教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/20 NHK 歴史探偵「江戸城 3つの天守の秘密」

3回建て替えられた超巨大天守

 今回のテーマは江戸城の天守。かつてここには姫路城の3倍という超巨大な天守が建てられていたのであるが、それは家康が建てたものを秀忠が将軍になった時に建て替え、さらに家光が将軍になった時にもう一度建て替えているという。なぜそんなことをしているか。そこには徳川家の親子関係の軋轢が影響しているのではなんて説もあるというが、その真偽はというもの。

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姫路城天守模型

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等縮尺の江戸城天守模型がこれ

 

 

家康が建造した白亜の天守

 まずは最初に家康が建てた天守であるが、その天守がいかなるものであるかのヒントは青梅にあるという。要はここで産出するのは石灰岩であり、これを900度以上にまで加熱すると炭酸カルシウムが酸化カルシウムに変化する。そこに水を加えることで水酸化カルシウム(消石灰)になる。この消石灰に糊やら諸々を加えることで漆喰が作れるのだという。つまり家康の天守は漆喰壁の白塗り天守である。

 さらに家康の天守は鉛瓦を使用している。この鉛は時間が経つと白っぽくなるので、江戸城天守は全体が白亜の天守だったということである。なぜ家康がここまで白い天守を作ったかだが、当時の風景を考えればヒントがあるのではとのこと。当時の江戸の風景を考えると、白く冠雪した富士山が遠くに見え、その横に江戸城の白亜の天守がみえることになる。この白い風景は自ずと見る者に心理的な感嘆を加え、それは家康が目論んでいた立派な天守で力を見せつけることで戦争を事前に抑止するというものにかなうのではないかとしている・・・んだが、実のところこれは深読みのしすぎの気はする。

 なおもっと実用的な問題として、鉛を瓦に使用するとなると「重い」というイメージがあるが、実は全く逆であり鉛は薄く加工することが出来るので土を焼いた瓦よりは随分と軽いのだという。たとえるならそれまでは横綱が屋根の上に居並んでいたのが、同人数の小学生に入れ替わるぐらいの変化であるという。そうなるとかなり荷重的に負荷が減り、江戸城の天守のような巨大建造物を建造するためには不可欠なことであったのだという。

 

 

秀忠の天守移築の意図

 さてこの天守だが、秀忠が将軍に就任すると建て替えている。今まで散々家康に頭を抑えられてきた秀忠の意趣返しではという考えも浮かぶところだが、実際のところはさにあらずである。当時秀忠が建てたという天守の外観は家康のものとほとんど変わっていない。実際は変わったのはその建てた位置だという。秀忠はそれまでの本丸中央付近にあった天守を本丸北側の隅に移したのだという。その目的は何か、そうすることによって本丸に広大なスペースが出来るので、そこに巨大な本丸御殿を建造したのだという。

 秀忠が建造した本丸御殿がどのようなものであったかは、同じく秀忠プロデュースの二条城を見れば推測できるという。二条城に登城した大名はまず絢爛豪華な控えの間に通されてそこで待機することになる。そこは金襖に虎の絵が描かれており、ギラリと光る虎の目が大名達を威圧する。そこから見通しの悪い廊下をクネクネと移動することになり、その間に精神的プレッシャーを受けることになる。すると突然に巨大な大広間に出て、その落差で自ずと畏怖感を抱くという心理的仕掛けがあるという。恐らく秀忠が作った江戸城本丸御殿もそのような仕掛けがあったのではと推測している。

 で、秀忠がそのような御殿を建造した意図だが、まずは将軍家の権威を見せつけること。それにもっと実用的な問題として、実際に政務を執る役所として広大な御殿が必要となったという面もあるという。結局のところ秀忠は、江戸城天守を建て直したというよりも、移築しただけというのが実態だとか。

 

 

家光による天守リニューアル

 次に家光の代だが、ここで天守は劇的な変化を遂げる。場所はそのままだが、それまでの白亜の天守から一転して黒い天守に変更されたという。家光は秀忠と将軍位について確執があった(当初秀忠と江は弟の方を将軍に考えていた)し、いよいよ確執が原因ではと考えられるが(実際にそういう説もある)、またもやそうではないという結論になっている。

