教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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6/28 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「源頼朝暗殺!?曾我兄弟 敵討ちの真相」

武士の敵討ちの手本ともされた曾我兄弟の敵討ち

 曾我兄弟の敵討ちと言えば「曽我物語」のネタになっており、歌舞伎などの演目として大人気で敵討ちの手本とされている。あの大石内蔵助も吉良邸討ち入りの前に討ち入り成功を祈願して曾我兄弟の墓を参拝したという。

 曾我兄弟が敵である工藤祐経を討ったのは鎌倉時代初期の頼朝の時代である。しかしこの敵討ちは実は真の狙いは頼朝暗殺だったという説もあるとか。その真相は如何に。

 まず曾我兄弟の敵討ちの経緯であるが、これは真名本「曽我物語」に記されているという。真名本とは漢字ばかりの独得な文章の本であり、伊豆や箱根の僧侶達が敵討ちの顛末を物語としてまとめたものであるという。

 

領地争いが発端で父を殺される

 彼らの敵討ちの切っ掛けは彼らの4代前の高祖父の代にまで遡るという。平安時代末期、伊豆の国・久須美荘の開発領主である工藤祐隆が後継ぎの男子が亡くなったため、後妻の連れ娘の男子を養子として伊東を譲り伊東祐継と名乗らせ、さらに亡き息子の子である孫を次男にして新たに開拓した河津を与えて河津祐親と名乗らせる。この河津祐親が曾我兄弟の祖父に当たるのだが、彼が伊東祐継が本領である伊東を継いだことに不満を感じていたという。そこで伊東祐継が亡くなった時、嫡男の河津助通に河津を任せ、自らは伊東に乗り込んで伊東祐親と改名して伊東助継の長男を京に追い払って伊東を自らの領地としてしまう。実はこの時に追放された長男が工藤祐経であるという。

 成長した工藤祐経は父の領土が横取りされたと伊東祐親を相手に訴訟を起こす。しかし伊東祐親が各所に賄賂を送っていたために、伊東の半分を取り戻すのが精一杯だったという。これに納得しなかった工藤祐経は伊東祐親と河津助通の暗殺を決意、伊豆で大規模な狩りがなされた時に刺客を送り、伊東祐親は助かるが河津助道を矢で射殺す。曾我兄弟はこの時に父を亡くしたわけである。この時、兄の一万は5才、弟の箱王は3才だった。悲しむ母は泣きながら息子に「工藤祐経の首を取ってこの母に見せよ」と言ったという。3才の弟はまだ分からなかったが、5才の一万はそれを深く心に刻み込む。

 その後、母は義父の勧めで曽我荘領主の曽我祐信と再婚する。ただ曽我荘は河津ほど広くなかったことから、兄弟の生活はかなり悪くなったのではないかとしている。そんなこともあってか曾我兄弟の亡き父への想いは日増しに強くなり、二人は工藤祐経を討つために自分で作った弓矢を撃って訓練していたという。しかし平穏な生活を取り戻した母は心が変わり、敵討ちに反対するようになるのだが、二人の決意は変わらなかった。

 

さらに祖父も非業の最期を遂げる

 父の死の5年後、今度は祖父である伊東祐親が非業の死を遂げる。ここに実は頼朝が絡んでいるという。頼朝が伊豆に流された時、最初に監視役となったのが伊東祐親だったのだが、頼朝は祐親が京に行っている間に祐親の三女の八重姫と愛し合って子供まで出来てしまったのだという。祐親はそれに激怒、二人を別れさせると子供を殺してしまったのだという。その後、頼朝は北条時政の元に移って、そこで時政の娘の政子と結婚することになる。やがて挙兵した頼朝に平氏に不満を持つ関東の武士が呼応、優勢になった源氏勢に平氏方だった伊東祐親は捕らえられてしまう。1年半後、政子の懐妊に喜んだ頼朝は祐親を恩赦しようとしたのだが、頼朝の子を殺していることを後悔していた祐親はそれを受け入れずに自刃したのだという。

 

兄弟でついに敵討ちを遂げる

 平氏が滅亡した年、兄の一万が元服して曽我十郎祐成と名乗ることになる。そして弟の箱王は母から僧侶となるように命じられる。これは二人に敵討ちを諦めさせるためだったという。やむなく箱根権現で修行に励む箱王だが、敵討ちに対する想いは強くなるばかりだったという。そんな時、頼朝の箱根権現参拝に同行して工藤祐経がやってくる。工藤祐経は頼朝の側近となっていた。敵を目の前にしているが屈強な武士に囲まれていて手を出させない箱王。逆に工藤祐経が箱王を見つけて「お前の近しい親族でわしほど有力な後ろ盾はいない」と声をかけてきたのだという。これは暗に自分を敵に回したら痛い目に遭うぞとの脅しだというのだが、果たして? 悔しさを噛みしめる箱王は箱根権現を抜け出して兄の元を訪ねる。十郎は北条時政の元に箱王を連れて行き、時政に烏帽子親になってもらって箱王を元服させる。ちなみに兄弟の伯母が時政の元に嫁いでいたのだという。時政は烏帽子親を快諾して、箱王に曽我五郎時宗の名を与える。

