教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/23 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「二人の天才浮世絵師 歌麿と写楽」

謎多き歌麿の半生

 現在、日本の浮世絵は世界的に評価が高いが、その中でも別格的に評価が高いのが歌麿と写楽である(なぜ北斎が出てこない?)。その二人の実像に迫ろうと言うことらしい。

 まず歌麿だが、その生まれはハッキリと分かっていないという。1755~1758年頃に江戸か川越で生まれたとされている。本姓は「北川」で幼名は「市太郎」もしくは「勇助」とのこと。そして幼くして町絵師・鳥山石燕に絵を学び始める。石燕によると歌麿少年は「虫をじっと観察しているような繊細な子供」だったそうな。

 20才頃から歌麿は「北川豊章」を名乗って洒落本や黄表紙の挿絵を描いたという。そして転機となったのは新進気鋭の版元の蔦屋重三郎に注目されたこと。当時の蔦屋は洒落本や黄表紙で次々とヒットを飛ばし、彼は名プロデューサーだったという。歌麿は彼に才を見出され、この頃から喜多川歌麿と名乗るようになっていたという。

 蔦屋は狂歌のコミュニティに顔が広かったことから、最初は狂歌本の挿絵を歌麿に任せて売り込みを図ったという。こうして1788年、歌麿が三十代の時に狂歌絵本の「画本虫撰」が出版される。ここに描かれている虫は実に繊細でリアルであり、これは少年時代の経験が反映しているのではと考えられ、歌麿の隠れた名作とされている。

 

美人画の革命を起こした歌麿

 当時の美人画で人気なのは鳥居清長。浮き世離れした八頭身美人を描いていた。この美人画に革命を起こしたのが歌麿。それまでの美人画は全身を描くのが常識だったのに、歌麿は上半身のアップを無地の背景に描くことによって、女性の表情に目が行くようにしたのである。さらには女性のポーズから内心を描くというところまで表現している。これは大首絵と呼ばれて大人気を博する。なおこの時代は寛政の改革の時代で贅沢が禁止されていたので、それに対応するために女性の着物を描かなかったという話もあるという。

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歌麿の代表作「ポッピンを吹く女」

 大首絵で一番人気となった歌麿だが、彼は「青楼の絵師」とも呼ばれている。これは吉原を指す。歌麿は吉原の遊女の浮世絵を手がけているが、これも独創的なものである。ここでは大首絵ではなくスラリとした全身を描いているが、そこに遊女達の日常の姿を描いた。そこには見る者の創造力を促す仕掛けもある。そして歌麿の美人画は飛ぶように売れるようになる。

 

統制を強める幕府に抵抗する歌麿

 しかしそのことによって統制を強めていた幕府に目をつけられることになる。この時代は戯作者の山東京伝が風紀を乱したとして手錠50日の刑を科され、蔦屋も山東京伝の本を手がけたとして財産が半分没収されるなどの目に遭っている。しかし歌麿は反骨精神に溢れるため、あの手この手で抵抗する。幕府が遊女以外の女性の名を絵の中に記すのを禁じる(店屋の看板娘などが人気となることが風紀を乱すとされた)と、歌麿は判じ絵を使って名前を暗号で入れる。

 歌麿は幕府に抵抗しながらも新たな浮世絵のあり方にも挑戦する。新たな描き方や日常の働く女性達などの新たなモチーフを描くなど、新しい浮世絵を開拓していく。幕府は大首絵の自粛を促したりなど明らかに歌麿を狙い撃ちした規制をかけてくるが、その度に歌麿はのらりくらりとかわしたという。しかし1804年、ついに手鎖50日の刑に処されてしまう。豊臣秀吉の絵本太功記をモチーフにしたのが、天平時代以降の武将を描くことは禁止されていたことに引っかかったのだという。ここぞとばかりの見せしめである。そして歌麿が亡くなったのはこの2年後である。

 