 家光の天守の特徴は、それまでの鉛瓦でなく銅瓦が使用されたことにあるという。その変化の原因はこの頃に足尾銅山から大量の銅が産出できるようになったことから、国内でも銅銭を鋳造するなど経済システムが変化したことにあるという。だから銅を多用した家光の天守は、天守にお金を貼り付けているようなものであり、まさに徳川家の力を見せつけるものであったという。ちなみに壁が黒いのは壁の下半分に銅を貼っており、その銅のさび止め加工の色が黒いのだという。結局は家光も天守を建て替えるというよりも時代に合わせて改装したというのが実態であるという。

 このような将軍が替わるごとに何らかの手を加えることで人心を一新して新将軍の権威を示すということに使われてきた天守であるが、結局は明暦の大火で焼失してしまっている。その後、天守の再建のために天守台の整備まではしたが、結局幕府は江戸の復興を優先して、天守再建のための銅は寺社や橋の修復に回したとのこと。まあこの頃になるとわざわざ天守で権威を示すまでもなく幕藩体制は不動のものとなっており、どこかの大名が反乱を起こすなどとということはあり得ない事態になっていたので、それで十分だったのだろう。

 

 

 以上、江戸城天守について。つまりは「親父が嫌いだったからという理由で、わざわざ大金はたいて天守を一から作り直すというほど徳川将軍は馬鹿ではありません」という極めて当たり前の話である。最初の家康の時は天下普請で大々的に建造したが、そんなものを将軍が替わる度に繰り返していたら、権威を示すどころか逆に負担に耐えかねた大名の反乱を呼ぶ。昔から中国では土木工事に明け暮れて民に負担を強いた王朝はコケている。しかも治水工事などの長期的に民の利益になる工事ならともかく、宮殿造営などの意味のない工事は間違いなく王朝転覆の元。と言うわけで日本でも自分達の個人的利益のために民に犠牲を強い続ける自民王朝はそろそろ滅びるべき時に来ている。

 なお江戸城の漆喰の下りでレポーターの青井アナが現地を訪問して地元のガイドとやりとりをしており、そこでは「クイズです」なんてやった挙げ句にでんじろう氏まで登場して実験開始という展開になっている。しかし正直なところこれらはすべていかにもこの番組らしい回り道であり、時間の尺を稼いだだけで特に分かりやすいわけでもなかったら面白いわけではない。正直なところこの番組のこういう無駄の多い作りが私がもっともこの番組の評価を下げる点である。無意味に民放バラエティを意識した作りにしているせいで、番組自身の中身が薄くさらに下品になっているのである。なおそういう点では冒頭の佐藤二朗のつまらぬ寸劇が一番不要で一番不快である。正直なところこの番組での佐藤二朗には、つまらぬことを長々と喋らさずに頷いているだけという起用が一番無難である。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・家康は鉛瓦を使用して漆喰の壁の白亜の天守を建造した。これは白い巨大天守で大名達を精神的に畏怖させて戦争を抑止するという目的を持っていた。
・鉛瓦を使用したのは、瓦が白くなるということ以外にも、土瓦よりも重量を軽減できるので巨大建造物の重量負荷を軽減できるという技術的理由もあった。
・この天守は秀忠の代に建て直しているが、実は建て直しではなくて移築であり、そのことによって出来た本丸スペースに巨大な本丸御殿を建造している。
・秀忠が本丸御殿を建造したのには、政務を執るための役所として必要であったという理由があるという。
・家光の代になると天守は白から黒に劇的な変化を遂げる。これはこの時代に足尾銅山からの銅の産出が増え、銅銭が鋳造されるなど銅が経済において重要な役割を果たすようになったからだという。家光は銅を大量に天守に使用することで、徳川家の権威を見せつけたのだという。
・しかしその後、明暦の大火で天守は焼失。幕府は天守を再建するよりも町の復興の方を優先し、結局はその後に天守が建てられることはなかった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・ご大層に紹介してましたが、今回は内容的に結構薄いです。正直なところ以前のヒストリアだったら番組の合間にTips的に5分程度紹介したかもしれない程度。内容の薄さをくだらない演出で埋めたという印象で、正直なところ全く感心しません。

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