教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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3/22 BSプレミアム 英雄たちの選択「南北朝最強!新時代の設計者 高師直」

室町幕府を支えた高師直

 室町幕府が足利兄弟の対立などで混乱した観応の擾乱のグダグダの当事者の一人であり、後の戯曲などのせいで悪役のイメージの強いのが高師直。しかし彼は戦には滅法強く、さらに優秀な政治家でもあるなど室町幕府の基礎を確立するのに大きな働きをした人物でもあった。今回は高師直に注目。

かつては足利尊氏像と言われていたこの肖像は、今は高師直像が最有力

 高氏は古くから足利氏の家臣であったが、師直は後醍醐天皇軍と激突した湊川の戦いで、尊氏と共に新田義貞と楠木正成を破っている。そして南北朝時代に突入後、南朝方の最強武将北畠頼家が奥州軍を率いて鎌倉を攻略、さらに都を覗う勢いを見せた。この時に北畠軍を奈良般若坂で撃破したのが師直だった。師直はここで敵を討っても首を取らずに証人に確認させるだけで良い分捕切棄の法を適用した。これのおかげで兵は重い首を持ち歩く必要がなくなり戦闘力を維持できた。そしてついには北畠顕家を討ち取り、その別働隊が籠もる石清水八幡宮を焼き討ちする。しかし源氏の守り神を祀る八幡宮を焼いたことは師直は大悪人として名を残すことになってしまう。

 大ダメージを受けた南朝だが、9年後に今度は楠木正成の息子の正行が紀伊で挙兵して河内に侵攻する。幕府の追討軍が2度に渡って大敗した後、京を目指す正行軍の討伐を師直は任される。師直は8万の大軍を集め、2万を弟の師泰に託して堺浦に置くと、自身は四條畷に陣取る。正行軍がどこを通っても防げるようにしたのである。これに対して正行は師直と決戦すべく四條畷に攻撃をかける。両軍が激突したのは山と湿地に挟まれた狭隘地で大軍を動かしにくいことから兵力に劣る正行はここを決戦の場に選んだのだという。猛攻を受けた師直の本陣は大混乱に陥るが、山の中に伏せた別働隊に背後を突かせることで正行軍は壊滅して正行は弟と共に自害する。師直軍はその勢いのまま南朝の本拠である吉野に攻め入り、行宮を焼き払う。

 

 

巨大な権力を握った師直だが直義と対立する

 高師直は巨大な権力を握ることになるが、その源泉は師直が執事施行状を発行する権限を有していたことだという。それは当時は幕府から恩賞として褒美の土地をもらってもそれは書類上のことに過ぎず、その地には別の実行支配者がいる場合があり、その時には自力で追い出して土地を獲得するしか手段がなかったのだが、執事施行状はその土地の守護に土地の受け渡しが正しく行われるように命じる行政文書である。この発給権を一手に握ることで武士たちが頭が上がらなくなったのだという。

 しかしそれを快く思わなかったのが尊氏の弟の直義だった。そもそも幕府の行政を司っていた直義が師直のことを良く思うはずはなかった。そして直義の師直暗殺計画が勃発、師直はすんでのところで陰謀を察知して逃げ出したという。また両者の対立の原因の一つは尊氏の後継者問題だった。尊氏の子で鎌倉を統治していた義詮は高師直が後見しており、もう一人の息子の直冬は直義の養子となって長門探題に就任していた。暗殺未遂事件の後、師直は執事を解任される。直義が将軍に直談判した結果だった。こうして施業状は直義が発行することになる。

 しかし師直が武力で反撃する。直義攻撃のために5万騎の大軍で出陣し直義の屋敷を襲撃しようとし、直義は慌てて尊氏の屋敷に逃げ込む。翌日師直軍は尊氏の屋敷を包囲、直義を引き渡すように要求。後にこれを御所巻という。尊氏は驚いて師直と交渉、直義は政務を退いて出家し、師直と対立していた上杉重能と畠山直宗は流罪となる。なおこの両者はその後殺害される。こうして師直は執事に復帰する。

