教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

4/23 TBS系 世界遺産「"北米のパリ"断崖に築かれた都市の秘密」

フランスが築いた植民都市

 今回の世界遺産はカナダのケベック旧市街。イギリスの植民地だったカナダの中でフランス色が強くて、現在もかなり独立性が高い地域として知られている。


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 最初にこの街を築いたのはフランス人である。セントローレンス川を遡上したフランスの探検隊が、川幅が狭まる地(先住民の言葉でケベック)に到達して、ここの川岸の断崖の上にアッパータウン、下にロウワータウンの2つの町を築いた。ロウワータウンは港に続く町で今でもフランス風の街並みが続く。ここに最初のフランス人居住地が築かれた。ケベックの公用語はフランス語である。ここは主に商人や職人の町だった。アッパータウンとの高低差は再興100メートルほど、階段もあるが100年前に出来たケーブルカーでも登れる。

 4.6キロの城壁に守られたアッパータウンは元々は城塞であり、ここにフランス総督の邸宅があった。その跡地にシャトーフロントナックが建てられた。1892年開業の格式高いホテルである。アッパータウンは行政官、軍人など富裕層の町だった。

 

 

毛皮貿易で栄えるが、イギリスに支配されることに

 ケベックが繁栄したのはビーバーの毛皮売買による。17世紀にヨーロッパの上流階級の間でビーバーの皮で作ったトップハットが大ヒットして、これがケベックに莫大な富をもたらした。ケベックは毛皮貿易の拠点として発達したのだ。

 冬になると川は氷で覆われる。対岸と行き交うフェリーは氷を割りながら航行することになる。かつては冬の5ヶ月間は全面凍結するためにフランスとの往来は出来なかった。この地に住み着いたフランス人は、3メートルもの雪が降る冬を越すために、急傾斜な屋根を持つ建物を建てた。ノルマン地方の様式を取り入れたのだという。また寒さを防ぐために石の壁は厚さ50センチもの厚みがある。また数軒が連結した建物の間には煙突のような石の壁が立っているが、これは火事の時の延焼を防ぐためのファイヤーウォールだという。アッパータウンでは冬になるとトボガンという先住民が使用していたソリで遊ぶ人たちが見られる。昔はこれで荷物などを運んだのだという。

 戦略の要衝だったケベックでは1759年にイギリスとの戦争があり、敗北してイギリスの支配化に置かれることになった。ここを支配したイギリスはアメリカに備えるために星型要塞シタデルを建造する。これは五稜郭にも用いられた流行のデザインである。砲撃の死角をなくす構造になっている。建造には30年が費やされたが、結局ここが戦場になることはなかったという。現在はカナダ陸軍の駐屯地となっているが、英国スタイルの衛兵がフランス語で号令をするという独得の風景をなす。イギリスの支配下になってもケベックの人々はフランスの言葉と魂を引き継いだのである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・カナダのケベックの旧市街はフランス人が築いた町である。
・川岸の断崖の下のロウワータウンは商人や職人の町、最大100メートルの崖の上のアッパータウンは行政官や軍人など富裕層の町だった。
・ケベックはビーバーの毛皮輸出の貿易拠点として繁栄し、莫大な富を蓄えた。
・冬になるとこの地は雪と氷に覆われる。この地に住むフランス人はノルマン式の住宅を取り入れた。そのために屋根は急傾斜で、石壁は断熱のために50センチもある。
・ケベックは戦略上の要衝だったため、1759年にイギリスとの戦争となり、支配されることになった。イギリスの手によって星型要塞が建造されたが、これは使用されることはなく、今日ではカナダ陸軍の駐屯地となっている。
・ケベックは未だにフランス語とフランスの文化を伝える土地である。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・ケベックって以前から何度もカナダから独立するという運動が盛上がっており、ずっとそれがくすぶっていると聞いています。目下はかなり独立性の強い州ということで、カナダの中でもほとんど外国だとか。

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