教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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8/24 BSプレミアム プロジェクトX 挑戦者たち(リストア版)「チェルノブイリの傷 奇跡のメス」

 今回はチェルノブイリの原発事故の影響で急増した、ベラルーシの子供たちの甲状腺ガンの治療のために奔走した日本人医師の物語。真の国際貢献とは、医師の使命とはと考えさせる内容である。今回はまず私のアーカイブから。

 

プロジェクトX「チェルノブイリの傷 奇跡のメス」(2003.5.13放送)

 なぜか日本にはあまり情報が伝わってこない(原発に対するイメージダウンを恐れる日本政府が、意図的に情報を伏せている節があるのだが)が、チェルノブイリの事故以来、現地では癌の増加などの悲惨な状況が発生している。そんな中で現地での医療に奔走した一人の医師が今回の主役である。真の国際貢献とは何かを感じさせられる内容である。
 
 最悪の原発事故チェルノブイリの惨事で、現在のベラルーシ共和国には大量の放射性物質がばら撒かれた。この放射性物質は特に子供たちを直撃、甲状腺ガンが続発した。このベラルーシに乗り込んだのが、甲状腺ガンの専門医師・菅谷昭であった。長野の山村で地域医療に貢献した父を見て育った彼には、ベラルーシの惨状を放置しておくことができなかったのだ。

 放射能漏れ事故があった場合、放射性ヨウ素の甲状腺への蓄積が起こることは有名である。特に成長期で甲状腺の働きが高い子供の場合、甲状腺ガンが増加する。特に旧ソ連では一般に放射性物質の危険性がまったく知られていなかったので、一般市民は特に放射能対策をとっていなかった(もし危険性を知っていたとして、対策が取れたかどうかは疑問だが)。放射性物質は目に見えないだけに、事故の翌日にはもう市民は普通に表を歩き回っていたという(そもそも避難さえ行われなかったのであるが)。当然のことながら現地は極めて悲惨な状況になっていたのである。

 

 現地に到着した菅谷は愕然とした。子供たちの甲状腺ガンの率は日本の40倍にも及んでいた。しかもなされた手術跡を見た彼はショックを受けた。患者には首筋から耳の下にまで及ぶ大きな傷跡が残っていた。旧式の手術しかなされていなかったのだ。彼は憤りを覚えたが、彼には現地で手術を行う権限はなかった。

 帰国後、大学内でさらに出世した菅谷。しかし彼はベラルーシのことを忘れることはできなかった。患者に向かい合って生きていきたいと考えていた彼は、大学での地位を投げ打って退職金で部屋を借り、単身で現地に乗り込む。

 旧ソ連というのは、決して技術力の無い国ではなかったのが、それはあくまで国の最先端部分だけの話であって、一般にはその恩恵は及んでいなかった。それが端的に表れているエピソードである。またソ連からの独立後に貧困にあえいでいる国は多く、それが医療などの社会福祉の分野にまともにしわ寄せが来ているようである。

 医師というのには使命感に駆られてなるタイプと、算術によってなるタイプとがいるが、菅谷は典型的な前者の方であったようである。祖父・父の代からの医師であったようだが、都会の院長などではなく、地方の町医者だったのが大きいのだろう。都会の病院の二代目などにはこのような人材はほとんどいないだろう(算術に長けた奴ばかりで、医大も親の金とコネで卒業したような連中が多い)。

 

 1996年2月、彼がベラルーシにきて1ヵ月後、助手として手術に立ち会う。しかし手術台の少女ののどをばっさりとメスで切り裂くさまを見た菅谷は怒りを覚える。彼は若い医師たちに「あなた達は医学書を買ったり、学会で勉強しないのか」と責める。しかし貧しいベラルーシでは医師たちの給料は安く、仕事の後にドライバーのアルバイトをしている者もいる始末だった。彼らにはとてもそんな余裕はなかったのだ。彼は自らに言い聞かす「焦るな。行動で示すしかない。」

 一ヵ月後、菅谷に手術の許可が下りる。傷跡をほとんど残さない菅谷の手術を見た現地の若い医師・ゲンナジー・トゥールは衝撃を受ける。菅谷がトップクラスの医師であることを知ったのである。彼は体が熱くなるのを感じる。

