教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/3 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「鎌倉幕府が恐れた日蓮~国難を次々と予言した男」

日蓮宗開祖の日蓮の生涯

 今回の主人公は日蓮宗の開祖である日蓮である。しかし日蓮の生涯を見ると弾圧との戦いの一生だったようである。

日蓮、いかにも信念の強そうな肖像である

 

 

法華経こそが唯一正しいとの信念にたどり着く

 日蓮は仏教について学んでいく過程で、仏の教えは1つのはずなのに、なぜこんなに多くの宗派が乱立するのか、また鎌倉は多くの寺院で守られているはずなのに、なぜ天災などが相次ぐのかなどの答えを求めてあらゆる仏典を読みまくったという。その結果として、法華経こそが唯一正しい教えであり、それ以外は間違っているという強固な信仰(通常は狂信と言うべき)にたどり着く。

 日蓮の布教は鎌倉の町に立つ辻説法で行われたが、日蓮の説法については批判も多く(そもそも自分から他の宗派すべてにケンカ売っているわけだが)、石を投げられるようなことも多々あったようである。

 それでもめげない日蓮は鎌倉幕府の前執権の北条時頼に対して立正安国論を提出し、念仏信仰(浄土宗などである)を辞めさせないと殺戮が横行する世の中になり治まらないとして、念仏信仰を禁止して法華経に基づく政治を主張する。そしてこの中でこのままではいずれは他国からの侵略と内乱が起こると予言していた。これは末法思想に基づくという。

 

 

支持者も増えていくが反対者が多く、ついには捕らえられる

 しかしこの過激すぎる日蓮の主張に対し、当然といえば当然のように幕府は相手にしなかった。そもそも時頼自身が信仰しているのが禅宗であり、鎌倉には他の宗派も多数あり、それらを否定するのは問題外だったのである。

 日蓮は反対者も多かったが、弁が立つ(いわゆるロンパ王だったようだ)ことから徐々に信者も増えていく。しかしこんなに回りにケンカを売っていれば当然に軋轢が発生する浄土宗の信徒に襲撃されて危うく難を逃れたということもあり、ついに1261年には幕府の役人に捕らえられて伊豆への流罪にされてしまう。2年後にようやく放免となるが、弾圧は続いたという。

 しかしそんな時に元からの国書が日本に届く。外国の侵攻が現実味を帯びてきたのである。この時の執権の北条時宗は強硬姿勢を取るが、不安を感じた人々は日蓮の信者となっていく。そして1271年の夏、干ばつが続く鎌倉では真言律宗の僧である忍性に雨乞いの祈祷を命ずるが、雨はふらなかった。日蓮はこれをそらみたことかと批判したのだが、これが忍性一派の恨みを買い(至極当然である)、「武装した凶徒が徒党を組んでいる」と幕府に訴えられ、日蓮は幕府の役人に捕縛されることになる。日蓮を捕らえたのは侍所所子の平頼綱で、彼は日蓮を引き回しにした上で斬首にしようとしたが、その時に謎の光が差して太刀取りが目が眩んで刑が出来ずに助かったという伝説があるようだが、その実態は研究者によると時宗の妻がこの時に懐妊していたので、こんな時に僧の首をはねるのはどうなんだという話になったのではとしている。

 

 

元の襲来で罪を許されるが最後まで幕府に意見は通らず

 斬首を逃れた日蓮は佐渡に流されるが、寒い佐渡の冬はかなり堪えたようである。しかし日蓮は法華経の中から「法華経を広めようとすると迫害される」という記述を見つけ、自分は法華経を広げるための行者だったと確信してさらに信仰を強める(より狂信者になったわけである)。また議論を挑む多宗派の僧をロンパして、中には自身の弟子になる者もでるというようにロンパ王としての活躍をしていたらしい。

 日蓮の流罪の半年後に幕府では権力争いの内乱が起こるし、翌年にはついに元からの最後通牒が幕府に届く。この後に及んで日蓮は罪を許されて幕府に呼び出され、元の襲来の時期の見込みを聞かれる。この時に待っていたのは平頼綱だったとか。日蓮は今年中には攻めてくるとの予想を語り、対策については真言宗に蒙古調伏の祈祷はさせるな、法華経だけを信じろと告げる。しかし幕府はそれは相手にせずに、あらゆる宗派に調伏の祈祷を命じる(まあ当たり前である)。日蓮は幕府に失望して鎌倉を後にし、身延山で門弟の指導や布教活動を行うことになる。

 そしてついに蒙古襲来となるのだが、2回の襲来は日本軍の奮戦と台風の幸運があってどうにか日本の勝利に終わる。実は日蓮はこの時に日本が滅ぶと予言していたらしいから、その予言ははずれたことになるが、その後の日蓮は弟子たちに元寇のことは語らぬように硬く指示したという。そして蒙古の2回目の襲来の翌年の1282年、日蓮は61才で死去する。

 

 

 以上、日蓮の生涯なんだが、正直なところ私はこの人物は苦手です。どう見ても過激な狂信者ですし、弾圧を食らったと言うがそもそも自分から回りにケンカを売りまくった結果の極めて自業自得としか言いようのない事態でもある。彼を見ていると「強固な信念」なるものは、往々にして極めてはた迷惑なものになるという気がしてならない。

 なお日蓮の流れを汲んでいるとされる某新興宗教が極めて攻撃的かつ独善的なのと、さらにやたらに政治に関与しようとすることなども、日蓮を見ているとさりなんと理解できてしまったりする。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・日蓮は法華経こそが唯一の正しい仏の教えとの信念にたどり着く。
・鎌倉で辻説法で布教を行ったが、他宗を批判することから反発も強かった。
・そして鎌倉幕府に対して、法華経のみを信仰するようにしないと内乱や他国の侵略に遭うと予言した立正安国論を提出するが黙殺される。
・その後も他宗批判を辞めなかった日蓮は、他宗派信徒に襲撃されたり、ついには幕府に流罪にされてしまう。
・そんな時に元の侵攻が現実化し始め、不安になった人々から日蓮に帰依するものが増え始める。
・それが他宗から「徒党を組んで反乱をしようとしている」と訴えられ、幕府に捕らえられると佐渡に流される。
・佐渡でも布教を続けていた日蓮だが、ついに元からの最後通牒が届き、罪を許されて幕府に元の襲来時期の見込みを聞かれる。日蓮は襲来は年内、対策としては法華経のみを信仰することと答えたが後半は抹殺され、幕府に落胆した日蓮は鎌倉を去る。
・元の襲来が起こるが辛うじて日本は勝利し、この侵略で日本は滅ぶとの日蓮の予言ははずれたことになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ元々私には宗教家ってのは天敵みたいなものですが、どうもあまりにオカルト色の強い空海と、あまりにも独善的で攻撃的な日蓮は特に苦手ですね。宗教家は親鸞上人のように適度にヌルいのが正解だと思う。日蓮なんてタリバーンみたいなもんだから。

次回のにっぽん!歴史鑑定

tv.ksagi.work

前回のにっぽん!歴史鑑定

tv.ksagi.work