教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/26 NHK 歴史探偵「武田信玄 最強の秘密」

どのようにして戦国最強軍団を形成したか

 今回のテーマは武田信玄。戦国最強軍団で三方ヶ原で徳川軍団を惨敗に追い込んだ武田軍団だが、その最強武田軍団はどうやって成立したのかという話。

 武田軍団はとにかく強かったとされるが、生涯の戦績を見ると72戦49勝3敗20分だという。とにかくほとんど負けていないというのが特徴であり、これに対抗できるのは同じく戦国最強といわれ、その戦績は61勝2敗8分とか43勝2敗25分とか言われている上杉謙信ぐらいである。ちなみに私に言わせると、謙信は「常勝の名将」、信玄は「不敗の名将」って辺りか。

 まず武田軍団の強さに鍵であるが「富国強兵」であるとしている。信玄は父の信虎を追放して国主となっているが、信玄が信虎を追放した理由は甲斐国内が飢饉などが連続して物価高騰で国内での信虎への不満が高まっていたことがあるという。当然ながら国主を継いだ信玄の当初の課題は甲斐の国力の立て直しになる。そこでまずは治水に力を入れることにしたという。この時に建造されたのが有名な信玄堤になる。頻繁に洪水を起こしていた御勅使川の流れを石積みで北東に誘導し、岩山に流れをぶち当てることで激流の勢いを削ぐようにしたのだという。これで耕作可能地が増えて甲斐の国力が増すことになる。さらに長野の善光寺を甲斐に移転させることで賑わいを作るとか、山を利用して漆などの特産品を作るなどもしている。

 

 

最初は惨敗から始まった

 国内が定まってくると信濃に領土拡張を目指す。しかしここで信玄は地方豪族の村上義清に惨敗することになる。この頃の信玄はそもそも家臣に担がれて国主となった手前、古手の家臣の力が強くて信玄の統率力が弱かったためだとする(この時の信玄26才)。その結果、家臣が勝手に動いて敗北、板垣信方が討ち死にして武田軍は総崩れとなったという。

若き日の信玄(晴信)には苦労も多かった

 番組では総大将が統率力がないことがどれだけ勝敗に影響するかをシミュレーションし、総大将が統率力がないと全敗という結果を出しているのだが、こんなものやるまでもなく双方戦力が同じなら結果は分かっているし、そもそもシミュレーションなんてどうパラメータを設定するか次第なので結果なんて何とも言える。これが「統率力の高い5000の軍団なら、統率力のない8000の軍団に勝利できることが分かった」ならスゴいが。

 

 

米軍も採用しているシステムを取り入れた

 こうして惨敗した信玄はその教訓から当然立て直しを図るのだが、ここで取り入れたのが今日のアメリカ軍でも行われているミッション・コマンドだという。ミッション・コマンドとは作戦の大方針を共有した上で、細かい行動については現場の指揮官に一任するというものである。北条との三増峠の戦いでは、挟み撃ちをされた武田軍は山県昌景に後方の敵を押さえるように命じて正面の敵に総攻撃をかける。しかし兵力差で苦戦していたのだが、そこに山県が後方の敵を押さえるために一部兵力を残した上で残りの兵力を率いて戻ってきて側面攻撃をかけて勝利したのだという。山県は信玄からの「後方の敵を押さえよ」という命を守った上で独自の判断を行ったわけで、これがミッション・コマンドだという。

 で、ここでまたシミュレーションでミッション・コマンドを実行した側が連戦連勝したという結果を示しているんだが、先と同じでこんなものはパラメータ設定次第なので「はいそうですか」で終わりの代物である。

 なおミッション・コマンドが成功するかどうかは指揮官の器量次第になる。そこで登場するのが武田二十四将で、要は信玄は自ら信頼できる家臣を登用して武田軍団の中核にしたということになる。

 そしてミッション・コマンドを最大限活かした圧勝劇が三方ヶ原の戦いだという。武田軍は鶴翼の陣を敷いた徳川軍の本陣に向けて猛攻をかけて、徳川本陣は総崩れになっている。この時に先陣だった山県軍が徳川軍に包囲されて危機に瀕したのだが、第二陣が自身の判断で山県軍を救援しているという。

 

 

 以上、武田軍の強さをミッション・コマンドというシステムを取り上げて解説していましたが、要は優秀な現場指揮官の採用とそれを最大限に活かせる総大将の器量ってことになります。なお米軍が世界最強なのはミッション・コマンドのおかげのような説明だったが、実際はそれよりも世界最新鋭の装備の方が大きいです。全く装備や兵力を同じにした時に米軍が世界最強かは甚だ疑問です。あえていうなら「米軍はどんな時でも、自分達が圧倒的に有利に戦えるように事前手配する」というのが最大のポイント。

 なお以前からこの番組では仮説の妥当性を示すためにシミュレーションを使用することが多いですが、そのシミュレーションの妥当性については不明な場合が大半です。私の見たところ「そういう結果になるようにパラメータなどの条件設定を行った結果、予定通りの結果になった」というレベルにしか見えません。まあ最初から番組上の演出というように考えているのならそこまでですが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・信玄は信虎を追放して国主になっているが、その背景には甲斐で飢饉などが相次いで国内が荒廃して不満が高まっていたことがある。
・国主になった信玄は、まずは甲斐を建て直すために御勅使川の治水に取り組み、信玄堤の建造などを行って耕作可能地を増やすことに成功した。
・しかし家臣に担がれて国主となった信玄は、古手の家臣を押さえる力が無く、信濃では村上義清に統率力の差で惨敗している。
・立て直しのために信玄が取り入れたのが、現場指揮官と作戦の大目標を共有した上で、細かい差配は現場に委ねるミッション・コマンドである。
・信玄自らが取り立てた二十四将に率いられた武田軍は、現場の動きも速くなって最強武田軍団へと生まれ変わる。
・そしてその最強軍団が三方ヶ原で徳川軍を散々に粉砕することになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・同じ最強でも武田軍団と上杉軍団では戦い方がかなり違う。上杉軍は逆にアル中で半分以上ラリっているバーサーカー謙信が、ジハード軍団引き連れて先頭に立って斬り込んでいくっていう滅茶苦茶な戦い方ですから(ただし謙信の戦術眼は卓越しているから、敵の策にまんまと嵌められるということはほとんどない)。まあ信玄の方が戦い方がシステマティックなのは確か。

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