偉人・野口英世の生涯
今回は野口英世。科学者でお札になったのは彼が初めてとのこと。その偉大な科学者の生涯なんだが・・・かなりドエライ人だったのは結構知られていて、その辺りは以前に「フランケンシュタインの誘惑」とかで放送されており、また歴史秘話ヒストリアの番外編「挫折秘話ブルーヒストリア」なんて番組でも紹介されていた。基本的にはその手の内容通りだが、フランケンシュタインなんかに比べるとややマイルドにはなっている。
貧困の中から支援者を得て医師を目指す
野口英世は福島の貧しい農家で生まれたが、そもそも父親が金が入ったら酒に使ってしまう(つまりは依存症だったんだろう)ような人物だったせいで、母のシカが一日中必死で働いて生活していたらしい。そんなある日、後の野口英世こと1才の清作が囲炉裏に転落して左手に大やけどを負ってしまう。医者に行く金もなかったために応急処置で凌ぐしかなく、そのせいで清作の左手の指は癒着してしまって手を開けなくなってしまう。シカは「自分が目を離したせいで」と悔やみ、野口はこの手では農作業の困難なので、学問で身を立てられるようにと学校に通わせる。
学校での野口は成績は優秀であったが、不自由な手のせいで虐められることもあり、左手のことが非常なコンプレックスになったという。それでも野口は努力して優秀な成績で小学校を卒業する。しかし貧乏な家庭ではそれ以上の進学は不可能だった。そんな野口を見た小林栄が野口の支援をしてくれて野口は進学することになる。
野口は16才の時に左手の手術を受けることになる。野口が書いた作文がきっかけになって、野口のために学校が音頭を取って現在のお金で20万円の寄付を集めてくれたのである。野口はその金でアメリカで医術を学んで帰ってきた渡辺鼎による手術を受ける。その結果、長年固まったままで歪んでしまった指は元通りとは行かないものの、指を切り離したことで手を開くことが出来るようになる。このことに感動した野口は医師を志す。
上京して医師試験に合格するが、同時に悪癖も現れる
しかし医師になるのは簡単ではない。ルートは2つで、大学で医学を学ぶか、医師の元で修行をして医術開業試験試験に合格するかである。しかし前者は貧しい野口には無理であり、10年ぐらいはかかると言われていた後者を選ぶしかなかった。ここで野口は渡邊に相談。渡邊は野口の熱心さに打たれて住み込みとして雇ってやることにする。野口は独学で医学や外国語を習得する。そんな時に野口が知り合ったのが歯科医師の血脇守之助である。
医師開業試験に合格するには実技の経験が必要と考えた野口は上京を決意する。小林栄や渡辺鼎から与えられた餞別40円(現在の価値で80万円)を受け取って上京した19才の野口。しかし彼はその金を2ヶ月ぐらいで使い込んでしまい、青ざめて血脇の元に駆け込むことになる。東京に魅了されてしまった彼は、遊興費で金を使い切ってしまったのである。野口の行動に呆れはしたが、その才能を買っていた血脇は、彼が医学院の寄宿舎の玄関番として働けるように取りはからう。さらに彼がドイツ語を学ぶための月謝まで工面したという。しかし野口はさらに金を無心する。それは試験のための学校に通うための学費と下宿代の15円だった。血脇は職場と掛け合って金を工面する。
そして野口は猛勉強の末に上京して1年余りで試験に合格する。しかし左手が不自由な野口では満足に患者の診断は出来ないのではないかと医師の仕事が回ってこない。そんな中で志賀潔の論文を目にした野口は、自分は臨床医ではなく研究医になって細菌の研究をすると決心する。
渡米を決意して資金を集めるが、ここでまた悪癖が
血脇に細菌の研究をしたいと告げた野口は、それなら伝染病研究所に入るようにと勧められる。北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所は日本の最先端の研究施設だったが、帝国大学出身の錚々たる学者がそろう中で学校を出ていない野口にはまともな研究をさせてもらえず、酒を浴びるように飲んでは借金をして浪費する日々を送るようになる。
しかし坪内逍遙の小説「当世書生気質」の中に田舎出身の野々口清作というだらしない医学生が遊興にふける姿が描かれており、「まさかこれのモデルは自分か?」と考えた野口は愕然とする。そして彼は野口英世に改名する。そしてアメリカから細菌学の権威であるフレクスナー博士が来日した際に、英語が堪能な野口が通訳を務める。そして野口は逆転のためには海外留学しかないと考える。
だが問題となるのは留学資金。ここで野口はまたも血脇に相談する。血脇と野口はあらゆるツテで留学資金をかき集める。なおこの時に資産家の姪と結婚の約束をして資金の援助を受けたのに、後でそれを破談にしたという結婚詐欺の疑惑まで存在しているとか。とにかく500円(1000万円に相当)という資金を集める。
しかしこれですんなり行かないのがこの男。なんとアメリカ出発までにその半分を使い込んでしまうのである。血脇も相当に呆れただろうと思うが、高利貸しから300円を借りて野口に与える。ただし野口が使い込んでしまわないように渡米寸前で渡したと言うから、血脇もさすがに野口の金に対するルーズさには懲りたのだろう。そして「君がただの借金魔か、それとも世界に羽ばたく人間か、それはアメリカで君が何をしたかで決まる」と言って送り出す。
フレクスナー博士の下に転がり込み、そこで頭角を現す
