教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/4 BSプレミアム ザ・プロファイラー「お龍"おもしろき"龍馬の妻」

龍馬の妻となった「おもしろき女」

 今回の主人公はあの坂本龍馬の妻となった女性・お龍である。龍馬が姉に宛てた手紙の中に「おもしろき女」と記した女性でもある。

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確実にお龍のものであることが確認されているのはこの写真だけ

 お龍は旅籠で働いており、お龍が24才、龍馬が30才の浪人の時に出会っている。お龍は京で医師の父を持って生まれた。父は勤王派で幕府に批判的なものが多く訪れていたという。しかし18歳の時、父が安政の大獄で投獄され、それで体調を崩して釈放されてから3年後に病死してしまう。一家は困窮し、母がダマされて妹を身売りしてしまう。それを聞いたお龍は一人で大阪まで行って男たちのアジトに踏み込み、脅しをかけてくる男たちにお龍は啖呵を切って、金を投げ返すと妹を取り戻したという。

 お龍が龍馬と出会ったのが父の死の2年後だという。お龍の名が龍馬と同じと言うことで気があったという。龍馬が江戸に向かう時にはお龍を呼んで祇園の超一流の茶屋で遊んだという。龍馬は易者にお龍は若衆姿に扮して大いに酒を酌み交わしたという。女性が御法度の茶屋でこうやって豪快に遊ぶのはいかにも龍馬とお龍らしいという。この頃、龍馬はお龍のことを「おもしろき女」と手紙に記し、お龍も龍馬のことを「変わっている」と語っていたという。

 

 

寺田屋事件ではお龍の機転で龍馬は命を取り止める

 尊王攘夷派の拠点であった京では池田屋事件が起こるなど騒然となっていた。龍馬の隠れ家も踏み込まれ、お龍の母が捕らえられたという。釈放されたお龍の母に龍馬は娘をワシにくれたら力になると言ったらしい。こうして池田屋事件から2ヶ月後に2人は身内だけでの結婚式を上げる。

 寺田屋に泊まっていた龍馬は幕府の手勢に襲われる。これを助けたのがお龍だったという。お龍と結婚した龍馬だが、お龍に危険が及ぶことを恐れてそのことは一般には伏せていたという。お龍は伏見の寺田屋で名を変えて女中として働いていた。そこが2人の新婚生活の場であった。

 龍馬は薩長盟約に関与したことで幕府に目をつけられていた。そして1866年1月23日の深夜、龍馬は護衛の長州藩の三吉慎蔵と2人で寺田屋の二階に、お龍は入浴中だった。そこに奉行所の捕り手がやって来る。2階の客の氏名を問われたお龍はそれを誤魔化すと、捕り手を正面に誘導している間に、隠し階段から2階へ行って龍馬に急を告げる。そして迎撃態勢を整えた龍馬は捕り手を階段で迎え撃つと、隙を見て飛び降りて逃げ出す。2人は薩摩屋敷に逃げ込もうとしたがたどり着けず、龍馬達は川沿いの材木小屋に逃げ込んだが、左手に手傷を負っていて命が危ない状態だった。その間にお龍は薩摩屋敷に救助を求めて走り、救助の準備が整ったところに龍馬に頼まれた三吉が薩摩屋敷に救助を求めてやって来る。薩摩は直ちに龍馬を救助に行き、龍馬は一命を取り留める。ただこれでお龍が龍馬の妻であることも公知となったという。

 

 

短い新婚生活の後の龍馬の死

 お龍も幕府に目をつけられることになり、西郷に京を離れることを勧められた龍馬は薩摩に匿われる。2人は船で瀬戸内を渡り、薩摩の温泉で龍馬の傷を癒やすと高千穂山に登山するなど新婚旅行を満喫したようである。高千穂山の山頂にある天逆鉾をお龍が抜いてみたいと言い、龍馬がやってみようと実際に2人で抜いたということも手紙に記しているという。実に奔放な2人である。

