教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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9/19 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「江戸から明治へ!庶民たちの文明開化」

文明開化の大混乱、暦の変更で正月が2回?

 江戸時代から明治に代わり、文明開化とのことで社会の大きな変革があったのだが、突然に変革を強いられた庶民のほうもてんやわんやであった。今回はその文明開化の混乱を庶民の目線で描く。

 明治になると電信が開通し、郵便も開始されて飛脚が廃止されるが、郵便という言葉がまだ馴染みながなく、垂便箱と読んで郵便ポストで用をたす者までいたという始末。庶民も対応に苦労している。

 さらに混乱を呼んだのが暦の変更。それまでの太陰暦を廃して太陽暦に変更したのだが、発表までにわずか23日しかなかったことが混乱を呼ぶ。そもそも政府が改暦を急いだ理由は、欧米が太陽暦だから日付が合わなかったという不都合があるが、実はこの翌年が閏月がある年で、太陰暦のままだったら役人に1ヶ月分の月給が必要になるからという情けない話。

 しかし新年が前倒しになってしまった庶民は大混乱。新年準備の前の大掃除の暇さえなかったという。また各地の生活は太陰暦に基づいていたためになかなか対応できない。その結果、新暦と旧暦で2回正月をすることにした地域もあったという。日本が旧暦を使用しなくなったのは高度成長期の昭和30年以降だとの話。

 

 

閑散としたレンガ街に新たに登場した職業

 また大火で焼失した銀座を不燃性の建物で再建するとして銀座レンガ街が出来たのだが、これが今までの住民は到って不評だったという。それは建て直した建物に入居するための費用が高すぎたからだとのこと。おかげで最新の町並みどころかゴーストタウンになりかけたという。銀座が異様に高いのはこの時代からだったようだ。なお突貫で作った建物に欠陥があったって話も聞いたことがある。

 鉄道も開通し、歩けば半日の新橋-横浜感が1時間で移動できるようになったが、運賃が高かった(下等席でも今の価値で1万円だとか)ので庶民は見るだけだったとか。庶民も利用できた乗り物は人力車。明治の中期になると人力車は全国で20万台以上走っていたとか。新たな職業として人力車の車夫が登場したが、その服装は法被に股引と定められていて、これを守らないと営業許可が下りなかったとのこと。車を自前で持たずに借りて営業している車夫は生活が大変だったという。

 

 

服装や食生活も変化する中で、社会に矛盾も発生する

 また髷が廃止される断髪令が出たが、実際には1年経っても髷を切った人は10%ほどだったという。なかなか長年の習慣は変えられないということである。反対による暴動まであったという。また理髪師が不足していたので、珍妙な髪型も結構あったとか。なお女性で断髪する者もいたが、かなり批判を受けたこともあって東京では1年後に女性の断髪は禁止されて、服装も従来通りとなったとか。女性の洋装が登場するのは鹿鳴館以降で、庶民にまで定着するのはかなりかかったという。また椅子に合わせて女学校では袴を履くようになり、さらに髪型は束髪が進められるようになり、いわゆるハイカラさんスタイルが確立したという。

 食生活にも変化があった。いわゆる洋食が登場し、肉食が解禁される。明治天皇が肉食をしたという報が一気に肉食を広げたという。典型的なメニューがいわゆる牛鍋。日本人向けにアレンジした料理で、各地に牛鍋屋が出来たという。

 しかし文明開化の影で社会に大きな歪みが現れていた。インフレの発生で農村では食いっぱぐれた農民が都市に流入、彼らは不衛生な貧民窟に住み着くことになる。貧民窟の現状を見た新聞記者がその悲惨な様を記しているという。そんな彼らが生きるために使用したのが残飯屋だという。明治政府はこれに対して貧民救済は行わなかったという。日本で初の困窮者を救う救護法が制定されたのは昭和7年になったからだという。

 

 

 以上、文明開化の光と影。明治政府はとにかく金がなかったので、貧民救済なんかはあっさりと切り捨てたという。何となくダメダメっぷりは今の自民党政権と近いものがあると思っていたら、そもそもアレは長州閥だった。

 まあいくら政府が音頭を取って新時代をと行ったところで、庶民の習慣なんてものは一朝一夕で変化するものではない。髷の廃止1つを取ったところで、かなり時間がかかったという。ましてや暦なんて、農業は旧暦と密接に結びついているから、逆にホイホイと変える方が無理というものである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・明治になって暦が太陰暦から太陽暦に変更になったが、あまりに準備期間がなかったことから世の中は大混乱、結局は新暦と旧暦で正月を2回行う地域まで出たという。
・大火で焼失した銀座は耐火性を考慮してレンガで作り替えられたが、入居費用が高すぎたせいで元々そこに住んでいた人たちが帰ってこれず、ゴーストタウンになりかけたという。
・鉄道は開通したが、庶民にとっては高嶺の花で、庶民の交通機関は専ら人力車であり、全国で20万台以上が走っていた。人力車の車夫の服装は規定で定められていた。
・断髪令で髷が廃止されたが、それでも髪型を変える人は少なかったという。また特に女性の洋装が普及するのはかなり遅れた。
・洋食は肉食の解禁から徐々に広がった。典型的メニューは日本人に合わせた牛鍋で、全国に牛鍋屋が出来た。
・しかし農村ではインフレの影響で困窮した農民が都市の貧民窟に流入し、ギリギリの生活をしていた。彼らが生きるために利用したのが残飯屋だという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・貧民窟のひどい有様が伝えられていたが、このまま行けば日本が再びその状態になるのももうすぐと言える。やはり政治がひどいと国は滅茶苦茶になる。

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