教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/30 NHK 歴史探偵「信長・秀吉・家康 神への道」

三英傑の神格化計画

 信長・秀吉・家康と言えば、最近は専ら「三英傑」などと呼ばれるいわゆる天下人トリオであるが(私は「三英傑」という呼び名はどうもしっくりとこない)、いずれもその死後は神になろうとしたという。人間、現世での権力を極めると最後は神になりたがるのかもしれないが、とにかく彼らがどのようにして神になろうとしたか。

 

東照大権現となった家康

 まずは家康の場合から見ていく。家康と言えば日光東照宮であるが、ここに東照大権現なる神として祀られている。なお家康の神格化計画については以前に「にっぽん!歴史鑑定」でも扱っており、今回の内容はそれともかなり被る。

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 まずなぜ日光が選ばれたかであるが、日光はちょうど江戸の真北にあり、家康はその日光から真南を向いて江戸の繁栄を見守るという配置であるらしい。

 ただ江戸の真北となるともっと近い場所もある。なぜ家康は自分とは縁もゆかりもなく江戸からも遠い日光の地を選んだか。ここにもう一つの仕掛けがあるという。

 家康は死を悟った時に、側近を呼び出すと奇妙な遺言を残している。それは「死んだら亡骸は久能山に葬り、一周忌が過ぎたら日光に祠を建てて勧請せよ」というもの。実は久能山とと富士山と日光が一直線に並ぶのだという。富士山とはその名の通りの不死山であり、ここを通過することで家康は神として江戸を守ろうという発想だという。

 また家康が日光に祀られるには天海の働きもあるという。実際に日光の東照宮を家光の代に現在の絢爛豪華なものに建て直したのには天海のプロデュースによるとか。ちなみにこの天海、家康の時代から家光の時代まで健在であり、100才は越えていたという謎の人物。あまりに謎が多すぎて、実は明智光秀だったとか、江戸幕府再建を目論んで降魔を操って帝国華撃団と戦ったとか(今となってはネタが古すぎて分からん人も多いか?)、様々な説?が存在する曰く付きの人物でもある。

 

超越した絶対神となろうとした信長

 さて二人目は信長であるが、比叡山を焼きはらった信長は六天魔王と呼ばれていた。信長にとっては神仏なんか屁でもなかったわけである。信長は總見寺なる寺院を建てたらしいが、実はこの寺の本堂の2階には自らの分身たる盆山なる石を祀っており、この高さは仏塔である三重の塔よりも高い位置にあったという。つまりは自らを神仏さえも超越した絶対神として位置づけているわけである。これにはどうも一神教のキリスト教の影響もあるのではとしている。いかにも信長らしい傲岸不遜ぶりである。

 

神仏を融合した神となろうとした秀吉

 秀吉の場合はもっと計画的である。秀吉の墓は山の頂上に祀られたのであるが、実は今の墓は明治になって改葬されたもので、明治に改修の際に誤って秀吉の遺体を掘りだしてしまったとか(すごいことするな)。秀吉の遺体は壺の中で足を組んで手を握る形でミイラ化した状態で存在したという(どことなく即身仏を連想させる)。この埋葬方法は神になることと関係してるという。

 秀吉は亡くなる時に今日の吉田神社の神主である吉田兼見を呼び出したという。目的は彼が人を神に出来る唯一の人物とされていたから、つまりは彼の秘術によって自らを神にしろということらしい。伏見城で秀吉が亡くなると、まずは巨大な豊国神社を建設、その後に埋葬されたとのこと。そして秀吉は豊国大明神となった。

 秀吉神格化プロジェクトはそれだけで終わらず、30万坪の聖域を設立したという。当時はキリスト教が勢力を増しておき、それに対抗するために秀吉は強力な神になろうとしたのだという。この聖域内には奈良の大仏(高さ15メートル)よりもはるかに大きい大仏(高さ19メートル)も建設された。今でもその台座の跡が残っているという。秀吉は神道と仏教を融合してキリスト教に対抗するつもりだったのだという。

 

 以上、三人三様の神格化計画であるのだが・・・ネタとしてはかなり弱いな。早くもネタが尽きてきたか? 内容的にも特に実験があるわけでもなく、渡邊佐和子らが現地ロケを敢行したというだけ。

 こうやって内容がいよいよ普通の歴史番組になってくると、やっぱり際立ってくる佐藤二朗の不要さ。彼を取り巻くやりとりそのものが番組内での蛇足になってしまって、内容の薄さが際立つ羽目になる。

 

忙しい方のための今回の要点

・家康は遺言によって日光に祀られたが、日光は江戸の真北にあり、そこから江戸の繁栄を守護する意図があったという。
・また家康の遺言でまず久能山に祀られた後に日光に改葬されている。久能山と富士山と日光が一直線に並び、不死山(富士山)を経由することで神となるという意図もあったとする。
・信長は自らが神仏を超越した絶対神になろうとしており、彼が建てた總見寺では自身の分身たる盆山を仏塔よりも高い位置に置いてある。一神教のキリスト教の影響があるのではとしている。
・秀吉は自らを神格化することによって勢力を増しつつあったキリスト教に対抗する意図があったとする。山上の自らの墓の麓に30万坪の聖域を建設して、日本最大の大仏まで建立して、神仏を融合した神として君臨しようとした。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・現世で権力を極めると、来世で神になって未来永劫崇拝されたいなんて考え出すのですかね。まあ統治戦略なんかもあるのでしょうが、結局のところ信長と秀吉は息子の代で天下は取られ、家康の子孫は持ちこたえましたが、それも結局倒れてますからね。神になって未来永劫なんて儚い考えです。

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