教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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2/3 BSプレミアム ザ・プロファイラー「玉座の革命家 ピョートル大帝」

ピョートル大帝の生涯

 今回はロシア史において最も偉大な皇帝とも、多くを粛正した暴君とも語られるピョートル大帝について。

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ピョートル1世

 

 

いきなり皇位継承争いに巻き込まれて追放される

 ピョートルは1672年にロシアのツァーリ(皇帝)アレクセイの息子としてモスクワで生まれる。しかし彼が4才の時に父のアレクセイが亡くなり、ピョートルの兄のフョードルが後を継いだものの在位6年で亡くなってしまう。こうして後継者争いとなる。ピョートルの母のナタリアはアレクセイの2番目の妻であり、先妻のマリアとの間にはなくなったフョードルを含め、娘のソフィア、息子のイヴァンの3人の子供がいた。その結果、ナタリアの実家のナルイシュキン家はピョートルを後継者に推し、マリアの実家のミロスラフスキー家はイヴァンを後継者に推して対立する。ただしイヴァンは身体が弱くて判断力に問題があったという。これに対してピョートルは身体も丈夫で民衆にも人気があったことから、宮廷内の話し合いの結果でピョートルが10才でツァーリに即位することになる。

 しかしこれにミロスラフスキー家のソフィアが黙っていなかった。彼女はツァーリの親衛隊を買収すると、ピョートルの一族や関係者を40人以上殺害、ナタリアとピョートルは捕らえられる。ソフィアはイヴァンをツァーリと周囲に認めさせ、自らは摂政となる。こうしてピョートルとイヴァンの2人がツァーリという異例の体制になってしまう。なおソフィアがピョートルを殺さなかったのは、ロマノフ朝の血が絶えることを警戒したためという(イヴァンは病弱だったようだからなおだろう)。

 ピョートルは母と共にモスクワ郊外の村に追放される。しかしこれがピョートルには逆に幸いしたという。宮廷の堅苦しい儀式から解放されたピョートルは気兼ねなく遊び回ることが出来るようなり、13歳になると外国人村に出入りするようになって、そこで軍人や商人、職人などピョートルの祖父がヨーロッパから呼び寄せた外国人と交流するようになり、そこで彼から外国語、算術、幾何学、砲術から要塞建築まで最先端の知識を学ぶ。さらにピョートルは15歳になると村の仲間と遊戯連隊と呼ぶ組織を結成し、戦争ごっこを始める。しかしそれはやがて武器を実際にモスクワから取り寄せての実弾を用いた本格的な軍事演習となり、将来的にこの遊戯連隊がピョートルの親衛隊の中核となる。なおピョートルの動向はソフィアの耳にも入っていたはずだが、子供の戦争ごっことして全く警戒していなかったという。

 

 

ソフィアの失策に乗じて復権する

 ピョートルが17才の時に権力奪取のチャンスが訪れる。ソフィアがオスマン帝国との争いで大敗するという失策をしでかしたのである。宮中でピョートル復帰を望む声が湧き上がり、好機と見たナタリアはピョートルを貴族の娘のエウドキアと結婚させ、翌年に息子のアレクセイが生まれる。この結婚というのはピョートルが一人前になったというアピールだという。これに対してソフィアは軍を動かしてピョートルの暗殺を試みるが、裏切りによってピョートルは計画を察知して村を脱出して強固な修道院に避難する。そこに遊戯連隊の面々はもちろん、宮殿内の軍人も続々と駆けつけて形勢は逆転する。ピョートルはモスクワに兵を送ってソフィアを捕らえて修道院に幽閉する。

 5年後に母ナタリアがなくなり、22歳のピョートルは自ら国を動かすようになる。そしてオスマン帝国との戦争を実施、黒海への出口に当たるアゾフ要塞の奪取に成功、国内の人気を不動のものとする。その戦いの最中にもう一人のツァーリであるイヴァンが亡くなり、ピョートルは24歳で唯一のツァーリとなる。

 

 

自らヨーロッパ視察に同行して西欧の文明に触れ、ロシアを近代化する

 1697年、ピョートルが25才の時、モスクワからヨーロッパに向けて各国と手を結んだり技術を習得するために250人の使節団を派遣する。ピョートルはその一行に身分を偽ってお忍びで参加する。そしてオランダでは東インド会社の造船所に滞在して造船技術を身につけるために働いたという。しかし2mを越える巨躯のピョートルは目立つので、回りはみな彼の正体に気づいており「王様の船大工」と呼ばれたという。さらに彼は解剖や手術に立ち会い、特に歯科には魅入られて技術を習得、使節団の者の虫歯を見つけては問答無用で抜歯したという。なお彼が抜いた虫歯コレクションには明らかに虫歯ではないと思われる歯も含まれており、この辺りがピョートルが拷問として歯を抜いたというエピソードとつながっているように思われる。

