教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/6 NHK 歴史探偵「縄文レボリューション」

イメージが変わってきた縄文時代

 今回のテーマは今人気の縄文。縄文マニアという渡邊佐和子がやけに盛り上がっていて少々暴走気味である。

 まず縄文のイメージだが、佐藤二朗も言っていた「狩猟採集生活」というのは今までの縄文の普通のイメージで、私の頃の教科書にそう記されていた。しかしこれは近年の研究によって大きく書き換えられている。

 種子島に残っていた縄文の集落の遺跡の研究からは、縄文人の作った石器などが見つかっている。この集落は海底火山の噴火で集落が当時の姿のまま火山灰に埋まった者だという(まるでポンペイだ)。そのために食生活の痕跡なども残っているという。発見されたの石の台と丸い石、ドングリなどを潰していたのではという。こうして潰した食べ物は焼いた石で蒸し焼きにしていたと推測されるという。

 

 

実は狩猟栽培民だった縄文人

 さらに土器に開いた穴である圧痕の形を調べることで大発見があったという。そこから見つかったのはコクゾウムシの跡。今まで穀類などにつく害虫のコクゾウムシは弥生時代の稲作と共にやって来たとされており、この時代には存在しないという通説が覆ったのだという。コクゾウムシがこの時代に棲息したとすると、稲に匹敵するデンプン質の穀物を食べていたということになり、ドングリなどの木の実を食べていたことが分かったという。このことから食糧が備蓄されていたことが推測され、縄文時代はそれまで放浪する狩猟採取民ではなく、実は定住していたらしいということが明らかとなったのだという。また時代の進展と共にコクゾウムシも全国に広がっており、定住生活が徐々に九州から全国に広がった経緯が分かるという。

 さらに野生の大豆であるツルマメの圧痕も見つかっているのだが、時代を経るに連れて大きくなっていっていることから、人工的に大きな豆を選んで栽培していたという品種改良までなしていたことも分かってきたという。縄文人は狩猟採集民でなく、狩猟栽培民だったというのである。

 

 

高い工芸技術を持ち、森林の管理もしていた

 また縄文人の工芸技術に注目すると、アズマネザサを使用した手編みの籠も発見されており、かなり高度な技術を有していたという。出土されたような細かい細工のためには1年目の柔らかい笹を用いないと無理であり、そういう管理も縄文人は行っていたのだろうという。

 また漆を採取した跡も残っており、さらには若い木を間伐して杭に転用したと推測それるものまでが発見されており、漆の森が密集しすぎて枯れないように管理していたのではないかという。さらには下草を刈るために用いられたと思われる木製の器具も発見されているという。

 この後、番組では編み物好きという渡邊アナによる編み籠に対する細かい解説が始まるのだが、これはいささか暴走気味。要は実は現在でも使用される技術が既にこの頃の編み籠に投入されているということである。

 

 

土偶に関する画期的な新説

 最後は土偶についての大胆な新説(つまりはまだ学会で認められているわけではない)を紹介。土偶のモデルは妊婦をかたどっているというのが現在の有力な説だが、在野の研究者である竹倉史人氏が唱えているのは、これらは当時の人々が食糧としていた植物をかたどった精霊像ではないかというものである。例えばハート型土偶の顔はオニグルミの断面に非常に類似しており、さらには栃の実に似ているものや栗を思わせる土偶もあり、これらの土偶が出土する地域もこれらの穀物が見つかる地域と重なっているという。なお有名な遮光器土偶についてはサトイモではないかとしている。これらは食糧がイネに収斂した弥生時代にはこれらの土偶に祈る必要がなくなり消滅したとしている。

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サトイモ土偶こと遮光器土偶、言われるとそう見えないでもない

 

 

 あまりに大胆な説なのでホンマかいなという気があるが、確かにハート型土偶などのあまりに爆発している造形はオニグルミと言われた方が説得力があるのは事実である。まあこの説の真偽のほどは今後の学会での議論を待ちたい。なお提唱者が在野の研究者という辺りも権威主義が強い日本の学会でなかなか認められない一因のような気はする。

 縄文時代の通説というものがこの数十年で実に大きく変わったということを紹介したのが今回の内容。いつまでも教科書の知識で凝り固まっていると時代遅れになるので、常に最新の知識によるアップデートは必要というお話でもある。実際に三内丸山遺跡などの研究結果からも縄文人が定住生活をして栗の木の栽培などを行っていたことは分かっており、昔の獲物を求めてさすらう縄文人というイメージは大きく修正されることになっている。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・狩猟採集民であったという縄文人のイメージは大きく変わってきている。
・土器の圧痕の観察から、弥生時代に稲作と共にやって来たと思われていたコクゾウムシが既に存在したことが判明し、縄文人はドングリなどの木の実を計画的に貯蔵して定住していたことが明らかになった。
・また大豆を意図的に大きな豆を選んで栽培していたことも明らかとなり、縄文人は狩猟栽培民であったことが判明した。
・さらに竹を編んだ高度な技術の籠も見つかっており、さらには漆の森を守るために計画的に間伐をしていたらしいことも判明した。
・土偶は妊婦をイメージしているというのが通説だったが、在野の研究者である竹倉史人氏が、これらは食糧としていた植物の精霊をかたどったものであるという大胆な新説を唱えている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・最近になって分かってきたことは、かつての獲物を求めて放浪し、運悪く獲物を仕留められなかったらそのまま行き倒れというハードなイメージの縄文人が、実は定住して森林などを育てて結構豊かに安定して生活していたというように変わってきている。それを思えば現代の方が、アホな政治のせいで生きていくのがハードモードになりつつあるかも。

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