破産の危機に瀕した離島
夕張のように自治体の破産が話題になったが、今回のテーマは破産に瀕した地方自治体の再生の物語。
その自治体は隠岐の島の海士町。1980年代、日本がバブル景気の中で大阪から渋々故郷の海士町に帰ってきたのが吉本操だった。都会で暮らしたいと考えていた吉本は、長男だからと強引に呼び戻されたが島で暮らすことにウンザリとしていた。父は漁師だったが、漁師よりも安定した仕事が良いと町役場に就職する。
役場には幼なじみの奥田和司と大江和彦も勤めていた。彼らも長男で島に戻っていて土木課に所属していた。当時の隠岐は国からの潤沢な補助金で住民の要望に応えて様々な事業を行っていた。この頃、島の漁業は衰退の一途で、ミカン栽培なども廃れて農業や漁業から建築業に転じる者が多かった。
しかし10年後、バブル崩壊で公共事業への国からの補助金は減っていく。しかし地元の雇用を守るためには工事を続ける必要がある。海士町は雇用を守るために借金をして工事を続けた。その結果、1999年財政課に人事異動で戻った吉本は町の財政が破綻していることを知る。町の収入35億に対して支出は52億、うち借金返済が10億だった。借金は102億、放置すれば利息でさらに膨らんでいく。町の財政が破綻したら診療所の閉鎖や公共料金の値上げなど、町民の生活を直撃することは必至だった。
破産の危機に立ち上がる職員と新町長
その時、今まで郷土愛を感じたことなどなかった吉本にどうにかしないとと言う気持ちが湧いてきた。それまで町のために必死で働いていたつもりの奥田と大江も、借金の原因が公共事業だと聞かされる。しかし彼らの危機感に対しての周囲の反応は冷たいものだった。
そんな中2002年、新町長が就任する。高校卒業後に島を離れて民間企業に勤めていた山内道雄だった。営業をしていた彼は母親の介護のために島に戻ってきていた。父が目が見えず貧しく子供の頃から苦労していた山内は、周りの大人達に支えられて育ってきていた。山内はふるさとに恩返しするために町長になったのだった。山内は「島を守るアイディアは何でもする」と言っていた。こうしてふるさと再生の戦いが始まる。
役場では連日財政の立て直し策が連日議論された。このままでは5年後の2008年には財政が破綻する。回避するにはまず管理職の賃金をカットするしかなかった。吉本が山内に提案すると、山内は「まず俺の給与を半分にしてくれ」と言った。皆の理解が得られるかが問題だった。平均で月10万円の給与カットは生活にかかわる職員も少なくない。管理職が集まるが沈黙が続く中で、大江が自ら賃金カットを飲むことを提案する。そして一般職の給与はカットしないことを条件に全管理職が給与カットを承諾する。まもなく一般職の組合からも自分達の給与もカットして欲しいとの異例の申し出が起こる。
苦労しながらの新事業立ち上げと過疎対策
だが新たな財源がないとやがて行き詰まる。山内から新たな産業を興すことを命じられた奥田は、島の特産の海産物を全国に販売することを考える。しかし新鮮なまま全国運ぶには冷凍設備が必要だが、設備に5億円かかるということで頭を抱える。しかしそれを聞いた山内は奥田に第三セクターを立ち上げることを指示し、直ちに設備投資を実施する。しかしなかなか売れなかった。お役人の商売だと言われた。そして2006年、島唯一の高校が学生数減少で統廃合の危機に瀕する。このままだと若者が島に住めなくなる。過疎の問題も深刻だった。
奥田は苦戦していた。それを見た山内は自ら東京に出向いて売り込みを手伝う。「物を売る時はまず自分を売れ」とセールスマン時代の信念を奥田に伝える。また奥田の妻も島を訪れたバイヤーに手料理を振る舞ってもてなした。しかし海士町の職員の給与は全国で最低レベルだった。これを聞いた海士町の住民が町役場を訪れて貯金通帳を差し出したり、ゲートボールの補助金の返納やバスの料金の値上げを求める声も上がった。役場の職員達が必死で頑張っていることは町民達にも伝わっていた。
