教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

2/2 NHK 歴史探偵「缶詰は見た 日本近現代史」

発見された大戦末期の赤飯の缶詰

 2015年に見つかった太平洋戦争末期に作られた赤飯の缶詰を発端して始まる缶詰が関係した日本近現代史についてと言うのが今回の内容。

 この赤飯缶詰についてまず調査したところ、製造者の記載がついている。そこでまずはその製造者について調査してみると、該当する工場が発見されたので番組では現地の尾道に飛んでいる。そこで94才の昔から住んでいる人物に聞いたところ、確かに缶詰工場が戦時中にあったとの話。今はスイミングスクールになっていて現地には何も残っていない。当時の地図を見たところ竹中缶詰という名が浮上、調べてみたところ現在も京都府で営業しているとのことで取材。経営者によるとおじさんが作った物だという。軍隊で目出度い時にお祝いに使われたものだという。実際に敵をの船を沈めた祝いで兵士たちが食べている映像も見つかった。

 なおアメリカでは缶詰は軍隊における戦略物資として重要視され、4年間で9億食もの缶詰が前線に送られて兵士の胃を満たしていたという。これに対して日本は、缶詰の容器を作る鉄が不足していたので多くの缶詰工場が閉鎖に追い込まれたという。しかも日本軍は食料自体を軽視しており、現地調達などと現実離れしたことを言っており、結果として多くの兵が無駄に餓死に追い込まれる原因となっている。

 

 

輸出品だった缶詰から見た世界経済

 缶詰が日本で作られるようになったのは明治以降であるが、日本は缶詰を輸出商品として位置づけていたという。フランスパリでの万博では鮭の缶詰を出品して試食会を開催した記録も残っているという。昭和では缶詰の輸出は加速され、静岡ではツナ缶がアメリカに輸出されて大ヒット、4年で70万箱も輸出するようになったという。最盛期には全米で消費されるツナ缶の1/3を日本製が占めるようになったという。

 しかしこれがアメリカでの反対運動を巻き起こすことになる。カリフォルニアの経済に打撃を与え、ここの企業などとつながりが強かったフーバーが輸入規制を始める。時は折しも大恐慌の頃、これらの流れで保護主義が台頭し、それが世界経済を破綻に追い込むことになったという。

 

 

日中外交に活躍した製缶会社社長

 最後は日中外交に関与した缶詰関係の話。ここで登場する高碕達之助は戦前から缶詰の容器を作る会社の社長で業界のまとめ役だったという。彼は20代の頃から缶詰の技術を学ぶためにアメリカに留学しており、そこで人脈を築きその人脈は大統領だったフーバーにまでつながっていたという。さらには中国でも鉄の生産の関係で人脈が持っていた。彼はこの人脈を活かして中国との正式な交易を始めるための交渉に活躍したという。当時は東西冷戦の最中、中国と交易するにはアメリカの承認が必要。そこで彼はアメリカに渡って要人と会見を重ねた。彼の裏表のない誠実な交渉(缶詰とは中身が見えないから誠実さが命だと言っていたらしい)が相手に信頼され、有力議員であるマコーマックから黙認するという約束を取り付けたという。

 そして中国に渡った高碕は周恩来と交渉、政経不可分の原則を掲げて経済交流を拒む周恩来との交渉は難航したという。しかし周恩来に招かれて中国の産業を見学した時、意見を求められて「自動車工場で二万二千人使って三万台作っているが、その人員でなら日本じゃ九万台を作る。自動車工場の設計が間違っている。」と率直に語り、その言葉に周恩来は「よく指摘してくれた」と信頼関係が生まれたという。こうして1962年、日中両国は経済交流を深める覚え書きを交わし、その2年後に高碕は亡くなる。

 

 

 以上、缶詰を通じての日本の近現代史であったが、まあ缶詰という切り口はやや強引な感はあったが、登場したエピソードはなかなかに興味深く、まあ良い意味でこの番組らしくはあったか。こういう内容ばかりになったらそれはそれで「歴史としてどうなの?」って話になるが、たまになら閑話休題的に転換になる。

 まあこの番組にあまり多くは求める気にはなってませんが、それにしても不快な佐藤二朗だけはどうにかして欲しいというのが本音だな。なんかやたらにあちこち見かけるが、どういう点が彼の魅力なのかについては私は未だにどうも理解できない。演技見てもあまり上手いと思えないし、トークしたらグダグダの上になぜか何となく偉そうだし。まああくまで個人的見解なので、私のように感じる人間がごく少数派だったら、彼が人気が出てあちこちに出てくるのも当然なんだろうが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・最近に大戦末期に作られた赤飯の缶詰が見つかったが、その缶詰は軍隊で目出度いことがあった時に使用されるもので、敵船を沈めたことを祝って兵士たちが缶詰の赤飯を食べている映像も発見された。
・なおアメリカでは缶詰は重要な軍事物資として大量に前線で消費されたが、日本は鉄が不足したために缶詰工場は次々と閉鎖される状況で、さらには日本軍自体が兵站を軽視していたことが多くの兵を餓死に追い込むことになる。
・日本で缶詰が初めて作られたのは明治。その後、外貨を稼ぐ輸出商品としてアメリカなどに販売され、販売個数も増加するが、大恐慌を受けてフーバーが自国産業を保護するために輸入を制限、これらが保護主義の風潮につながって世界経済破綻に結びつく。
・缶詰容器を作る会社の社長で、業界のまとめ役だった高碕達之助は、戦後に日本が中国との経済交流を模索していた時にアメリカと中国での人脈を駆使して交渉、その誠実な物言いでアメリカの黙認を取り付けると共に、周恩来の信頼をも得ることに成功する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・ところであの赤飯の缶詰、まだ食べられそうな雰囲気があったのには驚きましたね。缶詰は缶に穴が開かない限りは半永久的に日持ちするという話もあるが、あれを見たら本当にそうかもという気がしてきた。理屈的には加熱で完全に殺菌してそのうえで空気と光を完全に遮断しているので、腐敗などが起こる余地がないらしい。もっとも缶詰メーカーに言わせると腐らなくても熟成のようなものは進むので、やはり賞味期間はあるらしい。もっともそれは数年単位の物で、しかも内容によっては数年寝かせた方が美味くなるものまであるとか。ただ経験的に、缶の成分によって明らかに金属臭くなることはある。

次回の歴史探偵

tv.ksagi.work

前回の歴史探偵

tv.ksagi.work