教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/8 NHK 歴史探偵「藤原氏と平城京」

平城京建設で藤原氏の権威を高めた不比等

 平安時代に摂関位を独占して栄華を極めた藤原氏だが、その権力掌握のカギは平安京ではなく平城京にあるというのである。

 平城京の建設に携わったのが藤原不比等で、その過程で不比等は権力を固めていったのだという。平城京には出っ張った外京と呼ばれる部分があるが、ここが高台となっていて藤原家の氏寺である興福寺が建設されているという。CGで平城京を復元してみたところ、各大通りから興福寺が必ず目に入るようになっており、これはまさしく権力の誇示だという。

藤原氏の権力を固めた不比等

 さらに天皇が住む平城宮であるが、ここにも謎の張り出しが有りそこは皇太子の住まいであったという。そしてここには外に通じる門があり、その門で不比等邸とがつながっていたという。皇太子は不比等の孫であるので、強固な血縁関係がここで示されたことになるという。また平城京の場所自体が他の有力者の地盤である奈良の南部から切り離したものであるという。

 

 

ライバルの追い落としに権力の誇示

 その藤原氏のライバルとなったのが、藤原氏の縁戚である橘氏だという。橘氏は平城京の北側の山背の地を根拠としており、ここからは高度な技術を誇る瓦が見つかるなどかなりの技術を有していたことが分かっているという。この橘氏に対して藤原仲麻呂(不比等の孫)は平城山に関所を置き、山背国と平城京を分断することで勢力を削ぐ策を取ったという。この状況に対して橘氏は挙兵するが、関所が障害となって平城京に入れず、クーデターを目論んだものの発覚して先手を打たれ、山背国は藤原氏の手に落ちたという。これで豊かな近江と平城京がつながることで藤原氏の力は圧倒的なものとなったという。

 こうやって藤原氏は権力を独占することになるが、そうなると今度は藤原氏の中での争いが起こるようになる。そこで藤原氏のトップはその立場をハッキリさせるための行事があったという。

 藤原氏にとっては春日大社は非常に重要な寺院であったことから、都が平安京に移っても定期的に春日詣でをすることが恒例となっていたという。40キロもの距離のパレードになるが、これこそが藤原家の中でのトップがその権威を守るのに重要な行事であったという。実際に藤原頼長の春日詣でに注目すると、200人以上の高官達が参加し、参加者は細かくチェックされていた(敵味方の宣言になる)という。行列は途中でわざわざ藤原氏の別荘で皇后や藤原氏の一族に見学をさせたという。そして奈良に到着すると藤原氏の別邸に入り、ここで夜になるのを待ったという。そして夜になると春日大社を参拝して持参したご神宝を奉納して儀式を行った。神宝は最高級の工芸品などであるという。こうして藤原氏は神の権威を得ることになるのだという。

 

 

 以上、藤原氏の権力のカギについて。もうあからさまに大河宣伝企画なのであるが、正直なところ今ひとつ中身が薄いな。内容が飛び飛びのせいでドラマ性に薄いというところもあるか。そもそもこの番組は以前から小ネタ集的なところが多いが、最近はその傾向も顕著な気がする。

 なお例によって平安京から春日大社まで歩くという企画が、何の意味も持っていないのがこの番組らしいところでもある。何かそういう空回りが多い。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・平城京の建設に携わった藤原不比等は、藤原氏の氏寺の興福寺を高台に建てたり、皇太子の住居を不比等邸と接続するなど、自らの権力を誇示する仕掛けを施した。
・台頭してきた橘氏に対して、藤原仲麻呂は橘氏の本拠の山背国との間に関所を設けて通行を遮断すると、橘氏のクーデターを事前に阻止して橘氏の追い落としに成功する。
・平安時代になると藤原氏の中での争いが激しくなり、藤原氏のトップはその権威をコジする必要に迫られる。それに利用されたのが奈良の春日大社詣でで、ここで藤原氏のトップがその権威を見せつける仕掛けが施されている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・歴史はドラマだと言い、そこに歴史番組の面白さがあるものなんだが、どうもこの番組はそこのところが以前からぶつ切りなのが気になることが多いんだよな・・・。

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