歴史上最古の呪術の使い手・卑弥呼
いきなり呪術廻戦が登場で「何なんだこれ?」ってのが今回であるが、要は日本における呪術の歴史を見ようと言うこと。まあ一種の便乗企画である。
さて日本の歴史において呪術の使い手となると一番初期にに挙がる名は卑弥呼である。歴史書にも卑弥呼は鬼道をよくしてそれで人心を掌握したという記述がある。この鬼道というのの詳細が不明だが、恐らく天からお告げを聞くなどの占いの一種でいわゆる呪術に当たると推測されている。当時は特に天候の予測などが求められることから、需要があったのではという。さてその卑弥呼の最期だが、日食を予測することが出来なかったので呪力が衰えたとして反対派に殺害されたという説があるそうだ。しかしそれについては、この時に皆既日食が発生したのは北陸から中部にかけての地域であり、邪馬台国があったとされる畿内、北九州のいずれも無関係なので間違いだろうとされている。ただ畿内の場合、皆既日食はならなかったとしても、部分食ぐらいは発生しなかったんだろうか?
役小角に空海
飛鳥時代になると呪術界のスーパースターの一人、役小角が登場する。彼は仏教と山岳信仰などを融合した修験道の元祖だという。伝説によると、世の悪を払う強い仏の出現を祈ったところ岩を割って金剛蔵王権現が現れたので、以降これを本尊とした修験道を開いたらしい。その呪力で人々の病を治すなどを行っていたが、大和朝廷から危険視されて699年に伊豆大島に島流しに遭ったとのこと。しかしそれでも昼は島にいるが、夜になると呪術で海を渡って富士山頂で修行を続けていたという伝説があるらしい。
平安時代に呪術の使い手として上がっているのが空海。中国で真言密教の奥義を修得することで呪術の使い手となったという。空海に纏わる伝説も数多いのだが、その1つに上げているのが嵯峨天皇の時代に東寺を託されていた空海が、西寺の守敏と呪術対決したというエピソード。雨乞いを頼まれた二人は、まず守敏が雨乞いを行ったが雨はわずかしか降らず、次に空海が雨乞いをしたが雨は全く降らなかった。そこで不審に思った空海が魂を飛ばして調べたところ、守敏が空海の妨害をするために世界中の龍神を壺の中に封印してしまっていたのだとか。そこで空海は龍神の中で位が高く、唯一守敏の手を免れて天竺に潜んでいた善女龍王を召喚して大雨を降らせたとのこと。さらには守敏と呪殺合戦になったが、一計を案じた空海は自らが死んだとして弟子に葬式の準備をさせたところ、呪殺が成功したと安心した守敏が術を辞めたので、守敏の方が空海の呪詛返しの術で死んでしまったとかの伝説もあると言う。ちなみにこれらはすべて後世の創作であるのは言うまでもない。もっとも東寺は呪詛の類いはしょっちゅうあったという。
呪術界のスーパースター安倍晴明
次に登場するのは呪術界のスーパースター安倍晴明。様々な伝説に彩られており、式神を自由に操ったとされる晴明であるが、その実態は朝廷の陰陽寮に所属する公務員である。最初は天文を観察して吉凶を判断する天文道を担当、そこから頭角を現したのだという。特に安倍晴明に目をかけたのが藤原道長で、立場上様々な呪詛をかけられたりする道長を護衛する仕事などを行っていたという。その中で芦屋道満との呪術対決の伝説などが有名であるという。龍神を呼んだとか、箱の中のミカンを呪術でネズミに変えたとかの荒唐無稽な伝説が残っている。これに敗北した道満は晴明の弟子になったのだが、朝廷の命で晴明が唐に渡っている間に陰陽道の奥義の書を盗み出し、それを取り返しに来た晴明をその術で殺害したものの、後に復活した晴明によって倒されたとかの伝説があるようである。もっともこれらは後のいわゆる創作物のネタであり、晴明が中国に渡ったことはないとか、そもそも晴明の時代は中国は唐ではなくて宋だとか、かなり雑な創作らしい。なお道満についてはモデルと思われる人物は一応おり、この時代に多数いた民間の陰陽師(本来は陰陽寮所属の正規の者だけが陰陽師を名乗れるのでモグリである)の一人だったという。何だかんだでモグリの陰陽師に対する呪詛などの需要は結構あったらしい。
呪術と政治の関係
なお呪術は蒙古襲来の際にも使用されている。蒙古襲来で苦杯をなめた鎌倉幕府は、再度の侵攻に備えて防塁を整備すると共に、各地の寺社に蒙古調伏の加持祈祷を命じている。石清水八幡宮では真言律宗の祖である叡尊が700人の僧を率いて七日七夜の祈祷を行い、満願の日に愛染明王の鏑矢が西に飛び去って蒙古艦隊は神風で壊滅したとのこと。なんだが、まあこの手の伝説は幕府からの褒賞目当てででっち上げたものであろうことは言うまでもない。