 さらに翌年にはイギリスに渡り、ここで王立海軍を見学、またも造船所で働いたという。そして海軍の演習を見学して、「私がツァーリでなかったらイギリス海軍の大将でありたい」と語ったという。

 しかしヨーロッパ滞在1年半、ウィーンで彼の旅は終わりを告げる。本国でソフィアを復帰させる陰謀が発生したというのである。ピョートルは直ちにモスクワに直行するが、一番最初に行ったことは高官の髭をはさみで切り落とすことだったという。当時のロシアでは髭を生やすのが一般的だったが、ヨーロッパではその習慣はなかった。ピョートルはロシアの風習をヨーロッパ風に改めることを目指し、ヒゲ禁止令を発布、どうしても抵抗する者にはヒゲ税を課したという。さらにロシア的な裾の長い服装をヨーロッパ的な動きやすいものに改めた。こうしてピョートルはロシアの近代化を進めつつ反乱の鎮圧を行い、関係者1000人以上を処刑したという。

 

 

スウェーデンと戦争で勝利して北東ヨーロッパの強国となる

 ロシアでの権力を固めたピョートルはヨーロッパの玄関口であるバルト海への進出を目指す。しかし当時のバルト海周辺はスウェーデンが押さえており、バルト海に出るには軍事強国であるスウェーデンに勝利する必要があった。ピョートルはデンマーク、ポーランドと三国同盟を結んで1700年にスウェーデンとの戦いである大北方戦争を開始する。しかしまず拠点であるナルヴァ要塞を制圧しようとするがこれに失敗する。スウェーデン軍を率いるカール12世は1ヶ月でデンマークを降伏させるとポーランドに侵攻する。当時のロシアは国土こそ広いが軍事強国とは言い難く、カール12世はポーランドの方が強敵と見て先にそちらを叩こうとしたのだという。危機を逃れたピョートルはこの間にバルト海周辺のスウェーデンの守備軍を打ち破り、その周辺の土地を奪取する。そしてそこを拠点に新たな町づくりを始める。新たな艦隊を建造してスウェーデンと再び決戦するつもりであった。そして1703年にペトロパヴロフスク要塞を建設すると、当時は不毛な沼地であったこの地に、自らの理想の都市であるサンクトペテルブルグの建設を始めるしかし軟弱地盤で工事は難航、ピョートルは年間4万人を動員して工事を進めるが、難工事によって数万人が亡くなったという。このため「街は涙と屍の上に築かれた」と言われている。

 一方、ポーランド軍を打ち破ったカール12世は兵の休息と食料の補充のために穀倉地帯のウクライナを目指す。これをキャッチしたピョートルはロシア軍を先行させるとカール12世を迎え撃つ、このポルタヴァの戦いでは連戦のために消耗が重なっていたスウェーデン軍はわずか1日で敗北、その後もロシア艦隊がスウェーデン艦隊に勝利して、1721年についにロシアにとって有利な条件で和平条約が締結される。これでロシアはヨーロッパ北東の最強国となり、ピョートルはヨーロッパの皇帝と同じインペラートルを名乗るようになる。この時ピョートル49才。

 ピョートルはモスクワからサンクトペテルブルグに遷都して移住者を募るが、西の果ての地ということで希望者はおらず、ピョートルは全土から強制移住を行うことにする。まずは職人2500人と富裕な商人を移住させ、邸宅建設が完了すると貴族も強制移住させる。こうして華麗な都市であるサンクトペテルブルグが成立する。ピョートルはこの地を天国と呼んでいたという。

 

 

ピョートルを悩ませた後継問題

 しかしピョートルにも後継者の問題があった。ピョートルが最初に結婚したエウドキアは保守的な人物でピョートルとは考えが合わず、そのことから息子のアレクセイとも疎遠であった。結婚から8年後にピョートルは彼女を修道院に追放して事実上の離婚をしている。アレクセイは母親から引き離されてピョートルの元で育てられることになる。そしてピョートルは農民出身のマルタ(後のエカテリーナ)を妻にする。彼女は多くの子を産むが幼くして亡くなる者が多く、成長したのは女子ばかり、結局はピョートルの唯一の男子はアレクセイだった。

 ピョートルはアレクセイにドイツ人の教育係をつけて後継者として厳しく育てようとするが、アレクセイはこれに反発した。母親の影響で保守的だったアレクセイは父親に付いていけないと考えていたのだろうという。