 2人は下関に移ると、お龍を知り合いの家に預けて、龍馬は亀山社中を設立するなど奔走していたという。龍馬はお龍を他の面々にも紹介したが、「生意気な女」と評判はあまり良くなかったとか(あの時代の女性の常識を越えているのだろう)。

 1867年9月、龍馬が久しぶりに下関のお龍の元を訪ねて数日で出て行くが、これが2人の最後の別れになってしまう。龍馬はこの後、中岡慎太郎と共に近江屋で襲撃され、33才でこの世を去る。事件から18日後、お龍の元に訃報が伝えられる。お龍は髪を切って仏前に供えると泣き崩れたという。

 

 

龍馬の死後の流転の生活

 この後のお龍は流転する。最初は土佐の坂本家を訪ねるが、兄夫婦に粗略にされ、お龍は怒って出て行ってしまう。そして土佐を去る時に龍馬との手紙を燃やしたという。京に行ったお龍だが蓄えも尽き、龍馬に世話になった人がいる江戸を単身訪ねる。しかし元海援隊士からはことごとく援助を断られ、龍馬の親戚の家を訪ねた時には「あなたはもう坂本家とは関係ない人間だから二度と来ないでくれ」と追い返されたという。1874年(明治7年)お龍は妹のいる横須賀に流れ着くと料亭の仲居として働き、翌年に35才で5つ下の商売人西村松兵衛と再婚し、名を西村ツルと改名する。

 その後、龍馬の伝記小説が評判となって龍馬が再評価されることになった時、お龍も世間の注目を浴びることになり、57歳になったお龍は取材を受け、その時に「龍馬が生きておったなら、また何か面白いこともあったでしょうが、これが運命というものでしょう」という言葉を残しているという。そして66歳でこの世を去る。

 

 

 お龍に関しては気が強くて回りとの折り合いが悪かったという話がよく残ってます。まあ番組でも出てましたが、時代を超えているというか、現代女性に近い感覚の人物だったんだろうと思われる。だからあの当時の感覚から言えば「生意気でかわいげがない」ということになるのだが、それが同じく時代を超えていた龍馬とは共鳴し合ったのだろう。

 なおお龍の写真とされている若い頃の写真(確かに美人な写真である)は、本当に彼女であるかどうかの確証はなく、彼女のものであることが確認されているのは晩年になって撮影された写真が1つだけだという。お龍にとっても龍馬にとっても互いにかけがえのない唯一の相手だったんだろうと感じられ、まさに2人の出会いは運命の出会いだったんだろうなと思われる。龍馬との日々はお龍にとっては刺激に満ちたもので、またそれが彼女の気質にも合致してたんだろう。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・お龍と龍馬はお龍が24歳、龍馬が30歳の時に出会い、意気投合した2人はその後に密かに結婚する。龍馬は彼女のことを「おもしろき女」と語っている。
・龍馬が寺田屋で幕府の捕り手に襲撃された時は、お龍が機転を利かせて時間を稼ぎ、龍馬が逃亡した後には薩摩屋敷に救援を依頼するために走っている。お龍の活躍で手傷を負っていた龍馬は命を取り止めた。
・その後、薩摩に匿われて2人は高千穂山登山をするなど新婚旅行を満喫している。
・下関に移ると龍馬はお龍を知り合いの家に預ける。海援隊士にも紹介したが、「生意気な女」だと評判は良くなかったようだ。
・しかし龍馬は近江屋で襲撃されてこの世を去り、お龍は坂本家を頼るがそこで粗略に扱われて飛び出し、流転することになる。
・その後、横須賀に流れ着いてそこで再婚して西村ツルと名乗ることになる。
・龍馬の伝記がベストセラーになり、注目を浴びることになったお龍は57歳の時に取材を受け、龍馬の思い出を語ったという。彼女はその後、66歳でこの世を去っている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・うーん、時代に乗り切れなかった女性でもあったのかもしれない。生まれるのが100年は早かったように思う。今の時代だったら、ベンチャーの女性社長とかになっているかもしれないような気がする。