 菅谷は現地で多くの子供たちを救っていった。その姿に感動した若手医師達は、菅谷の元を訪ね、教えを請う。菅谷を囲む現地医師の輪ができる。

 まさしく「ブラックジャック」の世界である。外科医というのは職人としての側面が強いが、卓越した技に出会ったら純粋に感心するのが職人の魂というものである。現地の医師達もこの職人の魂は失っていなかったのだろう。

 それにしても菅谷は、退職金で現地に渡って無給で働いていたとのことだが、ここまで駆り立てられるというのも凄まじいものがある。

 

 現地に到着して2年。100例以上の手術をこなした菅谷は、もっとも被害の大きかったゴメリに乗り込むことを決意する。その菅谷のために現地の病院の手配などを行ったのはゲンナジーだった。

 ゴメリに乗り込んだ菅谷は、がん患者の多くが再発の恐怖を持っていることを知る。ゴメリの州立腫瘍病院で無給で働いていた菅谷は、現地医師たちに手術指導をする傍ら、患者たちの家を回っての往診を始める。また300キロ離れたミンスクから休みを返上して駆けつけたゲンナジーも菅谷の往診に協力する。二人の行動を見た現地の医師たちも彼らに協力を申し出、大きな動きが巻き起こる。現地医師達は菅谷を尊敬を込めて、日本語で「先生」と呼んだ。

 その後も患者のいる町に移り住みながら現地での検診に貢献した菅谷。菅谷に育てられた現地医師たちも腕を上げ、見事な手術をするようになる。それを見届けた菅谷は日本に帰国する。

 熱い男の活動が現地に波及して、ベラルーシには熱い医師ばかりが増えたようである。ゲストで出演したゲンナジーが、見事なまでに日本人的精神の持ち主になってしまっていたことには驚いた。自己犠牲などの精神が徹底していたことや、挙句の果てが「一期一会」という言葉が日本語で登場したのには絶句。よほど菅谷の薫陶が行き届いたと見える。
 またここで登場するエピソード(かつての患者だったカーチャが看護学校に進んだ話や、やはりかつての患者だったスベトラーナが無事に出産する話やら)が視聴者の涙腺を緩める。実のところ私も久々にこの番組で泣かされてしまった・・・。


 さて今回はチェルノブイリでのエピソードだったのだが、今後問題になりそうなのが、イラクでの問題である。湾岸戦争時に米軍が大量に使用した劣化ウラン弾のせいで、イラクでは小児の白血病や癌が増加しているという。イラクを侵略した挙げ句に自国の放射性廃棄物をばらまいたアメリカは、劣化ウラン弾による現地での健康被害には知らんふりを決めつけているようだが(実は自国の兵隊にも被害者が出ているにも関わらずだ)、「国際貢献」の美名で対米追従に邁進した日本も、この件に関しては表だった動きはしていない。

 放射線障害についての研究がもっとも進んでいる国が日本であるのだから(広島・長崎での被爆者が多い関係がある)、こちらでも国際的に貢献してもらいたいものである。

 


 以上、当時の私のアーカイブ。番組を改めて見てみるとカーチャのエピソードやスベトラーナのエピソードなど、結構情に訴える内容が濃密に描かれていたが、その辺りは私は省略して比較的抑えた書き方をしている。

 ちなみにカーチャは手術を受けた子供たちが喉に大きな傷跡があるのを見て怖がるのだが、菅谷が「大丈夫」と請け合い、非常に傷の小さい手術(しかも皺に沿って切っているので傷跡はほとんど分からない)をしてもらったことに大いに喜び、そして後に彼女は医療の道に進むというエピソードがついている。

 またスベトラーナは結婚を控えており、手術の傷がつけば結婚が出来ないと悩んでいたのだが、それも菅谷が解決する。そして彼女は無事に結婚するのだが、今度は果たして出産が無事に出来るのかという心配が浮上、それが菅谷が患者達の往診をするようになったきっかけともなっている。そして彼女は無事に女児を出産、喜び冷めやらぬ菅谷は部屋に戻るとウォッカを3杯飲み干すという話になっている。

 なお帰国した菅谷は、その後は政治家に転身して松本市の市長を4期務めてから引退、今は松本大学学長に就任しているとのことである。さて彼は、今の全く科学的にも医学的にも滅茶苦茶なコロナ対応しかとれない政府をどう見ているのだろうか?

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