教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/14 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「古代史ミステリー!物部氏VS蘇我氏の争い」

日本初の宗教戦争・丁未の乱・・・じゃなかった

 古代社会における最大の争いの一つ、物部氏と蘇我氏が争って物部氏が滅びた丁未の乱。この争いの元は崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が仏教を巡って争った日本初の宗教戦争であると日本書紀の記述から長年いわれてきた。しかし近年の研究では実は真相は異なるのではという考えが有力となってきているという。確かに日本書紀の記述は嘘ばかりなのは常識でもあるが、ではいかなる真相であったのかというのが今回の内容。

 まず日本書紀で言われている内容であるが、ヤマト政権の大王を支えていたのが物部氏と蘇我氏で、物部氏は軍事を司り、九州の磐井の乱を鎮圧したなどの実績があると言う。そして代々大連に就任していた。特に欽明天皇の代の大連の物部尾輿はかなりの権力を有していた。

 一方の蘇我氏だが、渡来人という説もあるが、歴史に蘇我氏が登場したのは蘇我稲目からだという。古代史研究家の遠山美都男氏によると、稲目以前の系譜は捏造と考えられ、豪族としての蘇我氏の登場は蘇我稲目からだと考えて良いと言う。ではそんなぽっと出の蘇我氏がなぜ大臣に抜擢されたかだが、それは彼が葛城氏という大王に匹敵する力を持つ有力豪族の娘と結婚したことによるという。大臣の役割だが、地方の屯倉(地方官庁)の設置と管理運営などであったという。その時にどうしてもスタッフとして文書作成などに長けた渡来人が必要であったので、自然と蘇我氏の元には渡来人が集まるようになったという。

 

 

仏教伝来に伴って両者が対立したというのが日本書紀の記述

 そんな時に百済を経由して仏教が日本に伝わってきたのである。そして日本書紀によればこれが両氏争いに発展したとする。百済から送られた神々しい仏像を見た欽明天皇はいたく感服し、これを日本に広めるべきか否かを家臣達に問うたところ、蘇我稲目は近隣諸国も仏教を信仰しており、我が国もぜひ受け入れるべきと言ったのに対し、物部尾輿は我が国には古より多くの神々がおり、蕃神(外国の神ということらしい)を祀っては神々の怒りを買うと反対したという。板挟みになった欽明天皇は稲目に「試しにお前が祀ってみろ」と言ったという。稲目は間に合わせの寺院を作るが、多くの人が訪れて彼は仏教には人を惹きつける力があると考える。しかしヤマト地方で疫病が大流行し、尾輿がそれを神々の怒りを買ったのだと訴え、仏教の排除が決まったという。そして尾輿は稲目が作った寺を焼きはらって、百済から来た金剛の仏像を川に投げ捨てたという。

 そしてその対立はさらに次代にも引き継がれたという。大臣が稲目の子である蘇我馬子になり、大連が物部尾輿の子である物部守屋になっても両者の対立はかなり激化していった。敏達天皇の時に許可を得て、馬子は百済人から仏像を譲り受けると石川精舎という仏殿を建てて、高句麗出身の元僧侶を招き、さらに信仰のあった渡来人の娘を出家させて日本初の尼にしたという。しかしまたも疫病が大流行し、ここでまた守屋が仏教廃絶を主張、敏達天皇もそれを認めたという。守屋は仏殿を破壊して仏像を廃棄、さらに尼たちを捕らえて裸にして尻を鞭で打つという辱めを与えたという。これで両者の対立はヒートアップ。敏達天皇の葬儀で両者が罵りあって刃傷沙汰寸前になって周囲に止められるという事態まで発生したという。

 敏達天皇の次は蘇我稲目の孫に当たる用明天皇が即位する。しかし用明天皇は病弱だったために即位後2年で病に倒れる。だがその病床で「朕は仏・宝・僧の三宝に帰依したい」と訴えたという(つまりは仏教徒になりたいということ)。そして用明天皇の死後、ついに両者が武力衝突になったという。

 蘇我馬子の軍が物部守屋の本拠に攻勢をかけ、それに聖徳太子も従軍していたという。蘇我軍は大軍だったが、物部軍は戦いに長けているために劣勢になる。この時に聖徳太子が四天王の像を彫って祈り、それで蘇我軍が勝利したという。そして蘇我馬子が勝利の後に日本で仏教の文化が花開いたとされている。

 

 

仏教の導入に関しては両者ともに異議を唱える立場になかった

 しかしこれは先の遠山氏によると「全く根拠がない」という。元々仏教の導入に関しては対立は存在しなかったというのである。というのも、そもそも欽明天皇に送られた仏像は百済王から公式に贈られたものであり、それに対して国内の事情で突き返せるものではないので、それに対して物部氏が拒否をするというのはあり得ないという。実際に物部氏が築いたと思われる寺院の跡が見つかっており、物部氏も仏教を受容していたという。

