教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/29 BSプレミアム 英雄たちの選択「"日本第一の大天狗"後白河法皇」

日本第一の大天狗・後白河法皇

 今回は平清盛、木曽義仲、源義経などと対峙しながら、時には手を組み時には裏切りで、源頼朝をして「日本第一の大天狗」と言わしめた曲者、後白河法皇について。

 後白河法皇の人物像であるが、側近中の側近が「暗主」という言葉を残しているそうだ。ただしその一方で「一旦決心したことはルールに縛られず成し遂げた」ということも行っているようである。

 

 

父に「天皇に即位する資格なし」と判断されるが

 皇位継承者は天皇として相応しい能力をつけるために帝王学を学び、実際に兄の崇徳天皇は5才で即位して帝王学を学んでいるという。しかしその8才下の弟の雅仁(後の後白河院)は帝王学を学ぶどころか今様という一種の流行歌に嵌まっていて、父親の鳥羽院からは「天皇に即位する資格なし」とみなされていたという。雅仁の今様への嵌まりようは半端でなく、後に天皇や上皇になって今様を極めようと元遊女の乙前を師匠にしたというのだから、かなりのオタである。

 そして29才の時に転機が訪れる。近衛天皇が崩御したことに伴い、兄の崇徳院は息子の重仁を鳥羽院は雅仁の息子の守仁を天皇にしたいと考えて対立する。ただし守仁の父の雅仁を無視するわけにも行かず、守仁が成人するまでのつなぎとして雅仁に皇位を継がせることになる。こうして後白河天皇が即位する。翌年に鳥羽院が崩御すると後白河天皇と崇徳上皇の間で争いが勃発、これが武士を集めての衝突の保元の乱となる。この乱の結果、平清盛と源義朝を味方につけた後白河天皇が勝利し、後白河天皇は皇位を息子の守仁に譲って上皇となる。

 

 

平氏との蜜月とその破局

 また後白河院が清盛の正室・時子の妹の滋子を女房として寵愛するようになったことで平清盛との結びつきが強くなり、それが後白河院の運命を切り拓くことになる。なお滋子は後白河院の政務にも関与する優秀な女性であったという。そして滋子が後白河院と清盛を結びつけて平氏が栄達していくことになる。そして清盛の娘の徳子が後白河院の息子の高倉天皇の中宮となる。平氏と共に力を強めた後白河院は東山に院の御所と言える法住寺殿を建設する。その北には平氏の拠点の六波羅があり、これは後白河院と平氏の蜜月関係をも意味した。

 しかしこの法住寺殿の完成の3年後に滋子が35才でこの世を去り、それから後白河院と清盛との関係に軋轢が生じ始める。そして1177年に平氏の急速な台頭に反発する後白河院の側近が清盛暗殺及び平氏打倒の陰謀を企む。いわゆる鹿ヶ谷の陰謀である。この陰謀は事前に露顕して、清盛は院の近親達を捕らえて厳罰に処す。後鳥羽院も陰謀への関与を疑われたが処罰はされなかった。しかし近親達を失ったことによって急速に影響力を失うことになる。そしてその翌年、徳子が後の安徳天皇を出産する。後白河院にとっては孫の誕生であるが、単純にそれを喜べる状態ではなかった。後白河院はもし排除してしまったら院政を実施する上皇がいなくなるということで残されたのだが、これで安徳天皇が即位して高倉院が誕生して後鳥羽院は不要になる可能性が出て来たのである。

 1179年、清盛の後継者であった重盛が亡くなると、後白河院は突然に平氏に対して牙を剥く。重盛の所領を自分の近臣達に分け与えたのである。当然ながら清盛はこれに激怒、ついには後白河院を幽閉して院政を停止させてしまう。翌年に源頼朝が後白河院を救うとして挙兵、さらに木曽義仲も挙兵する。この時に思いがけず清盛が熱病で急死してしまう。平氏の統領は宗盛が継ぎ、宗盛から政権を返上したいとの申し出がある。こうして後白河院は復活を果たす。

 

 

木曽義仲が攻め寄せる中、平氏を見限る

 しかしここで木曽義仲が登場する。倶利伽羅峠の戦いで平家の軍勢に大勝利を収めた義仲は京を目指す。これを防ぎきれないとみた宗盛は、安徳天皇に後白河院、さらに三種の神器をもって西国に逃亡する決意を固める。ここで後白河院はどう振る舞うかである。平氏と共に西国に向かうか、それとも京に留まるか。

 ゲストの意見は分かれたが磯田氏は京に留まる。平氏についていっても宗盛だと平氏の統領としては役不足だし・・・と言っていたのだが、これは磯田氏は言葉の使い方を間違っている。正しくは「力不足」。役不足というのは役に対して力が足りないという意味ではなく、全く逆のその人の能力に比較すると役が軽すぎるという意味。これってよく巷で間違って使用されているのだが、磯田氏も間違っていたようである。

 で、後白河院の選択だが、平氏の動きを察知した後白河院は比叡山に逃亡する。つまり京に留まることを選択したのである。平氏が逃亡した3日後に木曽義仲が入京するが、義仲は安徳天皇に変えて北陸宮を天皇に推挙する。一介の武士が皇位継承に口を挟むのは前代未聞のことであり、後白河院はこれに猛反対して義仲と対立する。そして義仲はとうとう法住寺殿に火を放ち、後白河院は幽閉される。