革命的な役者絵を描いた謎の絵師・写楽

 一方、役者絵に革命を起こしたとされるのが写楽であるが、その活動期間はわずか10ヶ月でしかもその正体も不明という謎の多い絵師である。

 写楽を世に出したのも蔦屋である。当時は歌舞伎が倹約令で客足が激減したことでそれまで興業を認められていた江戸三座がすべて休業に追い込まれ、控櫓と呼ばれる三座に泣く泣く興行権をゆずり渡すことになったのだという。それまでの江戸三座はそれぞれ専属の版元がついていて蔦屋の入り込む余地はなかったが、新興の控櫓に移ったことで蔦屋に新規参入の余地が生まれたのだという。そうしてまんまと三つの控櫓から夏興業の役者絵を受注した蔦屋が起用したのが写楽だという。

 その写楽の衝撃的デビュー作は役者の大首絵である。写楽は大首絵にすることで役者の特徴などを生き生きと描き出した。もっとも役者の個性を露骨に出すデフォルメをしたので役者には結構不評であったという(ロートレックのポスターと同じである)。写楽は役者の本質を描こうとしたのだという。

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写楽の代表作「大谷鬼次の江戸兵衛」

 しかし2ヶ月後の新たなシリーズではタッチが変わる。今度は全身を描き込んだものとなっている。しかし最初のものに比べるとどうも大人しい感じがしてインパクトが弱くなる。結局はデビュー作のインパクトを越えることがないまま写楽は姿を消して忘れられてしまうことになる。写楽が再び日本で注目されたのは外国で高く評価されてからだという。

 

写楽の正体は?

 ここで問題となったのは写楽は何者か。これについては北斎説、円山応挙説、山東京伝説、オランダ人説まであるという。

 そんな中で写楽の正体について、浮世絵類考に写楽は斎藤十郎兵衛という阿波侯の能役者という記載がある。しかしこれは斎藤十郎兵衛の実在を示す証拠がないことから疑問視もされていた。だが1997年、築地の法光寺の過去帳に斎藤十郎兵衛の名が発見されたことから、この説が現在有力とされているという。

 

 以上、歌麿と写楽について。この番組では写楽の正体は斎藤十郎兵衛で確定のように言っているが、実際のところはこの説がかなり有力となったというだけであって、まだ確定とは言えないというのが事実である。もっとも他の説にはかなり無理もあることから、私もこの説が正解ではという気はするが。

 なお歌麿や写楽も人気ですが、世界的に見れば北斎が圧倒的に評価が高いです。私も一推しはやはり北斎ですね。後は歌川国芳。その弟子筋に当たる月岡芳年や、さらには河鍋暁斎辺りが私の推しですね。一昨年に九州にポリャンスキー指揮の九州交響楽団の演奏会を聞きに行った時に立ち寄った「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展なんかはかなり面白くて堪能できました。

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忙しい方のための今回の要点

・歌麿は蔦屋に見出されて、狂歌本の挿絵などの仕事から始めることになる。
・彼が一躍有名となったのは、大首絵といわれる女性をアップにした美人画。それまでの全身を描いたものと一線を画しており、女性の内心をも描こうとしたことから大人気となる。
・さらに歌麿は「青楼の絵師」とも呼ばれており、吉原の遊女の絵も多い。遊女の絵はスラリとした全身を描いており、遊女達の日常を描いている。
・しかし時代は寛政の改革で幕府による統制が強まっていて、浮世絵も様々な統制を受けた。歌麿はそれをあの手この手でくぐり抜けるが、ついには幕府から狙い撃ちされるような状態となり、最後は手鎖50日の刑に処されることになる。
・写楽は役者絵に新規参入した蔦屋が起用した絵師。ただし活動期間は10ヶ月に限られる。
・デビュー作は役者のアップでその個性を描いた大首絵だが、あまりにデフォルメが入っているために、庶民には受けたが役者からは不評だったという。
・第二期作以降は作風が変わって迷走している感があるが、結局はそのまま消え去ってしまう。再び注目されたのは海外で評価されてから。
・写楽の正体については諸説あるが、それまで実在が疑問視されていた斎藤十郎兵衛が実在したことが確認されたことから、この説が有力視されている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・浮世絵って当時のグラビアみたいなものですからね。日本では大量消費されてしまい、あまり価値のあるものでなかったので、国内にはあまり状態の良いものは残っていないです。しかし外国ではコレクターアイテムとして珍重されて、コレクターがベストな状態で収蔵していましたから、ボストン美術館の浮世絵コレクションなんて、日本の国内コレクションと比較にならないぐらい状態の良いものがあります。これについては海外のオタに感謝ですね。

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