教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/15 NHK 新プロジェクトX~挑戦者たち~「世界最速へ技術者たちの頭脳戦~スーパーコンピューター「京」」

アメリカの政策で没落した電子立国日本

 今回は電子立国再生の夢も込めて、世界最速に挑んだスーパーコンピューター「京」の開発プロジェクト。

 かつては電子立国と言われスパコンで大きな存在感を示した日本だが、アメリカが国力強化を目指して本格的に開発に力を入れだしたことと、政策的に日本を狙い撃ちにして叩いたことで21世紀初頭には日本のスパコン界は見る影もなく、2002年には富士通が2万人削減のリストラ断行する事態に陥る。特にスパコン開発部隊は一番のやり玉に挙がっていた。かつてのミスターコンピュータ池田敏雄の部下達も切り捨てられる立場だった。

 ミスターコンピュータ池田敏雄の活躍こちら

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 その中で研究の継続を訴えたのが奥田基。スパコンを駆使してのシミュレーションが専門分野の彼は、スパコンによるシミュレーションが技術開発を根こそぎ変えることを感じていた。

 

 

国の技術力をかけたスパコン開発プロジェクト

 2003年、アメリカはスパコン開発の国家的プロジェクトを打ち上げ、世界を独占することを考えていた。これに対して日本でも国家プロジェクトを打ち上げ、富士通も参加することにするが、既にスパコン事業を縮小して7年が過ぎていた。開発リーダーの木村康則は世界と戦える設計チームを編成できるのかの懸念があった。若手中心のメンバーを率いるには歴戦のベテランが絶対必要だった。そして彼らの意見が一致した人物が追永勇次。池田敏雄が率いた部隊で入社わずか2年目で中心回路の設計リーダーに抜擢された人物であった。入社するまでコンピュータのことは知らなかったのに、先人の回路図を読み込んで習得した努力人で、担当したすべてのコンピュータの開発を成功させた伝説的エンジニアであった。

 しかし開発を率いて欲しいという頼みを追永は固辞する。既に50の半ばの自分が出る幕がないとの一点張りであった。失敗すれば損失は数百億の責任を背負うのにはもう追永は疲れていた。

 2006年9月に設計が始まる。CPU開発には100人のエンジニアが集められ、性能の200%アップという不可能とも思われる目標が設定された。7年目で回路設計を委ねられた吉田利雄はあまりに高すぎる目標に唖然とする。しかもさらに消費電力軽減という困難な課題も課せられていた。吉田は常識破りのアイディアを求めて議論を繰り返す。

 一方でベテランたちは追永を居酒屋に呼び出しては連日の勧誘を行う。これに対して追永に迷いが生じる。スパコンにこだわってきた追永は出世にも背を向けてきていた(「スパコンを辞めた方が良いと言う人が出世していった」というのが本人談)。

 

 

立ち上がる伝説の技術者と奮闘する若手技術者

 開発部門ではリーダーの木村がメンバーの安島雄一郎の意見に困惑していた。変わり者で名の知れていた安島はCPUの効率的な接続としてToFuと名付けた三次元モデルを提案していたが、これが難解すぎて木村の理解を超えていた。これに対して安島は「どうして理解できないんですか?」という態度だった。安島は人に理解されないことには慣れていた。木村は安島の才能は買っていたが、安島のアイディアに全てを託して良いのかの判断が出来ないでいた。木村は安島を率いれるのはもう追永しかいないと必死で口説き、とうとう追永が折れる。木村は追永にマシン全体の開発の統括を依頼する。間もなく追永と安島の間で激論が繰り広げられることになり、これは怪獣同士の対決と言われる。議論で痛いところを突かれた安島は「この人は技術で話せる」と感じる。

 2007年、まだ開発は難航していた。追永はあらゆる部署を回って議論を行い、書類なしで要点をつかんでいく(研究者なら分かるが、これってとんでもない能力)。安島はあらゆるアイディアを詰め込んだToFuのさらに上を追永に求められて苦戦していた。何度も議論を交わしたが、ある日追永は「次の検討が最後だ」と告げる。次に安島が挙げるアイディアを追永は自分の責任で採用するという宣言だった。すべてを託された安島は妻と買い物に行っていた時に画期的なアイディアを思いつく。12個のCPUを三次元的につないだ塊をさらに三次元で接続するというもので、三次元プラス三次元の六次元ToFuインターコネクトと名付けた。説明を聞いた追永は瞬時にゴーサインを出す。

 一方で吉田の率いるCPU開発部隊は苦戦していた。そして自宅でまどろんでいた時にアイディアが降ってくる。画期的な常識破りのアイディアだった。そうしてついにスパコンの頭脳部分が完成する。東日本大震災の影響などもあったが、予定通りに製造が行われ、京と名付けられたスパコンはテストでいきなり世界記録を更新する。そしてフルスペックで挑んだ2011年10月8日、京は止まることなく方程式の計算を続け、目標であった1秒間に1京回の計算を達成する。こうしてぶっちぎりで世界最速となる。

京コンピュータ

 

 

 

 この後、追永らベテランは引退して悠々自適の生活を送り、次世代の富嶽の開発の中心になったのは吉田や安島らだったとのことで、この後のさらに次世代への技術の継承は現在なされているんだろうが、それが途絶えてしまわないかが心配。相も変わらずアメリカは日本の技術を警戒して、隙あらばつぶさんという考えだし、日本政府はその防波堤になるどころかさっさとアメリカに何でも売り渡す(その過程で自分達だけはキックバックをもらう)売国政権なので。

 技術者としてのロマンがあるんだが、それにしても登場する技術者のレベルが高すぎて正直なところ「僕には出来ない」という結論にならざるをえんのだよな。そもそもミスターコンピュータの池田敏雄自身が過労死で燃え尽きたような人物なんだから。もっともそこまで打ち込める仕事に出会えたのは、技術者としては幸福なこととも言えるんだが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・アメリカの政策で追い込まれ、日本のスパコン開発がほぼ停止していた21世紀初頭、スパコン開発の国家プロジェクトが計画され、富士通もそれに参加する。
・開発のリーダーの木村康則らベテランたちは、この困難なプロジェクトを率いることの出来る人物としてミスターコンピュータ池田敏雄の弟子でもある追永勇次の名を上げるが、追永は50半ばの自分が今更出る幕ではないと固辞する。
・CPU開発を託された吉田利雄は性能の200%アップに消費電力低減という不可能とも思える目標に頭を抱える。
・一方木島は若手の安島雄一郎が掲げた画期的なCPU開発接続システムのToFuの困難な内容が理解できず、その評価に四苦八苦していた。やはりここは追永しかいないと必死の説得を行い、及川もついに折れる。
・及川は安島と徹底的な議論をして、安島の設計を進化させていく。また各部署を廻っては議論をしてプロジェクトをまとめていく。
・そしてついてに安島の構想に及川からのゴーサインが出る。一方吉田も問題解決のための画期的回路を思いつき、これでスパコン京の開発のメドが経つ。
・東日本震災などもあったが、京は予定通りに開発され、世界最速記録を打ち立てる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・前回は池田のスーパーマンぶりが際立っていたのだが、それを引き継ぐのは追永で、開発のメインは若手の吉田に安島というように主役が分かれていたのが、この間の時代の流れって奴です。複雑な現代はスーパーマン一人で物事が解決する時代でなくなっている。

次回のプロジェクトX

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