教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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10/20 BSプレミアム 英雄たちの選択 「追跡!古代ミステリー"顔"に隠された古代人のこころ」

土偶の顔に注目して、古代人の心を読み解く

 今回は考古学特集ということで、古代人の顔に注目してそこから古代人のこころについて考えるということである。

 群馬県桐生市で発掘された土偶はみみずく土偶と呼ばれているが、縄文人の表現力を示すこの土偶から縄文人の生活史をひもとこうという研究を東大名誉教授の設楽博巳氏が行っているという。

 まず設楽氏が注目するのは頭部のデザイン。額の真ん中に櫛と思われる表現が見られるのだという。これは恐らく共同体内で同じ櫛が使用されて所属意識を高めていたのではという。さらは特徴的な耳飾りが見られる。これは耳たぶに開けた穴に大きな耳飾りを装着していったのではという(同様の風習を持つアフリカの部族がいた記憶がある)。さらにみみずく土偶を時代を追って見ていくと、段々と頭部が多く複雑になってきており、髪が当時の社会にとって重要であったのではという。

 

 

刺青をすることで大人になるための通過儀礼となる

 さらに縄文時代中期になると目の周りに線が入った土偶が増えてくるという。これは刺青だと推測できるという。この時代は抜歯なども行われており、このような痛みを伴う行為が成人する時の通過儀礼として行われていたのではと推測している(今でも大人になる際に危険な儀式を通過するという部族はいる)。

 この頃から集落内で手間のかかる栃の実を集団で加工していたり、作物を品種改良するなどの行為が確認されており、集団生活での秩序が重要性を増していたと考えられる。そしてコミュニティの一員としての帰属意識を高める行為として顔に刺青を入れるという行為がなされていたのではという。

 

 

争いの中で魔除けとしての刺青と刺青空白地帯の登場

 これが弥生時代になると変化してくる。縄文時代の刺青は全員が行っているが、魏志倭人伝の記録では刺青は男性が行うことになっているという。戦士として戦う男性は魔除けの意味で刺青が必要だったのではと推測している。稲作は集団で行うものであり、集団の結束がさらに重要化すると共に、集団同士の争いなども生じていたのではないかという。だから戦いの中で魔除けとしての刺青の重要性が増している。

 またこの頃に龍の文様が現れるようになってくるという。中国では龍は神聖視されていたが、その龍が日本でも新たな文明の象徴として受けいられたのではないかという。この時期には伝統の刺青と新たな龍が併存していたという。

 古墳時代なると特徴的な刺青の入った様々な職業の埴輪が諸々見られるという。古事記や日本書紀になると刺青が罰として刻まれた記述があるという。政権側に刺青に対して差別的なニュアンスが含まれているという。設楽氏の調査によると、2~4世紀の刺青の分布を見ると、吉備地区と濃尾地区には刺青が多くみられるのであるが、この時に刺青のない空白地域があり、それが大和であるという。大和地区は3世紀頃に刺青文化が消滅したのではという。中国的な非刺青文化が伝わってきて文化変化が生じたのではなどと推測している。だから刺青の入っている人物は畿外から連れられてきた人たちなのではという。

 

 

 以上、刺青を中心に縄文から古墳時代に関しての日本の変化を紹介。ただ多分まだ研究途上なのか、特に古墳時代の話になってくると説明にやや混乱があって分かりにくいところがあった。今回の説明によると、縄文時代は集団メンバーを示す証、弥生時代では戦士の魔除け、古墳時代になると畿外の人物の印(もしかしたら奴隷かも)ということのようである。ちなみに現代では反社の印であるので、古墳時代の罪人の印と近い。もっとも入れている当人達には縄文時代の組織のメンバーを示す証なんだろうが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・古代人のこころについて主に顔の刺青を中心に考察している。
・縄文時代には刺青らしき模様のある土偶が多数出土されるが、この頃に集団生活が始まっており、刺青はその集団のメンバーである証であると共に、痛みを伴う刺青を行うことが成人になる通過儀礼だったのではとしている。
・弥生時代になると刺青は男性に限られるようになり、戦士としての魔除けだったのではとしている。この頃になると集団間の争いが増加していたことが考えられる。
・古墳時代には様々な職業の刺青が見られるが、古事記や日本書紀によると刺青が罪人の証として刻まれるなど否定的なニュアンスが見られる。当時、大和地方は中国の影響などによって非刺青文化となっており、刺青が入っているのは畿外の人間の特徴だったのではないかとしている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・刺青が罪人の証ってのは古代中国でもそうですね。一方の欧米のタトゥーはファッションということなっており、これはアフリカなどで今日も見られる装飾のニュアンスに近い。まあ文化の違いという奴ですが、ニュアンスが違っても同じことやってるのは興味深い。

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