教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

11/21 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「東大生の闇 光クラブ事件の謎」

ヤミ金融に走った秀才東大生

 今でも様々な出資金詐欺事件が続発しているが、それらの元祖とも言える有名な事件が光クラブ事件である。この事件は主犯が東大法学部の学生であったこと、さらに彼が最後に青酸カリで服毒自殺したことなどから有名であり、小説「白昼の死角」などの元ネタにもなっている。

 主犯の山崎晃嗣は千葉で、医師であり後に木更津市長を務めることになった地元の名士を父に持っている。成績優秀な山崎は東大法学部に進学する。東大入学後も2年間で20科目中17科目で優を取得し、東大出身の総理大臣若槻禮次郎依頼の秀才と持て囃されたという。

 しかし当時の学生は困窮しており、闇米の売買などに関わる学生もいたという。山崎も一時期闇米の売買を行っていたが、彼の場合は困窮していたわけではなく(実家から十二分な仕送りを受けていた)、大学そのものに嫌気がさしていたという。というのも彼は全教科での優の取得を目指していたが、教授の好みに合わずに優を取れない科目があったことで勉学に嫌気がさしたのだという。そこで勉学以外で自分の能力を示したいと考えていたのだという。しかし実際の闇米の売買は労多くして儲けが少なく割が合わないと考え、もっと楽に大儲けをする方法を考えるようになる。

 

 

自身の経験から悪の道へと

 そんな時に新聞広告で目にした元大学教授が行っているという投資に目をつける。山崎はその広告主の財務協会を訪れ、手元にあった10万円(現在の価値で1000万)を持参する。財務協会の理事長は自分が経営するアメリカ向けのガムを製造する会社への投資を勧める。これに投資したら担保にアメリカ向けの賞品を付けて2割の利子を乗せた12万円分の手形を渡すと言われる。この話に魅力を感じた山崎は10万円を財務協会に託す。しかしこれが実は詐欺であった。金は返ってこず、さらに理事長が教授をしていたという大学を訪ねると、そんな教授は聞いたことがないと言われる。

 この経験が光クラブ設立の切っ掛けになる。山崎は自分ならもっとスマートに出来ると自信を持ったのだという。彼が真っ当な道を歩まなかったことには軍隊での経験が影響しているという。彼は東大に入学後に陸軍経理見習士官に志願、主計少尉として北海道・旭川の北部第178部隊に所属した。しかし敗戦時、上官が軍需物質の食糧などを横領し、彼もそれに荷担したのだという。やがて密告で横領が明るみに出るのだが、上官らは帰京していたために残っていた山崎1人が逮捕され、激しい尋問を受けたという。しかしここで山崎は上官の名を明かさず、結局は懲役1年6ヶ月執行猶予3年の判決を受ける。釈放された山崎は分け前をもらうために上官の元を訪ねるが、上官は分け前をびた一文渡さなかったという。これで山崎は人間は邪悪であるという考えに到り、そこからヤミ金融に手を出すことにつながったという。

 

 

東大生の信用を看板にヤミ金融会社「光クラブ」の設立

 1948年10月、東大に復学した山崎はヤミ金融「光クラブ」を設立する。自分が陰気で神経質だから、逆に光という名を付けたという。山崎は共同経営者として日本医科大学の学生の三木仙也を迎える。彼は財務協会で秘書をしており、それが縁で知り合ったという。そしてもう一人の共同経営者が山崎が付き合っていた10才年上の女性だという。山崎は1万5千円ほどを用立てると、それを全額新聞広告費に充てる。そこでは利子として1割5分を提供すると謳っていた。広告を出して2日目に最初の客が訪れる。山崎のシステムは投資家から募った資金を債務者に月3割4分の利息で貸し付け、1割5分を出資者へ、1割9分が光クラブに手数料として入るものだった。当時は銀行に100万円を預けても利子は月に1500円ほどだが、光クラブだと15万円の利子が付く計算となり、これは投資家にとって魅力的だったという。結局投資家は3万円を山崎に託して帰っていく。この日以降、投資家が次々に訪れて資金が集まる。

