教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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8/25 BSプレミアム 英雄たちの選択 「"若君"北条時行の終わりなき戦い」

亡国のプリンス・北条時行を紹介する

 1333年、鎌倉幕府滅亡。この時に北条氏は全滅したというように思われているが、実際はそうではなかったのだという。鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の次男である時行が家臣に連れられて逃亡、その後北条再興を掲げて戦いを行っている。亡国の若きプリンスと言うことでドラマ性も高く、彼を主人公にした漫画が現在松井優征(あの「暗殺教室」で有名な漫画家である)の作品で登場しているとか。今回はその北条時行に注目する。

     
北条時行を主人公とした松井優征の作品

 

 

鎌倉から脱出し信濃に潜伏、鎌倉の奪還に成功するが

 鎌倉幕府滅亡時に北条得宗家当主の北条高時には二人の息子がいたが、嫡男はかまくらからの逃亡中に命を落とし、次男の時行のみが家臣の諏訪盛高に連れられて脱出に成功する。時行は諏訪氏の治めた信濃国の山深い里である大鹿村桶谷で匿われたと言われている。なお桶谷の地名の由来は王家谷から転じたとも言われているという。地域の老人によるとかつてはこの地域に北条姓の住宅が存在したという。今は荒れ果てているが北条坂と呼ばれる山道もあったという。番組では現地を訪れているが、今は住宅もなく、苔むした墓石のみが残っている。

 時行が信濃に籠もっていた頃、京都では後醍醐天皇が幕府打倒の功労者を労っていた。後醍醐の政治は建武の新政と呼ばれたが、その頃各地では北条家につながる者達の反乱が頻発していた。そして鎌倉幕府滅亡の2年後、時行も諏訪氏と共に蜂起する。これが中先代の乱と呼ばれる戦いである。鎌倉を目指す時行に東国の武士たちが合流して数万の軍勢となる。中には後醍醐方から寝返った武士もいたという。後醍醐天皇からの武士たちへの恩賞が遅れていたことから、建武政権に不満を持つ武士が少なくなかったのだという。こうして膨れあがった時行軍は、鎌倉を守っていた足利尊氏の弟の直義の軍勢を打ち破って鎌倉奪還に成功する。

 一方、時行の蜂起の直前、京都ではかつて朝廷と鎌倉幕府の取次役を務めた西園寺公宗が後醍醐天皇の暗殺を目論んだとして捕らえられて処刑される。彼は東国の大将として時行を担ぐ計画であったという。これに対して足利尊氏が直義の救援に向かう。この時に足利尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍への任命を求めたという。時行に血筋の正当性があることから、それに対抗するには征夷大将軍という看板ぐらいは必要ということだろうという。

 尊氏軍と鎌倉で迎え撃つ時行軍との間で熾烈な戦闘が行われる。しかし時行軍はついに鎌倉を奪われてしまう。諏訪氏を初めとする時行の側近43人は自害したが、この時に彼等は顔の皮をはいで身元を隠したとされる。これは時行も死んだと思わせるためだったという。

 

 

逃走して潜伏後、今度は後醍醐天皇と手を組む

 しかしどっこい時行は逃走していた。そのまま時行は行方知らずとなる。時行の中先代の乱はわずか1ヶ月ほどで収束したのだが、これが後の歴史に影を落とすこととなる。鎌倉で勝利した尊氏はそのまま鎌倉から動こうとせず、これに業を煮やした後醍醐天皇が尊氏討伐軍を送ることになる。しかしこれが尊氏の反撃にあって後醍醐天皇は京を追われることになる。後醍醐天皇は一度尊氏と和睦するのだが、数ヶ月後に吉野に移って南朝を開くことになる。こうして南北朝時代が始まる。

 この頃、潜伏しつつ打倒尊氏に執念を燃やす時行の選択である。一つは全国の北条勢力を結集して尊氏に戦いを挑むというもの。もう一つは打倒尊氏で「敵の敵は味方」と後醍醐天皇と手を結ぶというもの。これついて番組ゲストは北条勢力を結集するというものの方が多かった。後醍醐天皇と手を組んだのでは他の武士が納得しないだろうというもの。

 時行の選択であるが、彼は後醍醐天皇と手を結ぶことを選ぶ。時行は後醍醐天皇に対して敵は尊氏であって天皇に対しては恨みはないという手紙を送る。これを受けて後醍醐天皇は北条家を赦免して手を組むことになる。時行は家臣でありながら北条を裏切った尊氏を討つことを優先したことになる。

