教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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4/27 BSプレミアム 英雄たちの選択 「"円"はこうして生まれた!大隈重信 通貨改革の七転八倒」

金欠新政府のせいで経済が大混乱

 明治新政府は当初から資金難という大問題を抱えていた。三井などの豪商から資金を調達した記録が今も残っているという(長州閥が大企業から献金をたかる体質はこの頃からあったか)。

 江戸城に入城すると、直ちに金座・銀座などを接収して幕府と同じ貨幣を発行させるが、新政府発行の貨幣は金不足のために質を落とした物が多く含まれていたという。さらには奥羽越列藩同盟では武器調達のために銀に金メッキした二分金など、多くの偽金が鋳造されていた。新政府の財政担当の三岡八郎は太政官札を発行して貨幣として流通させようとしたが、そもそも戊辰戦争の先行きが不透明な時点での新政府の信用が全くなく、誰もこの新紙幣を信用しなかった。その結果、太政官札は大きく値崩れし、大坂の両替商では太政官札100両が金貨54両としか交換できないという状況に至る。さらには財政難を補うために太政官札を乱発したことが値崩れに拍車をかける。三岡はこれに対して手を打てずに財政担当を辞任、外交畑で実績を上げてきた大隈重信が後任となった。

 

 

通貨制度を整備するために「円」が登場する

 大隈は値崩れ防止のために強引な手を打つ。まず商品の仕入れに金銀でなく太政官札を用いることを義務づける。さらに太政官札の相場を禁止して額面で流通させるように命じる。そして税は太政官札で納めることを義務づける。違反者は厳しく取締り、政府内からも大隈の暴政と批判が出るほどであった。だが大隈はこれができなければ政府が瓦解するとして強行する。翌年、戊辰戦争が終結したこと、さらに大隈が3年後まで新貨幣を鋳造して太政官札をそれと交換するを発表したことで太政官札は信用を取り戻して明治3年にはほぼ額面通りに通用するようになる。

 しかし明治2年8月、上田で政府を揺るがす大事件が発生する。数千人の農民が暴徒化して城下に押しかけて火を放ったのである。騒動の原因は偽の二分金。農民達は繭を精算して生糸問屋に売って二分金を得ていたが、その二分金が偽金で農民達は大損害を蒙ったのである。そこに藩が御用金を課したことで農民達が激怒したのである。偽金の被害は日本人だけでなく外国商人の貿易の代金にも及んでおり、イギリスなどからの談判によって大隈は偽金を本物の貨幣と交換することを約束せざるを得なくなる。近代的な通貨を定めることは緊急の課題となっていた。

 この少し前に大隈は近代的通貨について太政官に最初の建議を行っているが、そこでは両などに代わって新たな単位を設け、10進法を採用して硬貨は円形にすることなどを訴えていたという。そうして新たな単位は「円」と定まる。明治4年2月15日、大坂に新たな近代的な造幣工場が建設されて創業式が行われる。

 

 

金本位制か銀本位制か

 この頃の大隈は本位貨幣の決定を迫られていた。銀本位制とするか金本位制とするか。イギリスのオリエンタルバンクは明治政府に銀本位制を取るようにとの進言を行っていた。実際に当時のアジア圏では銀本位制が取られていた。大隈はこれに基づいて銀本位制を固めるが、アメリカを視察中の伊藤博文から欧米は金本位制に向かっているので金本位制を採用するべしとの報告が届く。ここで大隈の決断である。

 ここで大隈は金本位制を選択する。一円金貨の金の含有量はアメリカの1ドル金貨と同じであり、これで1円は1アメリカドルと同じになった。さら1ドルは1両と交換されていたので、結果として1円は1両と等しくなった。分かりやすい交換比率のおかげで社会の混乱は最小限に抑えられることとなった。大隈は新しい体制に進めたことを「まことに痛快」と伊藤に送っている。なおこの時に貿易での決済のための1円銀貨も発行している。この銀貨は国際通貨をも狙っていたという。

 

 