 この時、貸し付けの公定利息は最高で月9分、それにも関わらず高金利の光クラブから借りる客が殺到した。この時、GHQがインフレ抑制のために緊縮経済を取っており、銀行が貸し渋りを行っていたという。そのために運転資金に困った中小企業の経営者が高金利にかかわらずヤミ金融に頼らざるを得なかったのだという。山崎は債務書から担保を取って公正証書を作成した上でお金を貸したという。さらに期日を守らない債務者に対しては厳しい態度で臨み、暴力団を雇い入れて取り立て専門会社の「光不動産」を設立、脅迫まがいの荒っぽい取り立てで担保を巻き上げたという。その一方で投資家には利息をキチンと支払って信用を得る。その結果、わずか3ヶ月で借入総額は1000万円(現在の価値で10億)にまで成長する。山崎の東大の現役の学生ということも信用になったという。

 山崎は1000万円を1年で1億5千万円まで増やしたいと考えて勝負に出る。彼は銀座へ事務所を開設し、光クラブを株式会社にして社員を30人に増やす。そして派手な宣伝を打つ。これによって大口の投資話が舞い込むようになる。彼らに対して山崎は改竄した帳簿を見せて、さらには金庫の中の現金の束(実は札束の上下だけが本物)を見せたという。これで客は山崎を信用して大金を託す(何やら豊田商事のやり口にそっくりである)。山崎は東大生社長としてメディアにも取り上げられるようになる。こうして光クラブは1日で100万円を動かす一大金融会社となる。

 

 

ほころびから破綻、そして終局へ

 しかしここからほころびが生じ始める。光クラブの営業部長が66万円の使い込みをしたことが発覚、山崎は彼を解雇して使い込んだ金を返還することで警察沙汰にしなかったが、彼は一行に金を返さない。そこで山崎は光不動産を使って脅迫したが、彼は逆に別の暴力団を使って山崎を脅迫し、結局は20万を脅し取られることになる(相手の方が悪として上手だったようだ)。また光不動産の連中が勝手に債務者を強請って金品をせしめていたことも判明し、光不動産を告訴することになる。

 さらに会社の機密情報が外部に流出する事件が起こる。犯人は山崎が雇った女性秘書だった。山崎は容姿端麗で気が利く彼女に惚れ込んで恋人にしたのだが、実は彼女は税務署が送り込んできたスパイだった。彼女は山崎から得た税務情報を流していたのである。山崎が派手にやり過ぎたことで税務署から目をつけられたのだが、また大蔵省などの当局はヤミ金融を面白く思っていなかったし、さらにそこのエリート連中からすると、東大法学部の看板を金集めに利用する山崎のことは許しがたかったのだろうという。

 そしていよいよ終局が訪れる。1949年7月4日、京橋署の刑事が光クラブにやって来ると、物価統制法違反などの容疑で山崎を逮捕する。山崎は警察署・検察庁、国税庁などを引き回されて事情聴取を受けるが、高金利については認めながらもそれで罪に問われることはないと法律知識を元に力説し、1ヶ月後に不起訴処分となって釈放される。この逮捕は大蔵省によるヤミ金融に対する見せしめだったと言われている。

 しかし山崎が光クラブに戻ると、社員の半数は辞め、投資家が資金を引き揚げるべく押し寄せていた。山崎の逮捕で光クラブは完全に信用を失ったのである。この時、山崎は3600万円の債務を背負っていた。とりあえず3ヶ月後の11月25日までに1/10の360万円を支払うことを約束するが、その後新規会社を設立したりするが上手く行かず、結局は期限前日の夜に服毒自殺をする。人を信じなかった山崎であるが、実は女性秘書との結婚を考えていたという。人を信じなかった山崎が、最後に唯一信じた人物に裏切られたという皮肉な結論になってしまった。

 

 

