教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/3 BSプレミアム ザ・プロファイラー「それでも地球は回っている!ガリレオ・ガリレイ」

実験によって通説をひっくり返したガリレオ

 望遠鏡を作って宇宙を観測し、地動説を確信したガリレオ・ガリレイ。しかし当時はアホな教会が聖書に基づいて天動説を主張していて、それに反すると異端として処刑されかねない。そんな中でなぜガリレオは真実に迫ろうとしたか。

ガリレオ・ガリレイ

 ガリレオは音楽家の父の元に7人兄弟の長男として生まれたという。この父が理屈っぽい人間だったようで音楽理論などにこだわっており、ガリレオも聡明で理屈っぽい子供に育ったらしい。彼は17歳になった時、父が医者になることを望んだことからピサ大学医学部に入学する。当時はルネサンスで科学が発展し始めた時代で、ガリレオは数学の世界にのめり込む。彼は特に数学と物理学、さらに実験にこだわったという。そして19才の時に振り子の等時性を発見し、25歳でピサ大学で教授に迎えられる。しかし当時のピサ大学ではアリストテレス時代の古い学問を指導する必要があって、ガリレオはそれに不満を感じて大学と対立、結局は3年で辞めることになる。しかし28歳になったガリレオは名門七のパドバ大学に教授として迎えられる。ここでガリレオはアリストテレスの説に挑戦する。

 ガリレオはアリストテレスの「思い物体ほど早く落下する」という説に疑問を感じ、この当時は常識と考えられていた説に異論を唱える。彼は斜面を重さのちがう玉を転がしてその時間を正確に測定、物体の落下速度は重さとは無関係であることを証明した。「アリストテレスは生涯で一回も実験を行ったことがないのだろう。科学においては実験を元に確立された原理こそが基礎になるべきだ。」とガリレオは語ったという。

 

 

40才の時の超新星の発生から天文学に興味を持つ

 ガリレオは温度計を発明したり、大砲の飛距離を計算できる軍事用コンパスなどを設計して、家族を養ったり実験を行うための費用を捻出していたという。

 ガリレオが40才の時、超新星が発生する。これは「天にいかなる変化もない」というアリストテレスの理論に反する現象であり、人々は大騒ぎになる。そしてガリレオにその答えを求める。これに対してガリレオは、自分にも今は分からないがこれからその期待に応えられるようにすると天文学の研究を始める。

 ガリレオはオランダで望遠鏡が開発されたという情報を元に、自分で同じような機械を作り出す。こうして高性能な望遠鏡を開発して星空の観察を始める。彼は月のスケッチを残しているという。さらに木星の4つの衛星を発見する。これは地球は宇宙の中心の特別な星ではないということを示すものであった。これは地動説を確信させるものだったが、ガリレオはそれの発表はためらった。地動説は異端と考えられており○チガ○な教会によって火あぶりにされた者までいたからである。そこでまずは自分が観測して発見した結果を「星界の報告」という本で出版する。この本の中でガリレオは木星の4つの衛星を当時のパトロンにちなんでメディチ星と名付けた。この本はイタリアで大きな反響を呼ぶ。そしてローマ法王にも絶賛される。教会のお墨付きを得たガリレオは観測をさらに行うようになる。

 

 

地動説を巡る騒動に巻き込まれる羽目に

 ガリレオは金星が満ち欠けによる大きさの変化があることを発見する。これで地動説を確信するのであるが、ガリレオはまだ公に地動説を唱えるのは躊躇う。しかしローマ訪問の2年後、彼は地動説に対する批判に巻き込まれることになる。彼が弟子に送った手紙に「聖書は誤りを犯さないが、解釈する者は誤りを犯すことがある」と書いてあったことが、勝手な聖書の解釈をしたとアホ共に批判されることになったのだという。

 結局教会は地動説に対する審議をすることになり、アホな狂信者共は全会一致で、地動説は馬鹿げており異端であるという大馬鹿な結論を下す。ローマに呼び出されたガリレオは地動説を擁護したり支持してはならないという警告を受ける。しかしガリレオはお咎めはないと知人に語っているという。