吉本は生徒減少に悩む島前高校の立て直しのために、東京のサラリーマンで学生時代に途上国で学校を作ったことがあるという岩本悠を口説き落として招く。島に移住した岩本は全国から留学生を募るというアイディアを出す。寮生活をしながら生きた農業や漁業を体験できるというユニークなプログラムだった。留学生を世話する島親には隣の島からも名乗り出た。
一方、奥田は海産物の製造販売に総力戦となっていた。知識を出し合って地元にしかない調理法のサンプルを作り、それを持って全国を走り回った。そして5年目、ようやく新事業での利益が出るようになる。島で漁師をやりたいと移住してくる者も出て来た。町を挙げての改革で22年経ち、移住者は750人となった。
過疎と財政破綻で苦しむ離島の立て直しの物語。なお16年間町長を務めた山内は今年の1月に亡くなったとのこと。真の意味で地元のために働いた町長だったようである。民間での営業の経験から、金銭感覚に鋭く商売のことが分かっているというのが、ノホホンとした田舎の役場を建て直すには非常に有効に働いたのだろう。真の意味での民間の良さを政治に持ち込んだ人物である。昔はこういう政治家がいたのだが、今は金銭感覚というものを悪い意味で政治に持ち込んで、ひたすら私腹を肥やすことに邁進する維新のような連中が闊歩している時代である。
賛否両論あるふるさと納税だが、あの制度はこういう自治体には多分プラスになっているだろう。ただ都会の方は税が流出するのみなので、特に東京などの人口の多い自治体は制度に反対している。なおそもそもは都会の税を地方に環流させる役目は地方交付税交付金が果たしていたはずなんだが、結局これが自民党政治家などの利権にばかり流れてしまって無駄な事業に費やされるばかりで地方経済に貢献しないから、地方自治体がおかしくなってきているということである。地方の荒廃は要は政治が悪いから起こる。
忙しい方のための今回の要点
・隠岐の島の海士町では、離島故に農業も漁業も振るわない中、段々と公共事業依存の経済になっていく。
・しかしバブル崩壊で国からの公共事業への補助金は削減。海士町は102億もの借金を抱えて破産の危機に瀕する。
・町長に就任した山内道雄は財政再建のために自身の給与を50%カットする。管理職達もそれに倣うが、やがて一般職の組合からも賃下げの要求が出ることになる。
・財源確保のために山内から新たな産業を興すことを命じられた奥田和司は、海産物の全国販売を考えるが、冷凍設備への5億の投資に悩む。しかし山内はただちに第三セクターを立ち上げさせ、冷凍設備への投資を承認する。
・しかし奥田の第三セクターは「役人の商売」と言われてなかなか販路が広がらなかった。そこで営業の経験がある山内が自ら各地での売り込みに協力し、奥田の妻もバイヤー達を島独自の料理でもてなすなど協力する。
・一方過疎の進行で島で唯一の高校が統合される危機に瀕していた。吉本操は高校の建て直しのために、途上国で学校を作ったことがあるという岩本悠を口説き落として招く。
・岩本は全国から留学生を募り、生きた農業や漁業を体験してもらうという島留学を提案。島民も留学生の島親として協力する。
・島民が一丸となっての立て直しで、奥田の事業もようやく黒字化。また漁師をするために移住してくる住民も増え、移住者は750人になる。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・夕張みたいな立て直しのしようがなくて破産してしまったようなところもあるが、ここはギリギリのところで踏みとどまったようです。実際のところ過疎の進行で限界集落も増えており、地方の自治体から破産の危機は増大しています。
・その一方で無秩序に拡大を続ける東京は、その重みで沈没寸前。やはり私が前々から言っている東京解体に伴う地域振興策(全国中核都市構想)の実現が必要に思われるのだが、残念ながら私にはその力はない。
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