教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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10/31 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「平民宰相・原敬はなぜ暗殺されたのか?」

叩き上げの平民宰相・原敬

 爵位を持たずに総理になったことから平民宰相と言われていた原敬は、東京駅で1921年11月4日暗殺された。暗殺したのは鉄道職員の18才の青年だった。なぜ彼が殺されることになったのか。

平民宰相・原敬

 原敬は盛岡藩の家老を輩出する名門の武家に生まれるが、盛岡藩は戊辰戦争で幕府側に付いたことで新政府に賠償金を支払うことになり、これで原家の家禄は1/10にされたために、家や土地を売却する羽目になって生活に苦しむことになる。

 15歳になった原敬は学問で身を立てるべく上京する。英語の私塾に入ったものの、学費が続かずにすぐに退学になる。しかしそれでも学問を続けるべく神学校に進む。教会の運営で食費や宿泊費が無料だったからだという。彼はフランス人神父の家に身を寄せ、そこで布教活動を手伝いながらフランス語を習得する。この頃に7人兄弟の次男だった原敬は実家から分家して士族から平民になる。

 23歳で新聞社に入社してフランス語を活かして翻訳の仕事に従事し、やがて記者として自ら記事をも書くようになる。そして井上馨の同行取材をしたことでその語学力を買われて外務省にヘッドハンティングされる。そして役人として出世する。原に大きな影響を与えたのは伊藤博文で、彼の政党政治への思いを知ることで原もその方向へ。伊藤が立憲政友会を結党すると原はその中心メンバーに据えられる。こうして彼は政治家への道を進み、政界でも出世を重ね。1918年についに総理に就任する。

 

 

改革を実施するが、暗殺されることに

 その頃は米騒動の発生時で、責任を取った寺内正毅内閣が総辞職をした直後で、ここで立憲政友会の総裁だった原が総理に指名されたのだった。こうして初の平民宰相が誕生する。彼は政党政治を進めるために外務と陸海軍以外の閣僚を立憲政友会から選んで藩閥を一掃する。

 国民の強い期待を背負って総理となった原は、まずは米価の安定のために外国米の輸入を増やす。次に教育改革として公立・私立大学の設置を容認したことで、慶應義塾、早稲田などが専門学校から大学に昇格する。さらに高等学校を創設して5万人以上の若者に進学の場を与えた。さらに衆議院議員選挙法を改正して、それまでの選挙資格を直接税10円から3円に引き下げる。

 しかしその3年後、原敬は暗殺される。犯人は中岡艮一。彼は短刀を忍ばせて自宅を朝に出る。彼は新聞で原がこの日の夜7時30分の急行に乗車する予定なのを知って待ち伏せするつもりだった。「今日は休みなので友達と遊ぶ」と言って母から電車賃として14銭を受け取って家を出る。そして浅草でプラプラと時間をつぶす。そして2時間以上前から東京駅で待機する。実はこれまで彼は3度も暗殺を試みたのだが、原の到着時刻の遅れなどで失敗していたのだという。そして駅長室で発車時刻を待っていた原が出てきたところを刺殺に及ぶ。中岡は警護の警察官にすぐに取り押さえられる。なお護衛がいたのに守り切れなかった理由は、東京駅の人混みに中岡が紛れていたことと、厳重な警護を叩かれた原が警護を減らしいていたことがあるという。

 原はすぐに駅長室に運ばれるが、傷は心臓に達しており即死に近い状態だったようである。こうして原敬は65歳でこの世を去る。

 

 

社会に対する不満が原敬への憎しみに変わった中岡

 連行された中岡は土佐士族中岡と名乗ったという。土佐藩士の誇りを父に教え込まれて学問に励んだ中岡だが、父の死で高等学校を中退して印刷会社で働くようになったという。東京巣鴨の小さな家で母親と妹・弟と暮らしていた彼は、事件を起こす年の春に大塚駅のレールのポイントを切り替える転轍手になっていた。勤務は朝8時から翌朝8時までの24時間で、その間に3時間しか寝られない激務で、月収は現在の価値で15万円だったという。楽しみは映画の脚本を書いて応募することぐらいだったという。

 そのような普通の青年が強行に及んだ原因は、次第に国民から不信を買うようになった原敬に対する不満があったという。野党が男子普通選挙法案を帝国議会に提出したが、原敬は時期尚早としてこれに反対した。これに対して民衆は平民宰相に裏切られたと大きな不満を抱く。さらに第一次大戦後の恐慌で株式市場が暴落して不況の中で庶民の生活は苦しくなっていた。そんな中1920年、原敬は八幡製鉄所の労働争議の弾圧に警察と憲兵を出動させる。この強硬な姿勢には批判が沸き上がる。原に対する批判がマスコミなどで沸き上がる中で、中岡も原を民衆の敵と考えるようになる。実際にこの頃になると立憲政友会の本部が放火されたり、原の元にも殺害予告などが届くようになっていた。その挙げ句に立憲政友会に満鉄からの不正な選挙資金の供与という満鉄疑獄事件が浮上、さらには拓殖局長官がアヘンの密売を指図していたという疑惑まで浮上、政治腐敗に対する批判が沸き上がり、これが中岡にこの世を正すべきとの意識を強めたのだという。

