教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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6/8 BSプレミアム 英雄たちの選択「頼朝暗殺未遂!?曽我兄弟敵討ち事件の深層」

曽我兄弟の敵討ちに隠された陰謀

 戦前には親孝行の仇討ち物語として人気を博していた曽我兄弟の仇討ち。しかし実は彼らの殺害ターゲットには源頼朝も含まれていたらしいということは、歴史関係者以外にはあまり知られていない。ではなぜ頼朝が狙われることとなったのか。

 ちなみに曽我兄弟のエピソードは以前に「にっぽん!歴史鑑定」でも扱っており、事件の経緯や背景などはそっちの方が詳しい。この番組は曽我兄弟よりも頼朝側の事情を中心に進めている。

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頼家を後継者にするために腐心していた頼朝

 さて当時の頼朝の状況だが、ようやく鎌倉幕府の体制は固まったものの、まだ安定したとは言い難い状態であったという。そして当時の頼朝が腐心していたのは、いかに嫡男の頼家をスムーズに後継者にするかだったという。というのも、当時の鎌倉幕府は頼朝の息子だから無条件で頼家が次期の鎌倉殿になれるというものではなかったという。御家人から見た場合、頼家よりも有力な後継者はいくらでもいるのだという。まず頼朝の弟の範頼。彼は平家討伐の総大将だったという功績がある。さら甲斐には頼朝に匹敵する血筋の良さを誇る安田義定がいた。頼家が彼らよりも武家の棟梁に相応しいという証拠を頼朝は御家人達に見せつける必要があった。

 そこで頼朝が考えたのが富士野の巻狩だという。ここで頼家がその弓の腕を披露することで、鎌倉殿に相応しい武勇を持ち合わせているということを示そうとしたという。また獲物を得ることが出来るというのは山の神から祝福されているということを意味し、それはすなわち頼家に神仏の加護があるということを示すことにもなるという。現代の感覚からだと何とも怪しげな権威付けだが、神仏が信じられていた当時では有効な方法であり、また裏を返すと頼朝が頼家が次期鎌倉殿に相応しいと示す方法はこれぐらいしかなかったという。

 

 

その晴れの舞台で発生した曽我兄弟の事件とその背景

 多くの御家人を引き連れて空前の規模で行われたこの巻狩で、頼家は見事に鹿を仕留めることに成功し、頼朝の目論見は成功する。だがその巻狩が間もなく終わろうとしていた夜に発生したのが曽我兄弟の事件である。曽我十郎祐成と曽我五郎時到の兄弟が頼朝の有力な側近である工藤祐経を殺害したのである。

 事の発端は伊豆を巡って有力豪族の伊藤祐親と争っていた工藤祐経が伊藤祐親の嫡男の河津三郎を殺害したことにあった。河津三郎の息子二人は曽我氏に引き取られて育てられ、一方の工藤祐経は頼朝の御家人として出世していったのである。

 こうして見事に本懐を果たした兄弟であるが、事件はそれで終わらない。二人は別の屋敷に向かって走り、十郎祐成は御家人9人を倒して10人目に討たれる。しかし弟の五郎時到は頼朝の屋敷に乱入しようとしたのである。捕らえられた五郎時到は頼朝に対する恨みがあったと答えているという。頼朝は五郎を勇士として許そうとしたが、工藤祐経の息子の涙ながらの訴えで五郎を引き渡し、五郎は晒し首にされたという。

 どうにも奇妙な点のある事件であるが、この事件の背景には陰謀が考えられるという。そもそもこの時期は頼朝を取り巻く御家人達が不安定になっていた時期だという。それはそれまでは敵を倒して奪った土地を恩賞として御家人達に与えていたのが、戦いが終わったことでそれが出来なくなったこと。また頼朝が政治の体制を固めるために、御家人達への通達をそれまでの直接のものから、政所を通してのものにしたことで、頼朝との距離が遠くなったと不満を感じる御家人が出ていたのだという。さらには御家人達の中での争いも発生。一族内での土地の奪い合いなどで訴訟沙汰が急増していた。頼朝はそれまでの軍事政権から、安定した平時の政権への切り替えを目論んでいたのだが、坂東武者はそれに対応できないでいたのである。だから「これならいっそのことトップをすげ替えて」という発想が御家人達の中に沸き上がっても不思議ではない状態だった。

 

 