 

 

再びの直義の反撃でついに命を落とす

 しかし翌年、直冬が勢力を拡大して京に攻め上るとの噂が出る。幕府は討伐軍を送るが敗北、尊氏は師直と共に遠征軍を率いることにする。しかし出陣の2日前に直義が京を脱出するという事態が発生する。ここで直義の捕縛を優先するか、予定通りに直冬討伐に向かうかが師直の選択である。

 ゲストの選択は、直義捕縛、直冬討伐、果ては両方並行などと分かれるが、師直は予定通りに直冬討伐を進行することを選ぶ。しかし逃走した直義は全国に呼びかけると共に、南朝に降伏して北朝を討伐すべきとの綸旨を得るという大技に出る。これで尊氏派の武士まで駆けつけたという。南朝の権威は未だ侮れないものがあったのだという。

 この事態に驚いた尊氏と師直は京にとって返す。しかし直義派の軍勢の方が先に京に入る。尊氏側も京に入るがすぐに撤退する羽目になり、寝返りも相次いで軍勢も500騎に減少、摂津打出浜で決戦に及ぶが尊氏・師直軍は圧倒され、師直も兄弟とともに深手を負い、尊氏は降伏する。尊氏は師直兄弟を処刑せずに出家させることを求めていたが、二人は護送の途中で上杉重能の息子に一族諸共殺害される。


 今まで慎重だった師直が最後には直義を侮って驕りのようなものも見られたという分析もなされていた。また家臣である師直が足利一門よりも力をつけることに対する一族衆の不満の高まりもあったのだろうという話も出ていた。もっとも師直は改革のためにあえて悪役となったのではという声もあったのが興味深い。なお磯田氏はここでの師直の台頭が後の戦国時代の基礎の一つになったという分析をしていたが、これは私も同感。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・高師直は室町幕府において、南朝方の北畠頼家を破った上に、さらに楠木正行も破るなどの多大な武功を上げて巨大な権力を握ることなる。
・また師直は武士に対する恩賞の権限である執事施行状を発行する権限を握ることで、多くの武家に対する影響力を持つことになる。
・しかし師直の権力を面白く思わなかった直義による暗殺未遂事件が発生、さらに執事を解任される。
・これに対して師直は5万騎の大軍で直義の屋敷を襲撃、直義は尊氏の屋敷に逃げ込み師直の軍勢は尊氏の屋敷を取り巻く御所巻を行う。
・尊氏は師直と交渉、直義を政務から外して出家させ、さらに師直と対立していた上杉重能と畠山直宗は流罪になる。しかし上杉重能と畠山直宗は途中で殺害される。
・しかし今度は直義の養子で長門探題の直冬が京に攻め上るとの噂が発生、尊氏と師直は討伐のために九州に向かうことになる。
・だがこの時に直義が京から逃走、師直は直冬討伐を優先するが、直義は南朝に降伏して北朝討伐の綸旨を得るという大技に出て、京を占領する。
・尊氏・師直軍は京に戻るが、京を追われた上に寝返りが相次いで兵を減らし、摂津打出浜の決戦で大敗する。師直を出家させる条件で尊氏は降伏するが、師直は一族と共に護送中に上杉重能の息子に一族諸共殺害される。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・師直の生涯を見ていると、明らかにマキャベリストですね。冷徹な政治家としての側面が垣間見えます。
・ちなみに高師直が悪役にされた理由は、北畠頼家、楠木正行といったイケメン(北畠頼家は以前に大河で後藤久美子が演じたことがありましたね)ヒーローを敵に回してしまったからとか。まあよくある話です。北畠頼家なんて、奥州から出てきた美少年という設定で、多分に牛若丸と被らせているみたいだし。

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