身1つでアメリカに渡った野口はフレクスナー博士の下に転がり込む。フレクスナーにしたら驚いただろうが、苦労して成功したフレクスナー博士は、野口の境遇に同情したのか自分のポケットマネーで野口を雇うことにする。野口はこれが最初で最後のチャンスと仕事に励み、蛇毒の研究の文献を3ヶ月でまとめて研究者として認められると、フレクスナー博士が所長となったロックフェラー医学研究所の一等助手に抜擢される。年俸1800ドル(7200万円)に最年少28才での大抜擢だったという。ここで野口は梅毒の研究に打ち込み、病原菌の純粋培養に打ち込み実験マシーンとまで呼ばれた。そして純粋培養に成功、さらに麻痺性痴呆症が梅毒に起因することも発見する。この功績でノーベル賞の候補にまで挙がったと言うが、その時はヨーロッパは第一次世界大戦に突入してしまったので該当者なしになってしまったという。また人種差別が存在した可能性もこの番組は指摘している。もっともこの番組はスルーしているが、梅毒の純粋培養は野口の方法では再現が出来ないということは当時からあったらしいので、野口の研究成果に対する疑問もあった可能性はある。
黄熱病の研究中に自らが感染して亡くなる
成功を収めた野口は1915年に凱旋帰国する。この時に母を旅行に連れて行ったそうだが、これが最後の親孝行になったという。
野口は黄熱病の研究に取りかかる。そしてエクアドルに渡って研究を開始した9日目に患者の検体から病原菌を発見する。この結果はロックフェラー医学研究所に報告されて発表され、野口ワクチンが開発される。しかしこの研究には多くの疑問が投げかけられた。野口の見つけた病原菌は黄熱病と症状の似たワイル病のものである可能性が高かったのである。番組ではロックフェラー医学研究所の勇み足としているが、野口の方にも焦りはあったはずである。
野口ワクチンが黄熱病に効かないという話が出始め、野口はその原因究明のためにアフリカに渡る。そこで再度研究に打ち込むのだが、なかなか研究は進まない。後に黄熱病は細菌でなくてウイルスによるものと判明し、当時の光学式顕微鏡では見つけることが不可能であることが分かったのだが、野口は解決しようのない問題に取り組んでしまっていたことになる。そしてその内に野口自身が黄熱病にかかって命を落とすことになる。
基本的には「フランケンシュタインの誘惑」で紹介された内容と被っているが、表現があちらよりはかなりマイルドになっているのが特徴。その分、野口の金にルーズという人間性の部分を紹介している(どちらかと言えば親しみやすい欠点も有している偉人というスタンスだが)。まあその辺りはあの番組とこの番組のスタンスの違いを示していて興味深いところ。まあ野口が極めて勤勉に研究に取り組んだのは間違いないが、その奥に強烈な上昇志向があったのは事実であり、成功を収めるために結論を急いだという点はあるし、それが彼の研究においての最大の欠点であったのも事実だろう。
なお血脇にしても他の人物にしても、なぜここまでして野口を必死で支援するんだろうと疑問を感じるところであるが、やはり時代として日本全体が欧米に追いつけ追い越せの時代であり、才能ある若者は積極的に支援して日本のために活躍してもらいたいという空気があったんだろうと思われる。今なんかは才能ある研究者を片っ端から雇い止めし、若者には多額の奨学金という名の学生ローンを課して押しつぶしているんだから、どうしようもない時代である。
忙しい方のための今回の要点
・野口英世こと野口清作は1才の時にいろりに転落して左手に大やけどを負い、それが原因で左手が不自由になる。しかし母のシカが学問で身を立てられるように野口を学校に通わせて、成績は優秀であった。
・小学校を卒業の後に小林栄の支援で高等小学校に進学できることになる。その時に学校がカンパを集めて野口は渡辺鼎による手術を受けて、左手を開くことが出来るようになる。
・これに感激した野口は、自らも医師を目指すことを決意する。
・医学校に進学する金のない野口は医師開業試験を受けることになる。そのために渡辺に頼んで住み込みで働かせてもらう。
・さらに実技の経験を積むために上京する。しかし小林や渡辺にもらった餞別の40円を遊興で使ってしまい、血脇守之助を頼ることになる。
・血脇は野口を支援、野口は医師開業試験に合格する。しかし左手が不自由なために臨床からはずれた野口は、細菌学の研究を志す。
・血脇のアドバイスで伝染病研究所に入るが、学歴のない野口はまともに研究をさせてもらえなかった。そこで野口は海外留学することを思いつく。
・留学費用のために野口と血脇は支援を求めて各地を回り、結果として500円を集めるが、渡米前に野口がその半分を使い切ってしまう。血脇は呆れたものの、高利貸しから借金して野口に300円を提供する。
・渡米した野口は、かつて来日時に通訳をしたフレクスナー博士を訪ねる。フレクスナーはいきなりやって来た野口に驚くが、彼の境遇に同情して私費で彼を雇用する。
・そこで実績を示した野口は、フレクスナーが所長となったロックフェラー医学研究所に一等助手として抜擢される。そこで梅毒菌の純粋培養などに取り組み、麻痺性痴呆症が梅毒に起因することを発見する。
・成功を収めた野口は、凱旋帰国の後に黄熱病の研究に取り組む。そして黄熱病の病原菌を発見して野口ワクチンが製造される。
・しかし野口ワクチンが黄熱病に効かないという話が出て、野口はその原因究明のためにアフリカに渡る。しかし原因は分からなかった。実は黄熱病の原因は細菌でなくてウイルスであり、当時の光学顕微鏡では見つけることが出来なかった。その内に野口は自らが黄熱病に感染してこの世を去る。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・まあ評価が難しい人です。先の「フランケンシュタインの誘惑」では「野口は科学史の人ではなくて物語の人」とまで言い切ってましたが、確かに天才タイプではなくてコツコツと努力する秀才タイプの人で、日本人はこのタイプの人間が成功するというエピソードが大好きなんです(努力は絶対報われると信じたい)。ただ客観的に見ると、野口の研究って後に間違いであることが判明したものが多いという現実がある。
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