教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/24 NHK 歴史探偵「江戸の天才たち」

 幕末の日本には様々な奇才が存在したのであるが、そのような人物たちのオムニバスである。正直なところ、以前に「ヒストリア」で同じ内容を見た記憶がある。

自力で望遠鏡を作り上げた国友一貫斎

 最初に登場するのは筆ペンを開発したり、飛行機の設計図まで書いていたという東洋のダヴィンチこと国友一貫斎。彼は元々は国友村の鉄砲鍛冶であったが、当時は鉄砲を作ろうとすると幅広い技術を要するため、その技術を様々な分野に展開したのだという。

 その一貫斎が作ったのが望遠鏡。元々は西洋から渡ってきた望遠鏡を見て感心し、自らそれを作ってみようとしたのだという。一貫斎が製造したのは反射式望遠鏡であるが、その時に問題となったのは精度の高い鏡を製造すること。当時の日本の鏡は金属をメッキしたものであり、表面に凸凹があるので望遠鏡の鏡に使うには精度が悪すぎたのだという。一貫斎は精度の良い鏡を製造するために試行錯誤し、金属の配合を様々変えるなど材の開発から行い、最後は日本刀の磨きの技術を取り入れて表面を高精度に磨き上げたという。

 ちなみに一貫斎が製造した望遠鏡が残っているが、その鏡の精度について測定したところ、現代の鏡と変わらないレベルの精度を持っていたという。一貫斎はこの望遠鏡で月面を観測し、その記録も残しているとか。

 

 

江戸時代の数学ブーム

 次に登場するのは江戸の数学マニアたち。江戸時代には日本独自の数学が発展し、自ら作成した問題を大きな絵馬に記して奉納するということが流行したという。このような数学の問題は今も各地に残っているという。なおこの数学の問題に現役京大生が挑戦したが、制限時間の2時間で正解にたどり着いた学生はいなかったという難問である。

 この時代は数学の問題集がベストセラーになるなど、江戸は数学ブームの様相を呈していたという。その背景は泰平の世になって経済が発展すると共に数学力が求められるようになったのだという。このために人々は競って数学を学ぶようになり、農民などまで年貢を正確に計算するために数学力が求められるようになったという。

 各地の塾で身分入り乱れて多くの者が数学を学んでおり、この学力のベースがあったから、明治以降の日本の急激な近代化が可能となったと言われている。

 

 

天才技術者のからくり儀右衛門こと田中久重

 最後は超精密なカラクリを作り上げたからくり師のからくり儀右衛門こと田中久重。非常に凝った精密なからくり人形や万年時計など優れた細工を多く残している天才だという。幕末には佐賀藩に抜擢され、蒸気機関の開発や武器の製造に携わったという。技術者として幕末に活躍したらしい。

 明治になると地元の久留米に帰る。既に71才になっていたが物作りへの情熱は止まず、製氷機などを制作した記録が残っているという。そして75歳の時に珍奇機械製造所という工場を立ち上げ、炊飯釜に精米器など珍しい商品を次々と開発したという。さらには電信機、電話機も手がけたという。彼の元で修行した技術者は政府の国営工場などで活躍したという。なお久重の元に最後まで残っていた工場が、実は東芝の前身だとか。


 幕末の凄い日本人たちの話です。国友一貫斎の話は以前にも聞きましたが、単に職人として手を動かすだけでなく、原理その他も自ら開拓していることから、かなり先進的な技術者です。同様に最後に出てきた田中久重もアイディアマンであり優秀な技術者です。今の日本が彼らのような人材が活躍できる社会だったら、恐らくiPhoneも日本人が発明していただろうと思われますが、残念ながら今の日本では両者ともに変人として排斥されてそれで終わりです。目先の金儲けだけに走った挙げ句の今の東芝の体たらくを見たら、田中久重氏もさぞや草葉の陰で嘆くことだろう。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸時代、鉄砲鍛冶の国友一貫斎は筆ペンを開発したり、飛行機の設計図を書くなど、東洋のダヴィンチともいうべき多彩なアイディアを発揮していた。
・彼が制作した望遠鏡が現存しているが、彼は西洋からきた望遠鏡を見て、自ら技術を開発してそれを製造、これで月面観測までしたという。
・また江戸時代には数学ブームがあり、多くのマニアがオリジナルの問題を絵馬に記して奉納するということが行われた。その中には現役京大生も頭を抱える難問も。
・精密なからくりで名を馳せたからくり儀右衛門こと田中久重は、幕末に佐賀藩に抜擢されて技術者として蒸気機関の開発や武器の製造に従事したが、明治になると75才で工場を設立し、様々な発明を行ったという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・やはり技術者の端くれしては、こういう人物はリスペクトするんですよね。どんな金持ちになった人物でもリスペクトする気にはなりませんが、こういう技術を極めた人には強烈に惹かれる。
・だけど日本はそういう人物を全く評価しなくなり、小手先の金儲けだけの人物が幅を利かせるようになりましたね。これが日本の衰退の原因。

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