 なんかもの悲しさもある事件だが、この時に光クラブに関与した人物の中から、後に同じような投資詐欺を行う輩も出たと言うから、詐欺商法の育成学校のようにもなってしまったようである。そう言えば豊田商事事件も会長が明らかに誰かに雇われた暴力団員によって殺害されて有耶無耶のまま終わってしまったが(政治家の影が背後にちらついていたので、明らかにそちら方面の口封じがあったようだ)、あの会社の元社員があちこちで新たな詐欺事件を起こしたのもよく知られていることである。詐欺行為で労せずして一攫千金を得ることを体験してしまった奴は、真面目に働いて金を稼ぐという倫理観が完全崩壊するのでもうまともには戻れないようである。

 その一方で、山崎についてはやはり東大エリートというか、犯罪者としてはあまりに脆い面も感じる。営業部長との恐喝合戦で敗北して結局は大金をゆすり取られたりとか、犯罪者としては最後の局面での図太さに欠ける。債務を背負った場合でも、最後は開き直って「もう倒産です。金は全くありません。」とうそぶくことも出来なくはなかったはずだが、それは恐らくエリートのプライドが邪魔をして、自殺という手段しか選択できなかったのだろう。

 とにかくエリートがその頭を悪い方に使って犯罪に走るというのは非常にタチが悪いものである。今でも犯罪に走ったり、犯罪スレスレのことを行うエリートはいるんだが、結局はエリートと言っても人格的にはエリートとは言えないということでもある。特に昨今は将来に希望のない世の中になって来ており、「一攫千金」「濡れ手で粟」を夢見るものが少なくないだけに、この手の犯罪は残念ながら増加こそすれ減る材料はない。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・投資詐欺の元祖とも云われるのが、現役東大生の山崎晃嗣による光クラブ事件である。
・山崎は千葉の名士の息子で東大でも総理大臣若槻禮次郎依頼の秀才と言われるが、やがて大学に嫌気がさして金儲けで自分の能力を認めさせようと考える。
・彼は軍で上官の物資横領に荷担して一人で罪を背負ったが、結局は分け前をもらえなかったという経験があり、その上に投資詐欺に引っかかったことで、まともに金を儲けることが馬鹿らしくなって自身が引っかかった投資詐欺を元に、より効率的に稼ぐシステムを考える。
・そうして設立したのがヤミ金融である光クラブで、投資者から募った資金を月3割4分の高利で貸し出し、1割5分を出資者に還元するシステムだった。
・山崎は用意した資金で新聞広告を打って投資者を募ったところ、多くの資金を集めることに成功する。また当時は銀行の貸し渋りで運転資金に困る中小企業経営者が多く、借り手も殺到した。
・山崎は担保を取って公正証書を作成して貸し付けを行い、さらには返済期限を過ぎた場合には暴力団員を雇い入れた取り立て専門会社の光不動産を使って強引な取り立てを行う。その一方で投資家には確実に利息を支払うことで信用を得て急成長する。
・山崎は光クラブを株式会社にすると銀座に事務所を構えて派手な広告を打つなど業務を拡大させる。
・しかしその一方でほころびが生じ始める。営業部長の着服事件の結果として大金を失ったり、光不動産が無断で債務者から金品を脅し取っていたことが発覚して告訴するなどの事件が発生する。
・さらには惚れ込んで雇い入れた女性秘書が税務署のスパイで、結果として内部情報が漏洩して、ついには逮捕されることになる。
・山崎は取り調べに対して高金利ではあったが自分は罪には問えないと法律知識を駆使して主張、結局不起訴処分で釈放されるが、逮捕によって信用を失って投資家が資金回収に殺到することになる。
・山崎は3ヶ月後に1/10を返済することを約束するが、その後は事業が全く上手く行かず、結局は返済期限の前夜に服毒自殺する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・急成長と呆気ない没落。犯罪者ではないがITバブルで勃興した若手経営者なんかにも多い図式である。一山当てるのは上手くても持続性がないという。山崎の場合は最初から犯罪に走っているわけだから、いずれは破綻するのは目に見えていたのだが、彼自身は自分の才覚でどうにでも逃げられると考えていたのだろうか。まあ確かに金を使って政治家にコネでも作っていたら、有耶無耶に出来た可能性はあるが。

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