教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

2/15 BSプレミアム 英雄たちの選択「家康絶体絶命!金ケ崎の退き口の真実」

信長・秀吉・家康の三人揃い踏みの大危機

 信長の人生の中で大きな危機の1つとして上げられるのが金ケ崎の退き口である。これは朝倉征伐のために越前攻略に乗り出していた信長が、義弟の浅井長政の裏切りにあって挟み撃ちの危機から命からがら逃亡した事件である。またこの際には秀吉が殿を務めており、命がけで織田軍の逃走を援護している。さらには実はこの時、家康も絶体絶命の危機を迎えていたという。この戦国ビッグ3揃い踏みの大事件を、家康の観点から描く。

 家康が信長と同盟を結んだのは19才の時、この同盟で西の脅威を排除した家康は三河制圧を行う。そして29歳になった1570年、信長から天下静謐のための上洛を命じる書状が届く。家康はこれに従って軍勢を率いて上洛し、馬揃えを披露する。しかしその裏で信長はある作戦を進めていた。4月20日、3万の軍勢を率いて都を出陣した信長は、4月22日若狭の熊川に到着する。徳川軍もこれに同行していた。信長はこの時「若狭の武藤と申す者が悪逆を企てているので成敗しなさいと将軍から命令された」と毛利に書状を送っているという。

 しかし翌日、信長は武藤氏の館のある西ではなく、北に軍勢を向ける。朝倉氏が支配する越前を目指す形になる。なおこれは最初から信長が上洛命令に従わない朝倉氏を征伐するために出陣したと言われていたが、近年の研究では武藤氏が朝倉氏に援護を求めたためにそれが朝倉征伐の理由となったという。国吉城入った信長はそこから敦賀への侵攻を開始、手筒山城をまず半日で落城させると、翌日金ケ崎城を包囲する。ここで秀吉が敵将を説得して開城させたという。そして軍勢はさらに奥地に侵攻するが、その先陣を切ったのが徳川軍だという。家康は木ノ芽峠を越えて一気に一乗谷に流れ込もうとしていた。

 

 

最前線から必死の撤退戦をする家康

 だがこの時に信長に長政が裏切ったという驚くべき報せが届く。挟み撃ちの危険が迫った信長はわずかな手勢のみを率いて直ちに撤退する。殿は秀吉(この時は木下藤吉郎)が務めることとなった。しかしこの時、家康にはその連絡が全く入っていなかったのだという。家康が全軍撤退を知ったのは、翌朝に秀吉から連絡を受けてのことだという。家康は最前線に取り残された形で必死の撤退戦を余儀なくされる。

 家康は軍勢をまとめるとまずは秀吉達がいる金ケ崎城を目指すことになる。金ケ崎城は朝倉の軍勢を防ぐには最適の城に思われるのだが、家康はこの城に入っていない。それは当時はこの城はまだ防衛設備が貧弱だったせいだという。家康は金ケ崎城を通過してさらに西に向かう。この時に家康が目指したのは若狭との国境である国吉城だという。国吉城は多くの曲輪を連ねた大規模で堅固な城郭であり、今まで朝倉氏が何度も攻略に失敗している難攻不落の城だった。金ケ崎城から国吉城までの10キロが逃げ切れるかが家康の正念場だった。

国吉城手前の急峻な斜面(2013年撮影)

山上では尾根沿いに複数の曲輪が連なる(2013年撮影)

 

 

逃走途中での家康の選択

 敵は朝倉の追撃だけでなく、一揆勢なども参加していた。ここで家康の家臣の三河武士団が壮絶な戦いを繰り広げてようやく国境に到着する。しかしここで家康は敵に囲まれて全滅寸前となっている木下藤吉郎の軍勢を見かける。ここで家康の選択、見捨てて国吉城に急ぐか、助けるかである。何だが、ここで家康があっさりと秀吉を見捨てていたら、彼はここで討ち取られて後の歴史が大きく変わることになってしまう。と言うわけで結果として秀吉を助けたわけである。

 何とか秀吉を助けて国吉城に到着した家康。朝倉軍はここで追撃を諦めたと考えられる。秀吉は殿を務めたことで信長から褒賞を受けたという。家康はこの後、さらに姉川の戦いにも参戦して信長を助けることになる。

 

 

 以上、家康にとっても絶体絶命の危機であった金ケ崎の退き口について。なおこの時に家康軍団は粘り強さを見せ、後の姉川の合戦での活躍も含めて三河武士団の強さを天下に示すこととなる。一方で秀吉は巧妙な撤退戦を実施しており、そういう上手さを発揮、一方の信長はとにかく行動の早さを示したという三人三様の特徴を見せたのがこの戦いでもある。

 なお金ケ崎城と国吉城は私も以前に訪問しているが、金ケ崎城は海に突き出た山城と言うことで、背後の守りは堅いが正面の防御施設が整っていないと守り切れる城ではないし、さらには包囲されると逃げ道がない城であるので、家康がここで金ケ崎城では持たないと判断したのは正解なのは分かる。一方の国吉城は番組でも紹介していたような堅城である。なお私がここを訪問した時、明らかに何か獣の気配を感じて早めに撤退した記憶がある。現地には熊に注意の看板が出ていたが、多分あの時の気配からすると熊よりもサルだったように思われる。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・朝倉討伐に繰り出した織田軍が、浅井長政の裏切りによって挟み撃ちの危機から全面撤退に及んだ金ケ崎の退き口であるが、実はこの時に家康は最前線で取り残されていた。
・家康が全面撤退の報を聞いたのは翌朝になって殿の秀吉から。そこから徳川軍は決死の撤退戦を行うことになる。
・とりあえずは秀吉達のいる金ケ崎城を目指すが、金ケ崎城は朝倉軍を迎え撃つには防御が不十分と考え、家康は金ケ崎城を通過して堅城である国吉城を目指して撤退する。
・なお敵は追撃してくる朝倉軍だけでなく、それと連携した一揆勢などもいた。しかし徳川軍は家臣の三河武士団の奮闘もあって国境まで逃走する。
・そこで家康は敵に包囲されて全滅寸前の秀吉軍を発見する。家康はそれを救出してから国吉城に逃げ込む。
・この後、家康は姉川の合戦でも活躍し、徳川軍の強さを天下に知らしめることとなる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・とここで「三河武士団って結構強い」となったんだが、それが逆にこの後に武田と衝突した時の三方ヶ原の戦いでの大惨敗につながったんではという気がするな。
・今の大河の軽い家康だと「姉川でも活躍した徳川軍は強いんじゃ!たとえ武田相手でも恐るるものか!」と軽いノリで松潤家康が出陣しそうな気がするな・・・。で、武田を追撃したと思ったら、いきなり180度転回で猛攻撃かけられて「や、やばい」とクソちびりながら半泣きで逃げ帰ってくるという展開か。

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