教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

7/6 NHK 歴史探偵「元寇 モンゴル帝国の秘密」

意外と善戦していた日本軍

 昔は圧倒的な戦闘力の差でボロカスにやられた日本軍が、台風で助けられてようやく勝利を収めたとされていた元寇だが、近年の研究では思っていた以上に日本が善戦していたというか、モンゴルが苦戦していたという話も出て来ている。今回はその一環。

 まずはモンゴル軍の強さの秘密であるが、何と言っても騎馬軍団の機動力、攻撃力である。しかし有名な蒙古襲来絵詞に描かれているモンゴル兵は、ほとんどが歩兵であって騎兵はあまり見られない。このことについては私も疑問を抱いていたのだが、それには大きな理由があるのだという。

有名な「蒙古襲来絵詞」も何故か敵は歩兵がほとんど

 

 

得意の騎馬戦を行えなかったモンゴル軍

 では馬を連れてきていなかったのかと言えば、捕虜の証言によると軍船1隻に5頭の馬を積んできたとのこである。軍船は300隻あったので、1500頭ぐらいは馬がいたはずである。しかしこの馬が実際には使えなかったのではないかという。

 ここで番組は競走馬の大産地である日高の牧場に行って馬について調査している。それによるととにかく馬というのは神経質な動物であるので、車に乗せて輸送するだけでも大変なのだという。まず車に乗せるだけでも一苦労で、さらに車に乗せても揺れたりする度に馬が怯えるのでその間に馬の心拍は上がり続けるという。だから長距離を長時間かけて輸送するのは困難で、10頭を運べば18時間もすれば1頭が発熱し、20時間を越える辺りで発熱する馬が続出し、24時間を過ぎる頃には3頭が発熱、内1頭は高熱になって肺炎で死んでしまう恐れがあるという。それに対してモンゴル軍は船で17日かけて博多湾に到着している。到着した頃には馬達は体調を崩して使い物にならなかった可能性が高いという。つまり騎馬隊によって世界最強と言われていたモンゴル軍が、その騎馬隊を使えない状態になっていたと推測できる。

 

 

さらに船の構造が兵士の体調を崩す

 さらにモンゴル軍の問題は馬だけでなく、人の方にも大きな問題を抱えていた可能性が高いという。船に大きな問題があったのだという。モンゴルの軍船を作ったのは高麗だったが、発掘調査の結果から復元された当時の高麗の船は底が平らになっているという特徴があるという。このタイプの船は製造がしやすいので安価に短期間で作れるメリットがあるが、波に煽られやすいという弱点があるのだという。実際に中国タイプの底がV字になった船と揺れ具合を比較したところ、V字の船は波を切るのに対し、平らな船は波にことごとく乗るのでかなり揺れまくる(そもそもこのタイプの船は外洋でなくて内海を航海する船だろう)。この船で波の荒い玄界灘を航海したわけであるから、そもそも船に強くないモンゴル兵は船酔いで体調を崩して滅茶苦茶なことになっていたことが考えられるという。

 実は高麗側もこの可能性は分かっていたが、モンゴルから無茶な納期で費用は高麗持ちで造船を命じられたことから、中国タイプの船を建造するとなると工期が間に合いませんがとお伺いを立てたらしい。しかしモンゴルは船のことは全く分かっていないので、間に合わないと困るから高麗式で作れと言ったらしい。

 

 

再度の侵攻も日本側の万全の防御の前に敗退

 こうして第一次の元寇は大失敗するのだが、第二回目の時はモンゴルもかなり本気でしっかりと臨んでおり、鋤と鍬を船に積んでいたのが見つかっている。日本に基盤を築いて本気で占領に出るつもりだったらしい。

 しかし日本側も沿岸に防塁を築き、河口には船で遡上できないように杭を打つなど万全の体制で臨んでおり、モンゴル軍は上陸さえ出来ずに攻めあぐねることになる。またモンゴル側も広い範囲に上陸して相手の兵力を分断するという策を取らず、一箇所からのみ上陸しようとしたせいで集中攻撃を受ける羽目になるという作戦面での稚拙さも見られるという。

 上陸できないうちに船は朽ちてくるし補給も不足して兵も体調を崩し、そこに台風がやってきたものなので壊滅したのだという。

 

 

 うん、今回はこの番組で初めて「面白い」「役に立つ」と感じたんじゃないだろうか。馬が体調を崩すという点は今まで考えたこともなかった。確かになんで騎馬軍団で日本軍を蹴散らすモンゴル軍の姿が残ってないんだという疑問はあったのだが、やりたくてもやれなかったと言われると説得力がある。一方の日本側は騎馬武者が接近して一撃離脱するヒットアンドアウェイ戦法がかなり効果を上げたと聞いている。モンゴル軍の火薬を使った兵器などで混乱して潰走したというように言われていたが、当時のモンゴルの手投げ弾は、確かに派手な音はするが殺傷力はしれているので、あれだけで大兵団を壊滅されられるものではない。

 船の問題について、確かに以前から「モンゴルから無理矢理に軍船建造を命じられた高麗が造船で手を抜いて、それが結果として日本を利した」という話はあったが、これを見ていたら手を抜いたと言うよりもそうせざるを得ず、しかも発注したモンゴルの方はその問題を全く理解していなかったということのようである。そもそも船に乗ったことのないような兵士が、揺れやすい船で十数日玄海の荒波で揺られて上陸したら、確かにその時点で戦闘どころでない体調の兵も多くいた可能性はある。とりあえず日本側が意外と善戦したというか、対外に侵攻するのは実はそれだけ不利ということでもある。実際のこの時も、日本軍が徹底的にゲリラ戦に出たらモンゴルはいずれは補給の問題で撤退せざるを得なくなったろうと思われる。もしモンゴルが勝とうと思えば、鎌倉幕府の求心力が衰えて御家人の中からモンゴルに内通する輩が出てくるという展開になる場合。そういう意味では三回目がなかったのが幸い。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・元寇において、日本軍はモンゴル軍の圧倒的な武力の前に惨敗したとされていたが、実はモンゴル軍はさまざまな問題を抱えていて、かなり苦戦していた可能性が出て来た。
・まずはモンゴル軍の強さの秘密だった馬の問題。馬はかなり神経質な動物なので、17日かけての船の旅では、大半の馬が病気になって使い物にならなかったと推測される。
・また兵士も問題を抱えていた。高麗に発注した船は納期の関係で製作が容易な高麗式の船底が平らな船を製造したが、この船は波で非常に揺れやすく、多くの兵が船酔いから体調を崩していたと推測できるという。
・二回目の弘安の役では、モンゴル軍は駐屯用の農機具を搭載するなどかなり本気で臨んできたが、日本側が防塁を築いて徹底抗戦したために上陸も出来ず、沖合で手をこまねいている内に台風で大被害を受けた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ世界最強のモンゴル帝国をしても海を渡っての侵略は容易ではなかったということで、これが日本が諸外国の侵略を受けずに済んだ地政学的な要因です。変に対立するよりは適当に友好関係結んでおいた方が得という。ちなみに逆に日本側が攻め込んだ時(秀吉の朝鮮出兵)も、相手側のゲリラ戦と補給線遮断で散々な目にあって敗北してます。

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