大量粛清に加えて後への伏線を仕込んだ頼朝だが・・・

 事件を受けて頼朝は御家人の粛正を始める。巻狩に参加していた常陸国久慈の武士たちを曽我兄弟の夜討ちを恐れて逃亡したと所領を没収、さらに常陸の多気義幹からも富士野に駆けつけなかったと所領を没収した。また大庭景義・岡崎義実は突然に出家させられる。事実上の追放である。そしてついには頼朝の弟の範頼が謀反の意志があると処分されるさらに甲斐源氏の安田氏も粛正する。次々と粛正した頼朝だが、最後に気がかりとして残ったのが北条時政だという。

 頼朝は頼家の乳母には比企氏を選び、実朝の乳母は時政の娘を選んでいた。頼朝は両者が争うことを警戒して比企氏の娘を北条義時の妻にするなどの融和策をとっていたという。しかし北条時政は曽我兄弟の烏帽子親であり、かなり近しい関係にあり、時政が曽我兄弟をそそのかして頼朝を殺害しようとしたのではという懸念があった。

 ここで頼朝の選択である。時政を排除するか、それとも頼家が鎌倉殿になった際に比企氏が強大になりすぎるのを牽制するために時政を重用するかである。番組ゲストの意見は分かれたが、時政排除すべきの意見での「政治家に転じるには冷酷さを見せる必要がある」というのはなかなか含みの大きい意見である。しかし頼朝は現実には政子が恐くてそこまで出来なかったのではと言うのには笑ったが。

 というわけで、実際の頼朝は時政に遠江を与えて重用する。いわば自分の身内とも言える時政を重用することで鎌倉幕府を支えることにしたのである。しかし頼朝の計算違いは、間もなく自身が時政よりも先に亡くなってしまったこと。頼家が後を継ぐが4年後に頼家が病気になると、時政は比企能員を暗殺、比企氏を滅ぼして権力を独占、頼家の将軍職を剥奪、実朝を将軍とする。しかしさらに実朝に変えて娘婿を将軍職に就けようと画策したことで、義時と政子によって追放されることになる。だが将軍の実朝も公暁に暗殺されたことで頼朝の血筋は途絶えてしまうのである。頼朝にとっての大誤算は、自らの早すぎる死に加えて、時政がここまで大それたことをしようとは予想できなかったことにもあるという。

 

 

 以上、曾我事件に合わせて、当時の頼朝の盤石に見えて実は不安定極まりない権力基盤と、その中で疑心暗鬼にかられていく心境などを解説していたのが今回。安心したいと考えて一人粛正すると、その度にさらに不安が増して、結果として次々と粛正していくことになると言っていたのが印象的。まさに独裁者が陥る孤独そのものである。古今東西繰り返されてきたことであり、近年でも毛沢東やスターリンを上げておけば納得できるところである。

 それにしても最近のNHKは歴史に関する番組がすべて大河ドラマの宣伝になるという傾向があるが、今回なんかももろにそう。まさにこの週末にこのエピソードが放送されることになっていたようだ。それにしてもこういう宣伝が特に今回は露骨で執拗なんだが、やっぱり想定以上に苦戦してるんでないかという気がしてならない。どっちにしても私は今年の大河は第2話の頭で「こりゃダメだ」と見切りをつけて落ちたので関係ないが。とにかく「そもそも時代劇でない」「普通の人間をまともに描けない」という三谷幸喜の悪いところを濃縮した作品だったので見てられませんでした。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・敵討ちで有名な曽我兄弟であるが、実は父の敵の工藤祐経だけでなく、源頼朝の命も狙っていた。
・この頃の頼朝は鎌倉幕府の体制を固めたものの、軍事政権から平時の政権への移行期で御家人の心も離れつつあって不安定な状態であった。
・戦いが終わって御家人に与える領地がなくなったことから、御家人同士や一族の中での争いが増加して、訴訟件数が激増していた。
・この事件を期に、頼朝は御家人を次々と大量に粛正する。
・さらに曽我兄弟は北条時政との関係も深かったことから、時政が黒幕である可能性が浮上し、頼朝は対応に苦慮する。
・しかし時政を排除してしまうと、息子の頼家の後見である比企氏の力が強くなりすぎることを警戒し、時政を重用する。
・だが頼朝が急死した後、頼家が病に倒れると時政は比企氏を滅ぼして自らが後見していた実朝を将軍に据える。そしてさらに自分の娘婿を将軍にしようとしたことで、義時や政子に追放されることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・大河の第1話見ただけでも、北条時政にダークさの影も形もない描き方をしていたので、果たしてどんな歴史捏造をこれからするんだろうというのは少し気になりますね。この前ちょっとだけつけたら、ちょうど自刃直前の義経の元になぜか義時が忍び込んでいて、もうあまりに歴史捏造がひどすぎて呆れましたから。大体、いつまでガッキー出てるねん。

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