陰陽師の末裔で宮廷陰陽道の中心となったのは、安倍晴明の末裔の安倍家だが、時代が経つと数も増えて派閥争いになった結果、生き残ったのが土御門家であるという。しかしその土御門家が生き残りのために時の権力者と駆け引きを繰り広げることになった。室町時代には幕府が国家全体の安全を祈祷する祭祀は幕府が行うとしたことから陰陽師の役割は減ってしまい、さらに江戸時代になると江戸幕府は宮廷陰陽道をほとんど必要としなくなり、幕府の祭祀に陰陽師が呼ばれなくなって、土御門家は収益減少で困窮することになったという。そこで彼らが目をつけたのは民間の占い師で、幕府に働きかけて占い師は土御門家の配下に登録することを義務づけさせたという。そして占い師から上納金を集めることで土御門家は潤ったという。しかしそれも明治になると、「迷信の類いは廃止するべき」とのお達しで陰陽寮は廃止され、陰陽師の命運も断たれる。とは言うものの、民間信仰は生き残ったので、未だに陰陽道に纏わる占いは民間に生き残っているという次第。
以上、日本の呪術の歴史について。まあネタがネタだけに、今回は最終盤以外は歴史と言うよりは伝説の列挙であり、エピソードとしては面白いが歴史ネタとしては役に立たない(笑)という内容であった。まあ今回は肩の凝らないお笑いネタとして流すの正解だろう。
それにしても平安貴族は、呪いや何やと恐れるものが多くて大変である。それらを避けるために一日の行事を決めるにはすべて陰陽師に占ってもらう必要があるので、陰陽師の需要はかなり高かったという。まあ大変な時代である。まあそれでも全員が全員それを信じていたわけではなく、中にはそれらを冷ややかな目で眺めていた奴もいただろうとは思うのだが。
また空海はその伝説が多すぎて、どうしても胡散臭さがつきまとってしまう人物であるが、歴史的に見れば唐から最新の技術を習得して帰ってきたインテリ技術者という側面を忘れることは出来ない。香川の巨大溜め池である満濃池は空海が作ったという伝説があるが、実際に空海はそのような最新の土木技術も習得して帰国したのだろう。何も中国で怪しい呪文だけを習得してきたわけではない。だから天候の変化などもある程度科学的に予測できて、雨乞いを始めるべき時期(祈りで雨を呼べるわけはないので、そろそろ降りそうな時期に儀式を始めるわけである)ぐらいは判断できただろうとのことで、それはごもっとも。ちなみに空海は現在でも高野山の奥の院で存命ということになっている。
忙しい方のための今回の要点
・日本における呪術の元祖にあげられるのは卑弥呼。彼女の行った鬼道は呪術の一種と考えられる。なお日食を予測できなかったことで殺害されたという説もあるが、当時の皆既日食の範囲から考えるとそれはなかったろうとしている。
・飛鳥時代になると修験道の元祖である役小角が現れる。彼は修行によって特殊な術を身につけたとされる。
・平安時代の空海も真言密教による呪術を行ったとされており、西寺の守敏との呪術合戦の伝説もあるが、当然のようにそれらはことごとく後世の創作である。
・呪術界のスーパースター安倍晴明は、朝廷の陰陽寮に所属する公務員であった。彼は藤原道長にも重用されたという。
・呪術はその後は戦にも利用されるようになり、蒙古襲来の時には外敵調伏の加持祈祷が行われ、それが神風を呼んだとされている。
・宮廷陰陽道は安倍晴明の末裔の安倍家が司ったが、時代が断つと分裂して主導権争いが発生、それに勝利した土御門家が中心となる。しかし江戸時代になると幕府の祭祀に呼ばれることもなくなって困窮したことから、町の占い師をすべて配下に組み込むことを義務づけるように働きかけ、そこからの上納金を取るようになる。
・しかし明治なるとついに陰陽寮が廃止、正式な役職としての陰陽師は終わりを告げることとなる。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・まあこういう超自然的な力に対する憧れというのは、未だに巷には存在しますから、この手の伝説って廃れないでしょう。もっとも今日において超自然的力を有すると称する者は100%詐欺師ですから相手にしないように。
・なおこの世界でもっとも成功したと言える安倍晴明と空海に共通するのは自己演出力の高さ。安倍晴明なんかも自らの術の信憑性を増すためのやらせなんかも多用していたらしい。この辺りは、今日マスコミなんかに登場する自称霊能者も見習っているところのようである。
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