 では両者はなぜ対立したかであるが、物部尾輿は祭祀を担当していたので、当然仏教も自らが担当させられるものと思っていたのが、欽明天皇がそれを蘇我稲目に任せたことで物部氏の恨みが蘇我氏に向かったのだという。なお欽明天皇が稲目に仏教を任せた理由は、実は稲目がシャーマンだったのではないかと遠山氏はみている。

 日本書紀が宗教戦争として描いた理由だが、それは仏教の宣伝だったのではという。つまり仏教を崇拝した方がその力で勝利したとしたのだという。

 

 

仏教に伴う利権が争いの元となった

 なお尾輿が仏教担当の座を欲しがった理由だが、実際にその後の稲目は仏教に付随して外来の文化や技術の管理も担当することになって渡来人を支配することになって巨大な利権を獲得したという。

 では丁未の乱が起こった理由だが、蘇我馬子が勢力を拡大していく中、焦りを感じていたのが物部守屋であった。そんな中で敏達天皇が崩御、馬子は用明天皇を次期天皇に推す。しかしこれに用明天皇の腹違いの兄である穴穂部皇子が強い不満を感じていた。物部守屋はこの穴穂部皇子と手を結ぶ。しかしこの穴穂部皇子が、敏達天皇の后だった額田部皇女を我が物にしようと襲いかかるという大スキャンダルを起こす。これを敏達天皇の寵臣だった三輪逆がすんでのところで阻止したのだが、しかし逆ギレした穴穂部皇子が物部守屋と共に三輪逆が逃げ込んだ用明天皇の王宮を包囲して三輪逆を殺害するという暴挙に出る。しかしこの時に元々体の弱かった用明天皇が王宮を包囲されたショックで体調を崩してしまう。

 これで穴穂部皇子と物部守屋に批判が集まる。その時に馬子が「僧侶を伴って用明天皇に謝罪をされよ」と持ちかけ、穴穂部皇子は用明天皇に許され、結局は汚名は物部守屋が一身に背負わされることになる。やがて用明天皇が崩御、守屋は穴穂部皇子を即位させようとするが、額田部皇女が馬子に穴穂部皇子と守屋を討つように命じる。そして馬子は穴穂部皇子を殺害、本拠に逃亡した守屋の元に攻撃をかけ守屋は逆賊として集中攻撃を受けて滅ぼされてしまったのだという。

 

 

 最近は大化の改新が嘘八百だったということが明らかになってきたが、その前の丁未の乱も嘘八百だったか。一体どこまで嘘だらけなんだ日本書紀は。まあ元々編纂始めた時代よりも昔の話なんかは、必死で伝承かき集めたわけだからインチキな話が多いのは当然だが、比較的近い時代の話なんかもやっぱり権力者の意向でかなり歪んだりしているから、日本書紀なんかを読む時は裏読みするのが必需とは言われている。

 結局「日本初の宗教戦争」から行き着いた先は「ありふれた利権の取り合いのための戦争」というところに落ちてしまったと。まあその方が説得力がありそうな気もしない。何にせよ、聖徳太子が四天王像を彫ったらその加護で逆転勝利ってところから怪しさプンプンでしたから。

 なお山本正之氏の名曲「大化の改新」によると、蘇我氏と物部氏の対立の原因は「お互い相手の名前を笑ったことだった」とのことだが、この時代の名前って現代の感覚からみたら奇妙な名前が多いんだよな。中大兄皇子なんていう意味不明な名前が、突然に天智天皇ってやけに格好いい名前に変わってしまう驚異。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・旧来より日本書紀の記述から、蘇我氏と物部氏が戦った丁未の乱の原因は崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の仏教を巡る宗教対立だとされていたが、近年になってそうではないという説が有力となってきた。
・その説によると、そもそも物部氏も仏教を受け入れており、実際に物部氏によって作られたと思われる寺院の跡も発見されているという。
・では両者がなぜ対立したかだが、仏教導入に当たって祭祀を担当していた物部氏は仏教の担当も自分達がなると考えていたのに、欽明天皇が蘇我氏を仏教担当にしたことだという。
・実際に蘇我氏はその後、仏教に関連して外国文化の導入なども担当することになって巨大な利権を手にしたという。
・そして物部守屋は台頭する蘇我馬子に対抗するために穴穂部皇子と手を組むが、穴穂部皇子が額田部皇女を襲おうとするという大スキャンダルを起こしてそれに巻き込まれる形となり、ついには用明天皇崩御後に額田部皇女が穴穂部皇子と物部守屋の殺害を馬子に命じたことで守屋は逆賊として討たれることになってしまったという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・どうも聖徳太子が絡む話って信憑性の怪しい話ばかりなんですよね。その結果として、最近は「聖徳太子架空人物説」まで存在している。後「聖徳太子複数人説」もあったかな。何人かがチーム聖徳太子で活躍してたという。

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