教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

10/26 NHK 歴史探偵「東京"遷都"大作戦」

東京遷都を目指した明治政府

 今回のテーマは東京遷都。こう聞いたら、何か東京遷都に纏わるイベントをNHKがやってたっけと思ったが、どうやらそう言うわけではなさそうだ。

 さて日本の首都は東京と言うことになってるが、実際は法律的には東京を首都と定めているわけでないという。何となく一般に東京が首都と認識されているぐらいのものらしい。本来は遷都とは天皇が詔を出して正式に行うものなのだが、そもそも京都から東京に天皇が移った時はそれが曖昧なのだとか。

 京都はそれまで1000年以上日本の都であり、天皇の存在も町と密接に結びついており、京都には皇室御用達の店なども多くあった。それだけに明治になりましたから天皇を移しますとホイホイ出来るものではなかったという。そもそも遷都はおろか、天皇が御所から外に出るということは異例中の異例なので、明治政府はまずそれを行うことから始める。

 

 

まずは行幸で市民を慣れさせろ

 最初に行ったのは東京行幸。天皇が御所から出るのは行幸と言い、それは1863年に孝明天皇が攘夷祈願のために上賀茂神社に行幸するということが行われていた。そこでまずは行幸であるということで天皇が京都から一度離れることを行ったのだという。

 多くのお供を従えて東京に行った天皇は、東京で市民に酒を振る舞うということで心を掴んだという。もっとも実際に天皇が持参した酒は7樽だけでこれが天酒。しかし実際に配った酒は3000樽に及ぶので、これらの酒は別に調達し、そこにこの7樽の酒を混ぜて3000樽を天酒ということにしたという。番組ではこれをコップの水に0.4ミリリットルの醤油をまぜて、佐藤二朗が「醤油の匂いはかすかにする」とかやっているが、この下りは全く不要。この番組はこういう無駄な与太話がメインになりすぎている。

 なお明治政府が東京遷都を目指した理由は、天皇の存在を国民に身近に感じてもらうため。これが京都で御所の奥に収まっていたら、慣習や前例で雁字搦めで不可能だったのだという。東京行幸の様は錦絵などで全国に広がり、天皇の存在のアピールという目的は成功して天皇は3ヶ月ほどで一旦京都に戻る。しかし次がいよいよ本番の遷都である。

 

 

なし崩しで遷都を実行する

 今度は天皇だけでなく皇后や太政大臣も同行することになった。これを聞いた京都の民衆は「いよいよ遷都だ」と不安になり、皇居の門前に押しかけて遷都反対を訴える大騒動になってしまう。この動揺を鎮めるために、政府は「これは遷都(都を廃して新しい都を作る)でなくて奠都(てんと、新たに都を定めること)であり、京都は都として残る」と発表させたのだという。かなり苦しい言い訳に思えるが、この曖昧な状態で押しきったようである。

 東京に行った天皇は江戸城改め東京城に入り、ここを皇城と定める。皇城とは中国における政治の中心を意味する。要するに曖昧なまま実質的に東京遷都をしたわけである。

 京都に残された御用達の店の中には東京に進出するところ、京都に残って寺社をお得意したり、一般人に対象を広げて生き残りを図ったりなど様々な対応があったという。こうして未だに京都人にとっては「天皇はちょっと東下りをしているだけなので、いずれは戻ってこられる」ということらしい。


 以上、遷都に纏わる物語だが・・・ホントに中身がないな。呆れるぐらい中身がない。もっと政治方面の思惑とかがあるはずなんだが、その辺りが完全スルーなのが歴史番組としては浅すぎる。まあこの浅さがこの番組らしいところだが、ハッキリ言ってつまらん。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・明治政府は天皇をもっと国民に身近に感じてもらうために東京に遷都することを考えていた。
・しかし京都市民の反発は強く、混乱を避けるためにまずは天皇の東京行幸を実施する。
・この行幸で多くの国民が天皇のことを認識し、行幸は成功する。
・次は行幸の形で遷都を目指すが、皇后や太政大臣まで同行することで市民が遷都の意志を察知して反対運動が湧き起こってしまう。
・そこで政府は「遷都ではなくて奠都であって京は都として残る」とアビールしてなし崩しで遷都を実施する。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・何か言葉の言い換えでの誤魔化しとか、いかにも日本的な解決法。まさに玉虫色という奴で、この辺りは我が国の伝統か。

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