教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/19 NHK 歴史探偵「坂本龍馬 本当のスゴさとは!?」

本当の坂本龍馬に迫る

 薩長同盟を成立させ、大政奉還も実現させるなど、幕末に日本の進路を定めることに大きく貢献しながら、若くして暗殺された偉人・坂本龍馬・・・ってのが今までの坂本龍馬のイメージであったが、近年の研究では「薩長同盟を成立させたのは龍馬ではない」「大政奉還は龍馬が打ち出した考えではない」などの証拠が挙がってきて、坂本龍馬の功績についてはかなり疑問符がつきまくっている。では坂本龍馬とは何をやった人物で、どういう点がスゴかったのかというのに迫る模様。実は坂本龍馬ってそんなにスゴいことをやった人物ではないってのは、他ならぬこの番組自体が以前に放送しており、龍馬ファンからクレームでもあったのか? 今回はこれをフォローするという趣。

tv.ksagi.work

 

 

薩長同盟締結には直接は関与していない

 まず龍馬が薩長同盟を締結させたという件に関しては「フィクションとしか言えない」というのが幕末政治を専門にしている神田外国語大学教授の町田明広氏の見解。通説では1月21日に薩長同盟が成立したとされているのだが、それだと坂本龍馬、薩摩の小松帯刀と西郷隆盛、長州の木戸孝允が顔を揃えられるのは各人のスケジュールから考えて、半日もなかったという。そんな短時間で同盟の条項を議論して精査するのは物理的に不可能だという。そのために同盟締結は21日より前の1月18日だという。というのも薩摩藩家老の日記にこの日に長州の木戸と深夜まで国事のことで話し合ったという記述があることから、これこそが事実上の同盟締結だという。そして20日には翌日に長州に戻る木戸のために薩摩藩主催の送別会が行われているという。では18日に龍馬は何をしていたかだが、ようやく大阪に到着したところで影も形もないとのことで、龍馬は薩長同盟の締結には直接関与していないというのである。

ご存知、坂本龍馬

 ではなぜ無関係の龍馬が同盟の保証人という重要な役割を果たしたか。これについては寺田屋事件が関係しているという。龍馬研究20年以上という坂本龍馬館チーフの三浦夏樹氏によると、幕府はこの時に龍馬が所持していた書類を押収し、そこに薩長が同盟に動いているという情報を記してあったのだという。これで幕府は薩長同盟という一大事を知ることになるのだが、実はこれが龍馬の意図的なリークではないかという。というのは寺田屋は要注意人物として幕府に睨まれている龍馬の潜伏先としてはバレバレで、しかもなぜかそこで重要書類を置いて逃げているという不自然さがあるという。龍馬はこの意図的なリークによって、薩摩藩の退路を断つことで藩内の反対派を抑えつけることを狙ったのだという。実際に龍馬の手紙にそれを匂わせる記述があるという。この情報操作が龍馬の大きな貢献なのだという。

 

 

策略家としての手腕を発揮したいろは丸事件

 策略家としての龍馬の一面が見えるわけだが、いろは丸事件ではまさにそれが炸裂しているという。いろは丸事件とは海援隊の蒸気船であるいろは丸が、紀州藩の蒸気船と衝突事故を起こし、いろは丸が沈没した事故である。この賠償交渉で龍馬の策略家としての戦術が炸裂しているという。いろは丸は鞆の浦沖に沈没しており、最近の調査で多くの荷物が発見されている。しかし未だに鉄砲は全く見つかっていないという。それが記録では400丁のミニエー銃が積まれていたことになっているという。この地の海底は泥が蓄積しているので、もし積まれていたら発見されるはずである。つまりは「最初から銃は積まれていなかった」というのが結論だという。龍馬が紀州藩から得た賠償金は7万両で、半分近くは鉄砲の代金であることから、つまりは龍馬がふっかけて賠償金を吊り上げたということである。

 しかも事故原因についてもいろは丸の進路について、衝突時に有利になるように偽っていた(どちらが優先かに関わっている)可能性が非常に高いという。しかも世論を味方につけるために、長崎の花街に紀州藩が悪いという歌を流して世論操作をした。これで紀州藩は加害者にされてしまったのだという。また賠償金の水増しなどは、所詮は武士は金に関してはどんぶり勘定だという読みもあったという。というわけで策略家というか詐欺師である。

 

 

大政奉還も龍馬独自の考えではないが、裏では暗躍

 最後は大政奉還だが、これについても大政奉還の既に5年前に幕府の会議で大政奉還についての議論がなされた記録が残っているという。では龍馬は何をしたかであるが、土佐藩の山内容堂が大政奉還の建白書を提出するように促したらしい。山内容堂は当初は徳川への恩から大政奉還には反対だったのだが、龍馬は土佐藩に勝手に1000丁のライフル銃を持ち込むことで、土佐藩が幕府に睨まれて退くに退けない状況に追い込んだのだという。またも見事な策士である。


 というわけで坂本龍馬はかなりのペテン師だったということである。恐らく今の世に生きていたらインフルエンサーになっていたのではという気がする。とにかく目的のためには平気で嘘をつける男だったようである。まあ要領の良さが半端ではないということのようで。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・坂本龍馬は薩長同盟の締結には直接関与していないと考えられる。
・しかし龍馬は意図的に薩長同盟の情報を幕府に流すことで、薩摩の退路を断って同盟を強固にさせる働きをしている。
・いろは丸号事件では策士ぶりを発揮、世論誘導で巧みに紀州藩を悪者に仕立て上げると共に、鉄砲を搭載していたという嘘をついて補償金をつり上げた。
・大政奉還も龍馬以前からあった考えであり、龍馬が行ったことは土佐藩に無断で鉄砲を持ち込むことで、土佐藩が幕府に睨まれるように誘導し、藩主の山内容堂に大政奉還の建白書を提出するように促すことだった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・いやいやなかなかに龍馬の悪党ぶりが光ります。まあ目的のためには手段を選ばない男だったということのようです。この時代には結構いた山師の一人ですね。
・とにかく龍馬については司馬遼太郎のせいで、実像以上に活躍が膨らまされた部分が多々あります。歴史ではやはりその辺りを削ぎ落として考えないと。

次回の歴史探偵

tv.ksagi.work

前回の歴史探偵

tv.ksagi.work