大政奉還は、渋沢が残した慶喜の回顧録では「一同承知」と記されている。しかしAIによる解析によると、その記述には慶喜による誤魔化しが含まれているのではないかと推測している。
・実際の大政奉還であるが、実は大名達への発表の時点で賛成派が主導権を握るような画策が事前になされており、「一同承知」の結果は慶喜の策略によるものであったとする。
・鳥羽伏見の戦いでは慶喜の計算違いがいくつも起こっている。当初は大坂城に籠もって戦わずに薩摩軍を疲弊させることを考えていた慶喜だったが、家臣達の暴走で戦わずにいられない状況なった上に、将兵達の油断で惨敗してしまう。
・しかも最大の計算違いは薩摩が錦の御旗を掲げたことで、これで幕府側は動揺して一部は寝返り、慶喜も大坂城から逃亡したことで幕府軍は総崩れとなる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ優秀だったのは事実だったんだろうが、とにかく徳川慶喜という人物は運がなかったという感が強いんですよね。大河ドラマの慶喜は、超強烈なジョーイストだった親父の斉昭の亡霊に祟られている印象ですが。

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