 

 

黒幕存在説もあったものの、単独犯ということで決着

 中岡に黒幕がいたという説もあるという。ただその一人と上がっているのは大塚駅の助役の橋本栄五郎で、彼は日頃から原政権に対しての不満を語っていたという。そして事件の一ヶ月前に「今の日本には武士道精神が失われた!腹を切ると言うが実際に腹を切った例なんてねぇんだ!」と彼が語ったのを中岡が「私が原を斬ってみせます」と言ったのだという・・・ってこれって単なる勘違いじゃん。で、橋本も中岡をけしかけたとして裁判にかけられるが、証拠がなくて早々に釈放されたという(そりゃ当たり前だ)。

 もう一人黒幕として上げられているのが、国粋主義を掲げる玄洋社の総帥の頭山満だという。旧福岡藩士を中心とする政治結社で、アジア諸国を独立させてそれらと同盟を結ぶことで西欧列強に対抗しようという大アジア主義を掲げていた。しかし原は軍備の削減を進めており、世界と手を結んで中国やシベリアに対して領土的野心がないということを明確に宣言していたことから、彼らにとっては邪魔だったのだという。また事件後に中岡が頭山に頼ったこともあって、事前共謀説が出たという。中岡は死刑を求刑されるが、単独犯として無期懲役の判決が出る。しかし3度の恩赦があって11年3ヶ月に減刑されて出所し、77歳まで生きたという。

 なお原はいずれは殺されると考えていたのか遺言状をしたためており、そこには葬儀は質素に行うようにとか、死後に位階勲等を受けないようになどと記してあったという。最後まで平民を貫いたのだという。そしてこの後、政党政治は急速に衰え、15年後に2・26が発生することになる。

 

 

 以上、政党政治家原敬の生涯。彼自身は努力で成り上がった人であり、また彼なりの民主主義への展望も持っていたように思われる。しかし当時はかなり混乱の渦中にあり、性急な民主化は社会の混乱を増すだけという現実主義的な判断があったのだが、それが民衆には受け入れられなかったというところだろう。もっともこの時に彼が結果として民主化を押し止める方に立ってしまったことが、後の歴史から見て正解かどうかは微妙なところである。この後の日本は結果として軍部が暴走して破滅的な戦争に突き進むわけであり、それを政治家は抑止できなかった。そもそも大日本帝国憲法的権力体制に根本的欠陥があったのだから、そこをガラガラポンしない限り、いずれは破局的な方向に突き進むのは必然だったような気もする。

 なお犯人の中岡が10年ちょっとで出所して、77歳まで生きたというのには驚いた。その割にはこの事件自体にまだ謎が多いと言うことは、彼が後に事件について語らなかったのか、それとも語らせなかったのか。正直なところ、この事件にはもっと大きな黒幕がいるような気がしてならないのだが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・盛岡藩の有力家臣の家に生まれた原敬だが、盛岡藩が幕府方に付いたことで生活を困窮に瀕することになる。
・15歳で学問で身を立てるために上京した原敬は、フランス人宣教師の元で布教活動の手伝いをしながらフランス語を学ぶ。後に新聞社に入社して、井上馨の同行取材を行ったことで語学力を買われて外務省にヘッドハントされ、役人として頭角を示す。
・伊藤博文の政党政治に対する考えに影響を受けた原敬は、伊藤が立憲政友会を設立した時にその中心として起用される。こうして政治家への道を歩み始めると、着実に出世を重ね、ついに1918年に首相に就任する。
・当時の日本は第一次世界大戦後の恐慌で社会は混乱し、米騒動などが起こっていた時であった。原は米の輸入を増やして米価を安定させ、教育改革として公立・私立大学の設置を容認、衆議院議員選挙法を改正して選挙資格を直接税10円から3円に引き下げるなどの改革を求める。
・しかし急進的改革には慎重な現実主義者の原は、男子普通選挙を求める世論からは反感を買い、さらには労働争議を弾圧したことでさらに反発を買う。
・原を暗殺した中岡艮一は高まる政府への不満から、世の中を正すべきと東京駅で原を待ち伏せて暗殺に及んだ。
・東京駅に人が多くて、中岡が雑踏に紛れてしまったのと、原が過剰な警備を嫌ったことが暗殺を防げなかった原因されている。
・中岡に黒幕がいたという説もあったが、結局は中岡は単独犯として無期懲役の判決を受け、その後に3度の恩赦で11年3ヶ月で出所、77歳で亡くなっている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・なんかスッキリしない事件なんですよね。この後の2・26とかのテロの続発を見ていると、やっぱり背後関係はあるような気がして・・・。まああったとしても永久に表には出ないでしょうが。

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