教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/2 NHK 歴史探偵「後鳥羽上皇と承久の乱」

後鳥羽天皇の刀への執着が示すコンプレックス

 またもや大河ドラマの宣伝です。この番組って内容の半分は大河ドラマの宣伝ばかり。その安直さに呆れるばかりである。尾上松也が演じる後鳥羽上皇が間もなく登場とのことだが、そんなことはどうでも良い。

 で、この後鳥羽上皇だが、手形が残っているのだがそれによるとかなり大きな手をしており、力もかなり強い人物だったようでいわゆる軟弱な公家というイメージとはほど遠い人物のようである。

 後白河法皇をの孫であるのが後鳥羽上皇だが、天皇に即位したのは4才の時だという。だが実は彼はかなり大きなコンプレックスを持っていたのではという。隠岐での後鳥羽上皇が居住していた場所を番組では訪問しているが、隠岐に流された後鳥羽上皇はかなり寂しい生活を送ったようである。なお彼は刀を作るためのふいごと刀を残しているという。彼は生涯を通じて刀に執着を示しており、集めた一流の刀工に刀を作らせたり、自身で刀を打ったという話まであるとか。

 この後鳥羽上皇の刀への執着こそが彼のコンプレックスだというのである。彼のコンプレックスとは天皇に即位する時に三種の神器が存在しない状態で即位せざるを得なかったということ。その上に三種の神器の中の神剣は源平の争乱の中で壇ノ浦の海底に沈んで失われてしまった。後鳥羽上皇は何度も神剣の捜索を行ったそうだが、壇ノ浦の海は水流が早い上に水深50メートルの深いところもあり、潜水しての捜索は不可能だという。さらには海底には早い砂の流れもあり、神剣はすぐに砂に埋もれてしまっただろうという。

 その上に武士の台頭は後鳥羽上皇を脅かすことになっていた。だから武士に対抗するためにも刀は不可欠であったのだという。後鳥羽上皇は単に刀を作らせるだけでなく、独自の兵力を整備したり、自身も武芸の鍛錬を行っていたという。

 

 

御家人達の心を掌握したつもりでいたが・・・

 さらに後鳥羽上皇の考えを示すのが彼が建造させた水無瀬離宮だという。水無瀬離宮は単なる離宮ではなく、市場や軍事訓練用の馬場などもあり、一種の都市になっていたという。後鳥羽上皇はここに有力御家人などを招いて自身の権威を見せていたという。さらに後鳥羽上皇は蹴鞠の達人としても知られており、この蹴鞠を通じても武士たちともつながりを作っていたという。

 武士を取り込もうとした後鳥羽上皇であるが、それはついには将軍の実朝をも取り込むことになる。実朝は後鳥羽上皇を尊敬しており、彼に対しての忠誠を誓っていた。こうして後鳥羽上皇の武家政権の把握は上手く行くはずであった。しかし実朝が暗殺されたことでそれが狂ってくる。しかもこの時の騒乱で大内裏が焼失するという事件が発生、後鳥羽上皇は大内裏の再建を幕府に要請するが拒絶され、これで幕府との関係が決定的に決裂する。後鳥羽上皇は北条義時を呪殺する大規模な儀式まで実施したという。

 さらに後鳥羽上皇は京に滞在していた鎌倉の武士たちに官職を与えてこれを味方につける。その上で東国の御家人にも寝返りを仕掛けて義時の追討令を出す。これで後鳥羽上皇は自身の勝利を確信していた。しかし後鳥羽上皇は御家人達に官位などの地位と名誉を約束するのに対し、義時は具体的な土地の提供を提案しており、武士たちにとっては義時の提案の方が魅力的であった。そのために戦いは呆気なく義時の勝利で終わってしまい、後鳥羽上皇は隠岐に流されることになる。そして彼はそこで生涯を終えるのである。

 

 

 以上、後鳥羽上皇について。彼はそれなりに有能な人物だったんだろうが、悲しいかな天皇という境遇の育ちのために所詮は武士たちの心までは理解できなかったという限界である。どうやってもボンボン育ちは下々の考えを理解できずに大失敗をしてしまうというのが実に多いのだが、彼も見事にこのパターンを踏んでしまったということである。

 それはともかくとして、この番組のとにかく大河の宣伝が最優先というのはどうにかならないものか。おかげで今年は内容は鎌倉時代ばかりであり、ネタがないせいで内容が非常に薄いことが多い。今回なんかまだまともに歴史番組をしていたが、ひどい場合は大河ドラマの出演者を呼んで、佐藤二朗と中身のない与太話がメインというような見るに耐えない回も少なくなかった。今回は尾上松也が出て来なかったのが幸いというところか。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・後鳥羽上皇は刀工を集めて刀を打たせるなど刀に対する執着が強かったが、それは自身が三種の神器なしで即位した上に、神剣が源平の戦いで失われてしまったというコンプレックスがあるのではという。
・また武士の台頭を懸念していた後鳥羽上皇は、武士に対しての権威を示す必要もあって刀は武力の象徴として重要であった。
・後鳥羽上皇が築かせた水無瀬離宮は一種の都市となっており、御家人達をここに招いて権威を見せつけると共に、得意の蹴鞠などでも武士の掌握を行っていた。
・彼を尊敬する実朝が将軍となったことで幕府との関係も良好だったのだが、実朝が暗殺されて、さらに焼失した大内裏の再建を幕府に拒絶されたことで両者の関係は決裂する。
・後鳥羽上皇は義時を追討するために、各地の御家人達に官職などを与えることで味方に取り込む。しかし武士は具体的な土地を褒賞として示した幕府に付き、後鳥羽上皇は破れて隠岐に流される。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・天皇の中にはこの後鳥羽上皇とか、後の後醍醐天皇とか、たまにそれなりに有能でかつ野心を持つ人が出てきて騒動を起こすのだが、いつも最後は「やはり下の者の心を理解していない」という致命的な欠点で敗北することになってしまってます。所詮は世襲のボンボンの限界です。

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