 

 

義経に助けられるが、今度は頼朝を怒らせることに

 それを助けたのが源義経である。義経は義仲を打ち破ると平氏をも滅ぼしてしまう。しかし今度はその義経が頼朝と対立して刺客を送られる羽目になる。義経は頼朝追討の宣旨を出すことを後白河院に求め、後白河院はそれに応じる。

 しかし結局は義経につく武士はおらず、義経は西国へ落ち延びる。そして当然ながら頼朝は激怒する。そしてその時に頼朝が後白河院のことを罵倒した言葉が「日本第一の大天狗」である。後白河院はこれを聞いてかなり動揺しただろうという。頼朝の怒りを呼んだことでどうなるかで後白河院の周辺は騒然となる。そして頼朝は交渉のために北条時政を上洛させる。しかし後白河院を幽閉することはなく、後白河院の独断を防ぐために公卿が合議で政治を行う体制を構築する。そして義経追討の名目で守護・地頭の設置の権利を獲得する。そして1190年頼朝は京を訪れ後白河院と8度に渡る会談を実施、その後に法住寺殿の再建を行っている。そして1192年に後白河院は崩御する。

 

 

 と言うわけで「曲者」後白河院の生涯。前言撤回でフラフラしながらもかなり強かに生き残った人物と言える。深謀遠慮があるように見えて、実は結構その場の思いつきで動いているというのはその通りのような気がする。

 ただとにかく生命力が強かったというか、しぶとかったのは間違いない。皇室内では珍しく、ある意味で世情に通じていた人なのではという気がする。それとなりふりかまないというか、いわゆる普通の倫理観とかは乏しい人だったので、それがこの動乱の時代には幸いしたのかもしれん。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・後の後白河法皇となる皇子・雅仁は帝王学も学ばずに今様に打ち込んでいたために、父の鳥羽院からは皇位の資格なしと判断される。
・しかし雅仁が29才の時、近衛天皇が崩御。鳥羽院と雅仁の兄の崇徳院が対立する。崇徳院は息子の重仁を即位させようとしたが、鳥羽院は雅仁の息子の守仁に皇位を継がせたいと考える。しかし雅仁を飛ばすわけにも行かず、守仁が成人するまでのつなぎとして雅仁が後白河天皇として即位する。
・間もなく鳥羽院が亡くなると、後白河天皇と崇徳院の間で争いが勃発。武士を巻き込んでの保元の乱となる。結果は平清盛や源義朝を味方につけた後白河天皇が勝利する。
・後白河天皇は息子の守仁に皇位を譲って上皇となる。また平清盛の正室・時子の妹である滋子を女房として寵愛したことで清盛と接近する。滋子は政務を補佐するなどしながら、後白河院と清盛を仲介する。
・後白河院は院の御所と言える法住寺殿を平氏の拠点の六波羅の南に建設する。これも両者の蜜月関係を示している。
・しかし滋子が35才で急死すると、後白河院と清盛の間に対立が生じるようになる。そして後白河院の近臣が清盛暗殺を目論んだ鹿ヶ谷の陰謀が発覚、清盛は後白河院の近臣を処罰することで、後白河院の影響力は急速に衰える。
・清盛の後継者の重盛が亡くなった時に後白河院は反撃に出る。重盛の領地を取り上げると近臣に与えてしまう。しかしこれに清盛が激怒、後白河院は幽閉されてしまう。
・後白河院救出を旗印に源頼朝や木曽義仲が決起、そんな中で清盛が急死する。さらに平氏の軍勢は義仲に倶利伽羅峠の戦いで惨敗する。清盛に代わって平氏の統領となった宗盛は、安徳天皇と後白河院を連れて三種の神器と共に京から逃亡を目論む。
・しかし事前にそれを察知した後白河院は比叡山に逃亡する。
・京に入った義仲は、安徳天皇に代わって北陸の宮を天皇にすることを後白河院に要求、後白河院がそれを拒絶したことで両者は対立、義仲は法住寺殿に火を放ち、後白河院を幽閉してしまう。
・後白河院を救出したのは源義経だった。義経は義仲に続いて平氏をも滅ぼす。しかし頼朝と対立したことで、後白河院に頼朝討伐の宣旨を求める。後白河院はこれを与えるが、義経に味方する武士はおらず義経は西国に逃亡、後白河院は頼朝の怒りを買うことになる。
・頼朝は北条時政を交渉に送り、義経追討のために守護・地頭の設置を認めさせる。さらに後白河院の独断を防止するために公卿の合議制を導入する。
・後に頼朝が上京すると、両者は会談を行い手を組むことになり、頼朝が法住寺殿を再建する。そして1192年に後白河院は崩御する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・強かなのは確かなんですが、アホなのか賢いのか良く分からん人です。まあかなり個性の強い変わった人ではあったんでしょう。

次回の英雄たちの選択

tv.ksagi.work

前回の英雄たちの選択

tv.ksagi.work