 

 

南朝方として再度鎌倉を奪還、その後も潜伏と戦いを続けた生涯

 時行は南朝方の北畠顕家と合流して再び鎌倉を陥れる。これが中先代の乱の2年後である。そして翌年後醍醐天皇の求めに応じて北畠軍と共に西に進軍する。しかし北畠軍が和泉で敗れたことで時行も戦線を離脱する。

 後醍醐天皇は全国に皇子を送り込んで味方を集める手を打つ。時行も皇子の一人を戴いて東に向かう。そして奥州に向かう軍団と大船団を組んで伊勢の港を出港するが、遠州灘で大嵐に遭って船団は崩壊し、時行も行方不明となる。

 嵐から2年後、時行は信濃に潜伏していた。ここで時行は尊氏方の小笠原氏と戦っていたという。時行と行動を共にしていたのは諏訪氏であったという。時行は大德王寺城を築いて立て籠もって長期戦を戦っていたが4ヶ月後に開城、しかしまたも時行は行方をくらます。再び現れたのはその12年後で、南朝方が鎌倉を奪還して時行は3度目の鎌倉入りを果たす。この時、奈良の南朝軍も京に攻め入って尊氏の息子の義詮を近江に逃亡させたという。しかし尊氏の反撃で南朝方は2週間ほどで鎌倉から追われ、京も義詮に奪還される。そして翌年、時行は捕らえられて斬首される。

 

 

 以上、不屈のプリンス時行の物語ですが、鎌倉を3回も奪還したのはすごかったが、鎌倉に固執しすぎたのではという話もあったが確かにそうである。実際に東北かそこらでじっくりと戦力を集めて地盤を固めてから一気に攻め上るという手もあったような気はする。磯田氏も「時行は若かったのだから時間を味方にする手はあった」というようなことを言っていたが、ただ問題は時行の金看板であった北条のプリンスということも、時間が経って尊氏の天下が定まってしまえば、「今更北条ですか?」ってことになりかねないジレンマはあったろうと思う。

 私は今回の番組を見るまでは「北条時行って誰ですか?」って感じだったのだが、こうしてその生涯を知ると確かに創作の主人公としては面白いと感じる。松井優征が時行に目をつけたのはさすがであると思う。圧倒的に強大な足利尊氏に立ち向かう若きプリンスという設定が面白いし、さらにその経歴に空白部分が多いので大いに創作の余地がある。そして悲劇的な最期というのもドラマになりやすい。空白部分をストーリーテラーである松井優征が埋めていけばさぞ魅力的な物語になりそうである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の次男である時行は家臣の諏訪盛高と鎌倉からの脱出に成功する。
・信濃に潜伏すること2年後、挙兵した時行は東国の武士を糾合して鎌倉の奪還に成功する。これが中先代の乱である。
・しかし足利尊氏の軍勢による攻撃で、1ヶ月ほどで鎌倉は奪還され、多くの家臣を失うが、時行は逃走して行方をくらます。
・その後、尊氏と後醍醐天皇が対立して南北朝時代が始まる。潜伏していた時行は尊氏を倒すために後醍醐天皇と手を結ぶ。
・時行は南朝方の北畠顕家と共に鎌倉の奪還に成功する。その後、西に進軍するが和泉で北畠顕家が敗戦したことで戦線を離脱する。
・潜伏していた時行は後醍醐天皇の皇子と共に船団を仕立てて東国に向かうが、遠州灘で嵐に遭って船団は崩壊、時行も消息不明となる。
・その2年後、時行は信濃で尊氏方の小笠原氏と戦っていたが、開城後にまた行方不明となる。
・次に時行が歴史に登場するのは12年後、ここで再び南朝方として鎌倉の奪還に成功するが、尊氏の反撃で2週間ほどで鎌倉を追われる。そしてその翌年に捕らえられて処刑される。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まさに不屈のプリンスだな。ただこの時代はもう一人、後醍醐天皇もかなり不屈の人なんです。それに比べると足利尊氏って何か存在感が微妙なんだが、何となく担がれた人なんですよね。歴史的に見たら、足利尊氏ってカリスマのないカリスマなんですわ。私は以前から不思議な人だと思っている。

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