 その後、十郎は大磯の遊女の虎と恋仲になるのだが、ついに敵討ちの機会が訪れる。頼朝が盛大な狩りを催すという情報が飛びこんできたのである。三回の狩りで最初の二回では敵討ちの機会がなく、三回目の富士野で敵討ちを決行することにする。十郎は虎と涙の別れをし、二人で母の元を訪れる。兄弟は母に新しい小袖を所望する。母は「この小袖は曽我殿のものなので必ず返すように」と告げて小袖を渡す。二人の決意に気づいていた母は、生きて帰ってきてくれという意味を込めたのではと言う。

 狩りの一行に潜入し、母への別れの手紙をしたためた二人は、工藤祐経の寝所に潜入するとまずは十郎が祐経の肩を刺し、痛みで目を覚ました祐経が刀を取ろうとしたところを滅多切りにする。こうして敵を討った二人は外に出て「工藤祐経を討ち取った」と高らかに宣言、騒ぎを聞きつけて駆けつけた御家人達と乱戦になって二人で十人を切るが、力尽きた十郎がついに切られ、五郎に「鎌倉殿の御前に参上して拝謁を賜れ」と言って息絶える。これを聞いた五郎は駆けつけた御家人の堀親家を追って、頼朝の館に飛びこんで頼朝の家臣の五郎丸に生け捕りにされる。

 

トンチンカンな事件の結末に潜む謎

 翌日頼朝の詮議を受けた五郎は、なぜ頼朝の館に討ち入ろうとしたかの問いに、堀親家を追っていっただけと答える。しかし頼朝に自分に何か恨みがあったのではないかと聞かれた途端、血相を変えて深い恨みがあったから、兄の言葉で頼朝を討つために館に来たと答えたという。しかしこれを聞いた頼朝は「それこそ男子の手本よ」と喜び、「本当は恨みなどないのに臆していると思われたくないためそう申しているのだな」と五郎を召し抱えたいとまで言い出すが、さすがに重臣が猛反対して五郎は死罪を命じられることになる・・・というややトンチンカンな展開になっているだが、実はここに謎があると言うのが今回の番組の胆。

 こんなトンチンカンなことになったのは、この時に実はもう一つの大きな事件が発生しており、頼朝はそれを隠蔽したからだという。当時の頼朝は戦時から平時に体制を切り替えようとしており、家臣に対してそれまでのような武力ではなく、事務能力を求めるようになっており、そのことに不満を感じている家臣が多くいたという。そしてこの混乱に乗じて頼朝を殺害するクーデターを試みた輩がいたのだという。クーデターは阻止されたが、御家人の間でそういうことが発生したということは頼朝の権威に傷をつける。そこで頼朝はそれを隠蔽したのだが、頼朝が殺されかけたという事実までは完全に隠蔽出来ず、結果としてつじつま合わせに使われたのが曾我兄弟だったとのこと。

 

 以上、曾我兄弟の敵討ちについて。しかしこうして経緯を聞くと、そもそも最初に恨みの元になったのは、お前達の爺ちゃんじゃんというお話。それにけしかけた当の母親はもう敵討ちなんか望んでいないのに、突っ走ってしまった暴走兄弟という危ない奴らである。どうも彼らを見ていると、自分達の不遇はすべて工藤祐経のせいと勝手に恨みを募らせていったのではという気もする。それこそ「今日の飯が不味いのも、俺の頭が痛いのも、すべて工藤祐経のせいだ」と思い詰めたのでは。箱王と会った時の工藤祐経の台詞も「俺に逆らったら痛い目に遭うという脅しとのことだが、案外心にやましさも抱える工藤祐経が「お前達の親とはいろいろとあったが、過去の経緯を忘れるならば、俺の力でお前達を引き立てることが出来る」と持ちかけたのではないかという気もするのだが。

 

忙しい方のための今回の要点

・武士の敵討ちの手本とされた曾我兄弟の敵討ちは歌舞伎などで有名となった。
・事件の発端は、兄弟の父と祖父が工藤祐経と領地争いで対立し、工藤祐経が差し向けた刺客に父が殺害されたことに始まる。
・兄弟の母はその時に工藤祐経を討つように兄弟に言う。5才の兄の一万はそれを心に刻み、後に母が兄弟を心配して敵討ちを諦めるように願うようになっても、兄弟は工藤祐経を討つことを目指すようになる。
・そして二人はついに頼朝が催した富士野での狩りの際に、同行した工藤祐経を夜に襲撃して殺害、その後二人は駆けつけた御家人を相手に大立ち回りをして、兄の十郎は切られ、弟の五郎は頼朝の館で捕らえられる。
・兄弟は実は頼朝の暗殺を目指していたという説もあるが、それは考えにくいという。曽我物語の終盤には辻褄がおかしい部分があるが、それは実はこの時に起こった御家人による頼朝殺害のクーデター未遂を隠蔽するために、無理矢理に兄弟が頼朝の殺害も考えていたことにしたためであるという。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・敵討ちってのは、心情的には分かるのですが。その実は極めて不毛ですね。実際にこの後で五郎が本当に頼朝に召し抱えられたりしたら、今度は工藤祐経の息子が「父の敵」と五郎を狙うことにでもなるところでしたから。

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