 50代に入ってフィレンツェで静かな日々を送っていたガリレオは、修道院に入っていた娘のマリアによって献身的に支えられるようになっていたという。天文学についての発言を控えていたガリレオだが、59才の時に10年来の友人で彼の支持者であるウルバヌス8世が教皇に就任したことで、自分にとってチャンスが来たと考えたガリレオは再び地動説についての執筆を開始、63才の時に「天文対話」を出版する。この本は天動説派と地動説派、そして中立派の3人の会話という形で地動説を仮説として紹介した本であった。しかしこれに教皇が激怒する。天動説派の人物は教皇を描いており、ガリレオは教皇をバカにしていると吹き込んだアホがいたのだという。結局ガリレオは宗教裁判にかけられる。ガリレオは自分は仮説として地動説を紹介したに過ぎないと主張するが、キ○○イ教会は強引にガリレオを異端と認定して終身禁錮を命ずる。ガリレオは地動説を放棄することを制約させられ、「天文対話」は禁書とされる。

 その後、幽閉生活を送ることになったガリレオであるが、最愛の娘を失い、さらに自身の視力も失うという不幸に見舞われるが、最後まで研究への情熱は失っておらず、口述筆記の形で力学について「新科学対話」という本を記したという。この本の中で「真空中ではすべての物体は同時に落ちる」ということを記している。これは後にアポロの実験で証明される。

 

 

 以上ガリレオの生涯について。なお1922年になって、ようやくヨハネ・パウロ2世がガリレオ裁判の誤りを認める声明を出したという。

 なお本文中にかなり教会を罵っている言葉が入っているのは、どうしてもこの件については、カルト宗教が心底大嫌いな私としては怒りを抑えることが難しく、滲んでしまった私の心の叫びです。私的にはこの時代のキリスト教会については「アホか!ボケか!カスか!クズか!」とどれだけ罵っても収まりがつかないぐらいの強烈な怒りと嫌悪を持っているというのが本音です。当然ながら元々の高尚な番組にはこんな下品な罵りは入っておりません(笑)。

 実際のところこの時代の教会にとっては真実がどうこうとかよりも、いかにして教会の権威を保つかと言うことが最優先であり、信仰は実はその単なる口実に過ぎなかったというのが実情だったと言うことで、教会に楯突く考えは絶対に許せなかったというところでしょう。ガリレオはその犠牲者だったというわけです。しかし結局はどうやって権威で無理矢理押さえつけたところで「真実は一つ」ということで、真実を抑えることは出来なかったということでもあります。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・ガリレオは実験に基づいた科学論で世間の評価を高める。
・当時は常識であったアリストテレスの「思い物体ほど早く落下する」という考えに対し、ガリレオは実験によって物体の重さと落下速度は無関係であることを証明し、当時の常識をうち破る。
・40才の時に超新星が現れたことをキッカケにガリレオは自作の望遠鏡での天体観測を始め、木星の4つの衛星を発見するなどを行う。そして観測の結果、地動説が正しいことを確信するに到る。
・しかし当時地動説を唱えることは教会から異端として処刑される恐れがあることから、ガリレオはとりあえずはまずは自分の観測結果を発表、それが大評判となる。
・だが地動説に対する批判に巻き込まれ、教会に地動説を支持しないことを誓わされる。
・その後、自身の友人のウルバヌス8世が教皇に就任した時をチャンスと見たガリレイは、地動説を仮説として紹介した「天文対話」を出版する。
・しかしその本に他ならぬウルバヌス8世が激怒、ガリレイは宗教裁判にかけられることになる。そこでガリレオは地動説を仮説として紹介しただけと主張するが、強引に有罪判決が下され、地動説は封印、「天文対話」は禁書とされ、ガリレオは幽閉されることになってしまう。
・それでもガリレオは生涯研究心を失わず、死の前に力学について語った「新科学対話」を発表している。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあカルトに支配された世の中ってこんなものです。当時のキリスト教ってのは権力を握ったカルトという最悪のものでしたから。今でも権力を握ろうとしているカルトが存在しますが、カルト支配下の社会ってまさに暗黒です。