教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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9/15 NHK 歴史探偵「大江戸SDGs」

江戸時代をSDGsの観点から見直す

 今回のテーマは江戸時代の社会が環境と調和した社会でしたという話で、実際に江戸の町はかなり高度なリサイクル社会だったことは今まであちこちの番組でいろいろ言われているのでその焼き直し。今日的にSDGsを持ち出しているが、実のところそれは別に大したことではない。

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 まずは当時の江戸の町について。当時の江戸の庶民はどんな生活をしていたかと言うことを調査。とこんな時は大抵は江戸東京博物館に行くと相場が決まっているのだが、今回はなぜか深川江戸資料館を訪問している。

 

 

高度リサイクル社会だった江戸の町

 ここでは江戸の町をかなり詳細に復元していると言うが、まずゴミが落ちていないことについては、資料館だからこうというわけではなく、実際に当時の江戸の町はゴミがほとんど落ちていなかったという。またゴミ箱も割れた陶器片ぐらいしかなく、燃えるゴミは皆無である。と言うのは、木くずなどは燃料として買い取られていたし、紙くずも再生紙原料として買い取られていた(そもそも紙はゴミで捨てられるようなものでなくてかなり貴重)。さらには竃の灰は焼き物の釉薬や火鉢に入れるなど需要があったので回収されていた。またアサリなどを剥いて売るむきみという仕事もあったが、貝殻は焼いて粉にして漆喰の原料にされた。また一番金になったのは、共同便所などの排泄物である。これらは発酵させると畑の良い肥料となったために、近傍農家が江戸に買取に来ていた。長屋の共同便所などではこれが年10両(40万円ぐらい)になったという。中には大々的に排泄物の売買を手がける農民などもいて年間40億円の一大産業となっていたという。このようにリサイクルがビジネスとして回るようになっていたことから、江戸の町は高度リサイクル社会になったという。またゴミ箱や公衆便所なども設置されるようになって清潔な街になったのだという(糞尿が道路にゴロゴロだったパリやテムズ川が下水化していたロンドンなどとは大違いである)

 さらに衣服であるが、この頃には木綿が普及するようになった時代だという(綿花栽培が出来るようになった技術革新があったという)。江戸で流行したのは縞柄らしいが、これの中には島柄と表現されるものがあり、これは実はスリランカから伝わったものなのだという。このような最新のデザインが急速に普及したとか。海外の最新流行モードが取り入れられたのだという。なお一般庶民にとっては新品の着物は高嶺の花なので、古着屋が大繁盛していた。

 

 

江戸時代にいかに飢饉を乗り切ったか

 また古い木片から古代の気候を調査しているという名古屋大学の中塚武教授によると、江戸時代は今よりも雨が多くて気温が低かった時代であるという。だからそのような厳しい環境の中で新田開発などはかなり苦労していただろうとのことである。古文書から江戸時代の生産力を調べると、やはり洪水や害虫で不作ということがあったという。しかしそのような時、農民が被害の程度を藩に申告し、役人が調査した上で年貢を減免するということが普通に行われていたという。これらの申告は農民によってなされるものであるので、農民がそれらの計算をして申告書を作成できる能力が必要なわけであるが、日本は普通の農民でそれだけのことが出来るほど教育水準が高かったことになる。

 気候パターンを見ると、豊作がしばらく続くと冷害が発生するというパターンになっており、享保、天明、天保の三大飢饉は約50年周期で起こっている。この時に政治がうまく対応できないと一揆の発生件数が増加することになる。この三大飢饉の中では享保の飢饉は吉宗が陣頭に立って対応したので一揆は増加していないが、後の時代になるほど対応力が落ちているのか一揆が増えている。また仙台藩では西日本の大凶作の時に安倍清右衛門という商人出身の財政担当が藩の赤字の補填のために備蓄米まで売り払ったという。すると翌年に仙台藩でも凶作となり、米の全くなかった仙台藩では15万人以上が餓死・病死することになる。恨みを買った安倍は怒った人々に屋敷を襲撃され、藩からも処分を受けることになったという。さらに幕末も凶作の時代でこれが倒幕にもつながったという。

 

 

 以上、江戸時代のお話。まあ江戸が高度リサイクル社会であったことは事実だが、それはリサイクル業がビジネスとして成り立ったから、しかし今日の資本主義で目の前の利益だけが優先される社会では使い捨てが経済の基本になってしまっているので、江戸のようなリサイクル社会に立ち戻るのはかなり困難である。しかしSDGsというのは、まさに大量消費大量廃棄の社会システムを変革しようという話であるので、これに対応できなければ人類に未来がない。日本は江戸という世界に誇れるモデルケースがあるにもかかわらず、その末裔である我々の生活は、お世辞にも環境と調和しているとは言い難いのが恥ずかしい次第。

 仙台藩の安倍は目先の利益だけを優先させるという点でいかにも商人的なんだが、翌年に自藩が凶作になると言うことを全く想定していないという点で、長期的な見通しのない無能な商人であり、現代の日本なら経団連のお偉方と肩を並べられそうな人物である。ここで二宮尊徳などは、先の凶作を予測して備蓄を増やしたはずである。ちなみに現代の日本の安倍は、コロナ禍の中で自分の目の前の利益だけを優先し、国民を困難の中に叩き落とした挙げ句に自分は逃亡した。責任者がキチンと処分された分だけ、まだ江戸時代の方が現代よりもまともかもしれない。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸は高度なリサイクル社会であり、木くずや紙くずは回収されて再利用されたことから町にはゴミはほとんど無かった。
・また排泄物が肥料として高く売れたことから、公衆便所なども設置されて清潔な町となっていた。
・江戸時代に木綿が普及し始め、縞柄が海外から入った最新流行モードとしてもてはやされた。新品の着物が高嶺の花だった庶民は、古着屋で衣服を購入した。
・江戸時代は現在よりも多雨で気温が低かったために、飢饉などが起こることもあった。その場合は農民が被害の程度を藩に申告して年貢の減免を交渉することも行われていた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・ネタ的には新味がないことから、そこにSDGsと言う概念を無理やりに持ってきて変化を付けようとしたのだが、今ひとつ効果があったという印象はない。少々小手先の技に走りすぎたか。

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