教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/2 BSプレミアム ヒューマニエンス「"バーチャル"無いものをあると思える力」

実は攪乱されやすいヒトの五感

 今回のテーマはバーチャル。仮想現実のバーチャルリアリティが花盛りであるが、そもそも人間にはそこに存在しないはずのものと存在するかのように感じることが出来る能力が存在するという。

 我々は五感によって外界を感じ取っているが、実はこれが意外といい加減なところがあるようである。例えば温かいそうめんを食べてもらい、次にゴーグルをつけてそのそうめんにラーメンの映像を投影しながら食べるとラーメンのような味を感じ、焼きそばにすると焼きそば、蕎麦にすると蕎麦に感じるのだという。これはクロスモーダルと言い、ある感覚が他の感覚の影響を受けて変化する現象だという。大きな影響力を持つ視覚が「これはラーメンだ」と感じることで、記憶にあるラーメンの味が味覚を変化させてしまうのだという。クロスモーダルは空間感覚まで変えてしまう。四角形のテーブルの回りを触れながら一周してもらい、次に視覚から三角形のテーブルを見せると一周の手前で止まってしまうという。

 またバーチャルが人間の潜在能力をも引き出すのではという研究もある。まず被験者にダンベルを持ち上げてもらい、何秒耐えられるかを調べる。次に被験者に自身のアバターを見てもらうのだが、そのアバターが筋肉もりもりのマッチョになっている。そしてその後にそのアバターを見ながらダンベルを持ち上げてみるとタイムが伸びたのだという。逆にガリガリのアバターを見せるダンベルを持ち上げる時間は大幅に低下した。

 この効果はギリシア神話の姿を変える神にちなんでプロテウス効果と呼ぶ。アインシュタインのアバターを使用すると思考力が上がったなどという実験結果もあると言う。またアバターの表情を変化させることで自身の感情をも変化するという。見た目が心理にも影響を与えるのだという。

 

 

バーチャルはヒトの社会形成にも働いている

 この無いものをあると思える力というのは、人類が社会を構成するのにも利用されていると考えられるという。例えば紙幣は価値があると考えているのは一種の虚構であり、このような虚構の共有は人類の太古から存在し、例えば中国では貝を貨幣として交易していた。思想家吉本隆明の共同幻想論では、国家や風俗、宗教なども共同幻想であると説いている。このような共同幻想が共同体の帰属意識を生んで秩序を保つのだという。これは太古の社会における神話などがまさにそれであるという。同じ神話を共有するのは、同じコミュニティの仲間であることになるのだという。

 さらにヒトは道具を自分の手足のように使いこなしたりするが、実際にヒトはある条件を与えることで道具を自分の身体と認知するのだという。例えば被験者の前にゴムの手を置き、本当の手はついたてで見えないようにする。その状態で被験者がゴムの手を見ている状態でゴムの手と実際の手に同じように筆で刺激を与える。これをすることでヒトはゴムの手を自分の手だと感じてしまうのだという。だから突然にゴムの手をハンマーで叩いたりしたら、被験者はギョッとすることになる。ヒトはどのようにどの範囲まで自分の身体と認識しているかを理化学研究所の入來篤史氏が調べた。サルが道具を自分の身体と認識するメカニズムを調べたのだという。ニホンザルに熊手を使わせる訓練をし、サルが見ている状態で熊手に触覚刺激を与えたのだという。すると頭頂部のバイモーダルニューロンと呼ばれる神経細胞が活性化したという。ここは視覚野と触覚を制御する体性感覚野の中間に当たるという。我々の祖先は道具の使用でこのバイモーダルニューロンをかつてないほどに進化させてきたのだという。

 バーチャルが共感力を増すことにもつなげられる。国連が製作した「シドラの上にかかる雲」というドキュメンタリーはヨルダンの難民キャンプを360度カメラで撮影したものだという。擬似的に難民を体験できるのである。これを体験した人は体験していない人よりも2倍寄付するようになったという。また東京慈恵医科大学付属病院では認知症患者の感覚を新人看護士に体験させるという試みを行っている。例えば認知症患者が視空間失認という症状を発症すると、物の位置や距離感が分からなくなるために、車から降りるだけでもビルから降りるように感じるという。認知症患者の体験をすることでその状況を理解できるのである。このようなバーチャルリアリティを使用することで、障害者などの苦労も体感することが出来、偏見のないダイバーシティーを実現できるのではとしている。

 

 

 バーチャルリアリティが花盛りであるが、そういう感覚についての話。途中で紙幣がバーチャルだとか言い出した時には話が哲学的になりだしてどこに拡散するやらと心配になったが、一応は生理学的な話に戻ってきて安心した。要はバーチャル能力とは共感力でもあると言うことである。確かに自身が体験したものでなく、他の人が体験したことに対して共感するというのは一種のバーチャルであり、バーチャル的に理解が出来ないと言うことは共感力や想像力が欠如するということにつながるとも言える。

 ただバーチャルが共感力の育成でなく、逆に働く場合もあり得る。番組中でもバーチャル化する戦争についての話があったが、ドローンなどで戦場がバーチャル化することによって、そこにある血の臭いとかが消え去ってすべてが非現実化することによって、現実の戦場はより凄惨な物になる可能性もある。結局はバーチャルは人間の英知でもあるが、愚かさにもつながりかねないということだろう。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・人の五感は例えばラーメンの映像を見せながら温かいソーメンを食べるとラーメンに感じるなど、他の感覚や記憶に影響されるクロスモーダルという現象の起こるような結構いい加減なものである。
・またバーチャルで筋肉隆々のアバターを見せると筋力が上がり、ガリガリのアバターを見せると筋力が下がるなど、自身に対するイメージで能力が変化するプロテウス効果というものもある。
・無いものをあると思える虚構の共有は、ヒトにおいて社会を形成するための秩序の形成に貢献しており、古代における神話の共有などがそうであるという。
・また道具を手足の延長のように感じたりするが、一定の条件が揃うと脳のバイモーダルニューロンの働きで、自身の手足が拡張したかのような感覚が形成される。
・さらにバーチャルで難民の生活や認知症患者の知覚を体験することで、共感力を高める試みがある。バーチャルリアリティが偏見のないダイバーシティー社会につながるかもしれないという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

賢者は他人の体験からも学ぶことが出来るが、愚者は自身の経験からしか学べないと言うが、要は共感力というものを持ち合わせているかどうかという話なわけで、自身が体験していないことを擬似的に体験するのがバーチャルという解釈だった。ただ現代社会を見ていると、必ずしもバーチャル体験が共感力につながっているかはいささか疑問もある。

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