国内向けには紙幣を発行するが・・・

 しかし次に控えているのは紙幣の問題であった。出回っている太政官札を置き換えるだけの金は用意できていなかった。しかも偽太政官札も出回っていたという。このため海外との交易には金貨銀貨を用いて、国内では紙幣を使用することにする。そして偽造を防ぐためにドイツに依頼して最新の印刷技術を用いた明治通宝札を発行する。これは太政官札と順調に交換されていく。

 しかしその5年後、西南戦争の勃発で明治通宝札は大量発行されることになり、大インフレが発生することになる。生活必需品の価格が2倍になったという。大隈はこれに手を打てず、明治14年の政変で大隈は政府を追われる。後任の松方はデフレ政策をとって日本銀行を整備、そして明治18年に日本銀行兌換銀券が発行され、明治通宝札は役目を終えることとなる。

 

 

 明治の動乱期に通貨制度の整備のために奔走した大隈重信の話。とにかく、信用のない政府がいくら通貨を制定したところで流通は不可能ということである。結局は明治新政府がある程度落ち着いてきてこそ大隈の剛腕でなんとか通貨を定めたが、西南戦争という内乱の発生でそれが一旦頓挫したというお話。また国内は無理矢理紙幣で抑えたとしても、やはり海外取引は金銀を使わざるを得なくなり、これを紙幣でやれるようになるのはもっと先の話となる。

 今でも政府が信用がない発展途上国の紙幣なんかは紙切れ同然で、超インフレの挙げ句に紙幣が額面でなくて目方で量られるなんて自体まで発生する。そうならないために先人が必死で頑張ったということである。もっとも近年になって政府のあまりの無能と腐敗ぶりのために、再び通貨の信頼が暴落する危険がそこに迫りつつあるのであるが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・明治新政府は発足当初から深刻な財政危機に直面していた。新政府は江戸に入ると従来の貨幣を発行したものの金の不足のために質が低下するなどの問題も起こっていた。財政担当の三岡八郎は太政官札を発行するが、戦費調達のために乱発した結果として勝ちの暴落を生み、三岡はそれを解決できずに辞任に追い込まれる。
・公認の大隈重信は、商品の仕入れに太政官札を使用することや、税を太政官札で納めることを強制するなどの強引な手法で太政官札の価値を高めようとする。戊辰戦争が間もなく終結したこと、大隈が3年後に新貨幣を発行して太政官札をそれと引き替えることを宣言したことなどで太政官札はようやく額面価値で流通するようになる。
・しかし偽金の流通などのために各地で問題が発生しており、新貨幣制度の整備は急務であった。大隈は新貨幣は「円」という新しい単位を用い、10進法を採用することにする。
・同時に貿易での決済などのためにも本位通貨を定めることが必要であった。アジアで多かった銀本位制にするか、欧米で新たな流れとなっている金本位制にするかを迷うが、結局は金本位制を選択、1円金貨などが発行されることとなる。
・一方で国内で流通させるには金が不足してたために、国内向けには新紙幣を発行する。偽造防止のためにドイツで最新技術を用いた明治通宝札が発行されることになる。
・しかし西南戦争勃発で明治通宝札は大増刷され、結果として大インフレが発生、大隈は明治14年の政変で政府を追われる。後任の松方はデフレ策を取ると共に日本銀行を整備、明治18年に日本銀行兌換銀券が発行され、明治通宝札は役目を終える。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ通貨の制度ってのは国の基本ですが、それだけに難しいです。特に紙幣はもろに国家の信用ですから。金貨・銀貨は貴金属の価値そのものですが、紙幣は政府の信用次第でタダの紙切れですから。だけど実際は紙幣ってすごい発明です。すべてを金貨や銀貨で持ち歩く大変さを考えると・・・。
・日本は実際は江戸時代に藩札という紙幣が普通に使われていたから、紙幣に対する抵抗も少なかったんでしょう。それがなかったらそもそも庶民が紙幣を金と認識しなかったでしょうから。そうして考えると、江戸時代の政治水準って意外と高いんです。後の明治新政府のネガキャンで誤解している人が多いですが。

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