 アレクセイが21才の時にピョートルはドイツの小国の皇女と政略結婚させることにする。だがアレクセイは父への当て付けのように酒に溺れて愛人を作る。4年後にピョートルはアレクセイに「然るべき努力をしないなら王位継承権を剥奪する。」と手紙を出す。この直後にピョートルには男子が生まれている。アレクセイは皇位継承権を放棄して修道院に入ると返答する。しかしピョートルは「皇帝を継ぐ気があるなら一緒に遠征に参加せよ。さもなくば修道院に入る日時を伝えろ。」と送り返す。この直後にアレクセイは消息を絶つ。彼は妻の親類であるハプスブルク家のカール6世を頼ってウィーンに逃亡していた。ピョートルはアレクセイを送り返すことを要求。1年以上の交渉の後にアレクセイはロシアに送り返される。逃亡と国家叛逆の容疑で拷問にかけられたアレクセイは外国の力を借りてロシア打倒と父の暗殺を企てていたと自白させられる。翌年、アレクセイは28才で死刑の判決を受ける。そしてその2日後、獄中で謎の死を遂げる。

 しかし10ヶ月後、エカテリーナが生んだ男子が幼くして死亡し、ピョートルの後継者はいなくなってしまう。さらに1724年53才の時、ピョートルは運河の視察で悪天候で難破した船を見つけ、自ら冬の川に飛びこんで救助を手伝う。しかしこの後に高熱を発し、ついには腎臓を患って危険な状態となる。結局は明確に後継を定めることも出来ないままになくなり、結果的に帝位を継いだのはエカテリーナだった。この後、ロシアでは度々女帝が登場することになる。

 

 

 以上、それまでヨーロッパ辺境の野蛮国だったロシアを、ヨーロッパの強国に押し上げたピョートル大帝の生涯。ヨーロッパの先進的な文明に触れてそれを率先して取り入れようとしたというところが最大の特徴だが、そのためには軋轢も大きく、それ故に反対派の粛清などの強権的手法も駆使したという果断な人物である。

 まあ英雄といっても良い人物だと思うが、それだけに光と影も大きかったろう。しかし実際に反対派をあそこまで果断な粛正をしないと当時のロシアを近代化するというのは不可能だったのは事実だろうと思われる。この人物の評価もロシアの政治体制の影響を受けて、社会主義時代は帝政ロシアの暴君だったようだが、今のロシアではロシア帝国を作った偉大な皇帝という評価のようである。ちなみにピョートル大帝が作ったことでサンクトペテルブルグだったのだが、この都市は社会主義ソ連の時代にはレニングラードでレーニンの都ということになっていた。それが現在は一気に帝政ロシアに戻ってしまって再びサンクトペテルブルグということでなかなかめざましい。で、現在のツァーリはプーチンであるが、彼の後世での評価はどうなることやら。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・ピョートルは10才でツァーリとなるが、宮殿内での権力闘争で異母姉のソフィアによってモスクワから追放されることになる。
・しかしそこでピョートルは外国人村に出入りすることで外国語と算術、幾何学、砲術から要塞建築など最先端の技術を外国人から学ぶ。また後に親衛隊となる遊戯連隊を結成する。
・ソフィアがオスマン帝国との戦争で敗北したことで王朝内にピョートル待望論が持ち上がってくる。ソフィアはピョートルを暗殺しようとするが、裏切りで発覚、逃亡したピョートルは修道院に立て籠もる。やがてそこに遊戯連隊以外に宮殿からの軍人も駆けつけて形勢は逆転、ソフィアを幽閉して実権を握る。
・実権を握ったピョートルはヨーロッパに使節団を送るが、自身もお忍びでそれに同行して、自ら船大工として労働したりする。そうして身をもってヨーロッパの文化を体験する。
・しかし国内でソフィアの復権を目指すクーデターが勃発する。急遽帰国したピョートルは国内をヨーロッパ風に改めると共に反乱を鎮圧、1000人ほどの関係者を処刑する。
・国内を掌握したピョートルは黒海への出口を求めてオスマン帝国と戦争して勝利する。
・さらにバルト海進出を目指して、デンマーク、ポーランドと同盟してスウェーデンと戦争する。初戦ではスウェーデンの要塞奪取に失敗するが、デンマークを降服させたスウェーデン軍がポーランドに侵攻した隙を突いてバルト海沿岸のスウェーデン領を侵食、そこにサンクトペテルブルグを建設する。
・スウェーデンとの戦争は、ポーランドを破って補給のためにウクライナに向かったスウェーデン軍を待ち伏せて撃破、さらに海戦でも勝利したことでロシア優位の和平を締結、ロシアは北東ヨーロッパの覇者となり、ピョートルもそれまでのツァーリから西洋風のインペラトールを名乗ることになる。
・しかしピョートルは後継である息子のアレクセイと対立し、結局はアレクセイを処刑することになってしまう。結果として男子の亡くなったピョートルは、病死の際に明確な後継者を指名できず、彼の後は妻のエカテリーナが継ぐことになる。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・それにしてもこういう英雄に限って後継で困るってのはよくあること。英雄色を好むでやたらに子供を残して跡目争いが起こるケースもあるのだが、ピョートルはアレクセイ以外はエカテリーナとの間の二人の娘しか子供がいなかったとのことで、女にはあまり興味がなかったんだろうか。

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