教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/17 NHK 歴史探偵「大坂冬の陣 幻の大洪水」

大坂城の水没防御策

 今回は「大坂冬の陣について新事実が分かった」と千田氏が大活躍している。その新事実とは秀頼がとった大戦略。大坂城は水没防御策をとったというのである。

 その方法とは淀川の堤防を決壊させて、大坂城下を水浸しにするという方法。籠城戦の場合、完全に囲まれることで回りからの補給を断たれるという問題が生じるのだが、城下を水浸しにすれば、敵はそこに陣を置くことは出来ず完全包囲が出来なくなる。

 では実際に淀川の堤防を決壊させた場合にどの程度の浸水が起こるかを、地形データに基づいて、古気象学によって導き出した当時の降雨のデータを組み合わせることによって推測している。その結果として判明したのは、大坂城の北から東にかけての地域でかなり広範囲に浸水が起こり、その水深は2メートルにも及ぶというものである。こうなると滞陣はおろか攻め込むことさえ不可能となる。

 寄せ手が攻めあぐねると長期戦は必死。そうなると大軍である徳川軍はやがては秤量などにも事欠くようになる。それに対して豊臣軍は船を使って外部からの輸送も可能(といっているのだが、実際にこの時に外部から補給を行ってくれる勢力があるのかが私は大いに疑問なんだが)なので、状況的に徳川を不利に追い込んで有利な条件での講和なども可能となるという読みだという。

 

 

さらに真田丸の攻防にも影響が

 また真田丸にもこの戦術は影響しているという。かつては大坂城の一部だったと言われていた真田丸だが、地形の調査の結果などから実は大坂城から独立した出城であったことが分かってきた。出城の場合、やはり完全包囲されると孤立してしまうことになるのだが、この時のシミュレーションによると真田丸の背後にまで水が入ることになっており、これによって真田丸は完全包囲を免れることが分かるという。つまりは真田丸の建造もこの洪水戦術が前提にあったのではと言うのである。

 実際に水没した大坂城を目にした家康は絶句して攻めあぐねただろうという。しかしそれで終わらなかったのは歴史も告げるところ、これに対して家康は大土木工事で対応したのだという。

 

 

大土木工事で対応した家康

 周囲の河川から巨大な石が多数見つかっているが、従来はこれは大坂城の石垣に使う予定の石が運送中に落ちたものとされてきた。しかしそうではないというのが千田氏の観察である。というのは、石垣に使用する石は大きさが揃っているものだが、これらの石の大きさはまちまちであるという。このことから千田氏は、これは徳川軍が河川の流れを変えるために築いた堤防の痕跡ではないかとしている。

 千田氏の読みによると堤防の設置箇所は5カ所。そこで先のシミュレーションを実行したところ、大阪城下の水は直ちに引き始め。2週間ほどで大半の水がなくなったという。そして家康は真の狙いを発動させる。水が引いたことによって現れた大坂城北方の備前島に進駐すると、ここにオランダやイギリスから取り寄せた射程500メートルの最新鋭の大砲を設置、これで大坂城天守、本丸を狙い撃ったのである。この攻撃が豊臣軍の士気を大いに下げ、冬の陣は講和となる。

 

 

牢人たちに引きずられる形での再戦

 こうして一旦は講和となった大坂の陣だが、翌年の夏には再び戦に及んでいる。これについてこの番組では、大阪方が大量に雇い入れた牢人たちに恩賞(領地)を与えることが出来ず、その結果としてここで引き下がることが出来なくなった浪人連中に引きずれる形で秀頼は夏の陣に及んだとしている。

 もっともこれについては、やはり最初から家康は何が何でも豊臣家を滅ぼす執念を持っており、牢人の件はその口実にしたというのが事実であろうと私は考えている。実際に防衛戦なので領土は与えられなかったが、秀頼は金銭は牢人たちに与えているのだから。

 

 

 今回は大坂城の水没防御策が新事実として登場し、籠城戦は決して消極策でなく、秀頼は言われているよりは有能な将であったとしている・・・のだが、秀頼は決して無能ではないのは同意だが、そもそも作戦自体は秀頼一人の頭から出たものではなかろう。それに外部から支援を望めない状況下での籠城戦は、いくら攻めにくさを増したところで先行きのある策とは思えない。まあだからといって野戦に及んで勝利を収められるかと言えば、兵力で劣勢の上に牢人の寄せ集め集団で決して統制が取れていると言いがたい豊臣軍には難しいことであったのも確かだが。

 ところでビデオセクションで見覚えのある顔がと思えば宍戸開氏であった。最近はこういう場面で見かけることが多くなったような気がするが、このビデオセクションについてはかつてのヒストリアよりもかなり力が入っているような気がしており、結局はこの番組はそういうところが売りなのかなと思ったりした次第。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・大坂冬の陣において、豊臣方は淀川の堤防を決壊させて城下を水浸しにして包囲できなくするという戦術をとったことが明らかとなった。
・また城下を水で満たすことで、出城である真田丸の背後も水堀となり、真田丸の防御力も高まることとなった。
・攻めあぐねた徳川軍は、5カ所に大堤防を築いて水の流れを変えることで城下の水抜きを行い、2週間ほどで城下の水はほぼ抜けた。
・その後、大坂城北の備前島に西洋製の最新鋭の大砲をすえて、天守や本丸を狙い撃ちし、豊臣方を講和に引き込んだ。
・一旦は講和したが、大坂方の牢人たちが恩賞の領土などをもらえなかったことから納得せず、それに引きずられる形で再度の戦いが発生したとしている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・洪水防禦をとったところで、外部からの援軍のない籠城戦だと、何らかの対応をとられるのは必至です。本来は城の外部にも呼応できるある程度の兵力を置いておきたいところなんですが、それだけの戦力の余裕がなかったんですよね。かつての豊臣恩顧の大名の離反なんかにも期待していたのかもしれませんが、その見込みもほぼなかったし。まあ予想以上に善戦することでそういう方向に持っていきたかったというところなんでしょうが。
・ちなみにいざという時の洪水防禦は、低地の佐賀城もできるようになっていたという話があります。あそこは本丸が広大な湖の中に孤立するというような形になるとか。

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